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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第三部】第二章
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第七十八話「蓮と雫 Ⅳ」

その夜、俺と雫はいつも通り、洞穴の中で静かな夕食を囲んでいた。


雫の腹は、もう臨月を迎えようとしていた。

日に日に大きくなる、その腹を見て、俺はこれから訪れる、新しい命との出会いに、胸を高鳴らせていた。


焚き火の灯りに照らされた、雫の横顔はすでに母親の顔で、どの日よりも穏やかで満ち足りたものだった。


「――そろそろ、名前を考えないとね」


雫がそう言って笑った。

その時だった。


外から複数の足音が近づいてくる。

こんな場所では聞いたことのない、規則正しい複数の足音。

俺は瞬時に悟った。


――見つかった。



気付いた時には遅かった。

洞穴の入り口に、松明の灯りがいくつも揺らめいた。

橙色の炎に照らされた幾つもの人影。


氷雨の家紋を身にまとった屈強な男たちが、次々と姿を現した。

その数、十人は下らなかった。


「――蓮様、氷雨家当主の命により、お迎えに上がりました」


その声に、俺は、雫を庇うように後ろへと下がらせた。

背中に感じる、雫の震え。

俺は、その手を強く握り返した。


「――帰るつもりは、ない」


「――そうは、参りません。雫様も、ご一緒に」


その言葉に、俺の中でこれまでにない強い怒りが込み上げた。

だが、多勢に無勢。

俺一人の抵抗など、彼らにとって大した障害にはならなかった。



男たちは、俺たちを強引に洞穴の外へと連れ出した。

抵抗する俺を、複数人がかりで押さえつける。

地面に膝をつかされ、両腕を後ろ手に縛り上げられる。


「――離せ!雫に、触るな!」


俺の叫びも虚しく、俺たちは用意されていた馬車へと押し込まれた。

北部への、長い連行の旅が始まった。


俺と雫は、別々の馬車に乗せられていた。

自分の無力さに、歯を食いしばった。


馬車の車輪が、石を踏みつけるたびに、体が大きく揺れた。

その振動が、身重の雫の体に障らないかと、俺は気が気ではなかった。



幾日もかけて、俺たちは、氷雨邸へと連れ戻された。


屋敷の広間には、これまで見たこともないほどの、物々しい顔ぶれが揃っていた。


氷雨の当主と、その一族。

そして、東雲の当主をはじめとする、東雲家の者たちの姿もあった。


さらにその奥には、見慣れない灰色の制服に身を包んだ、調律省の役人たちまでもが居並んでいた。


俺と雫は、その広間の中央に引き据えられた。



「――このたびの、天候不順の元凶は、この雫という娘である」


調律省の役人の一人が、淡々と告げた。

手にした、分厚い記録をめくっている。


「西部一帯の、記録された異常な感情反応。すべて、この娘に起因するものと断定される」


その言葉に、広間の空気が、一気に張り詰めた。

氷雨の一族の中から、忌々しげな声が漏れた。


「――やはり、東雲だ」


「――またしても、東雲の血が、災いを招いたのだ」


「――若様は、悪くない。すべては、あの女に、誑かされただけのこと」


その声には、明確な敵意が滲んでいた。

矛先は、瞬く間に、雫一人へと向けられていった。


俺の父――氷雨の当主も反論しなかった。

父の目には、俺への、深い、失望と共に、それでも、我が子を失いたくないという、複雑な感情が見て取れた。


雫の方を庇う者は、誰もいなかった。

東雲の一族の中からも、雫を擁護する声は一つも上がらなかった。


「――あの娘は、我が家の恥だ」


東雲の当主が、冷ややかに、そう言い放った。

雫は、その言葉に、俯いたまま、唇を、強く噛みしめていた。



「――何より、腹の子だ」


東雲の一族の、一人がそう続けた。


「これほどの、反応を示す母から、生まれる子だ。この子もまた、途方もない、災いをもたらすかもしれない」


その言葉に、俺は思わず、声を荒げた。


「――生まれてもいない子供を、勝手に決めつけるな!」


だが、俺の声では、その場の空気を変えることはできなかった。

東雲の一族の目には、恐れと、そして

――ある種の、冷たい決意が宿り始めていた。



その、僅かな隙のことだった。


東雲の一族の中から、数名の男たちが、音もなく、雫の方へと近づいていく。

その手には、鈍く光る、刃が握られていた。


「――禍根は、根から、絶たねばならん」


その言葉と共に、男の一人が、雫に向かって、刃を振り上げた。


「――雫!!」


俺は、考えるより先に、体が動いていた。

縛られていたはずの、腕を力任せに振り解き、雫の前に飛び出した。


鋭い痛みが、俺の、腹の奥を、貫いた。


「――蓮!!」


雫の、悲痛な、叫び声が、広間中に響き渡った。

雫を庇ったまま、その場に崩れ落ちる。


自分の腹から溢れ出す、赤い血。

それが、着物を、みるみるうちに、染めていく。

視界が、急速に霞んでいく。


――すまない。雫。子供の、名前も、まだ、決めて、やれなかった。


その悔いだけを胸に抱いたまま、俺は雫の方へと、最後の力を振り絞り、手を伸ばそうとした。

だが、その手は届かなかった。



真っ赤に染まった、蓮の体。

雫の中で――これまで、抑え込まれていた、すべての感情が、一気に、噴き出した。


「――いやぁあああああ!!!!!!」


雫の、絶叫と共に、広間の窓という窓が、割れた。

轟音を立てて、屋敷全体が激しく、軋み始め、家具が突如起きた竜巻のような暴風に巻き上げられていく。


空が瞬く間に、黒く、染まっていった。

これまで、誰も、見たことのないほどの、激しい嵐が、屋敷を中心に周囲を飲み込み始めていた。

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