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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第三部】第二章
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第七十三話「輸送された灯」

施設が襲撃される、その直前のことだった。


灯は突然、職員たちに取り囲まれた。

抵抗する間もなく、腕を掴まれる。


いつもとは明らかに違う、慌ただしい足音が、廊下の向こうから、次々と近づいてきていた。


「――離して!!何を、するの!」


灯は、必死にもがいた。

だが、複数の職員に押さえつけられ、身動きが取れなかった。


腕に、爪が食い込むほどの力が加えられる。

あまりにも激しく暴れる灯に、職員の一人が舌打ちをした。


「――手に負えない。強めの施術を」


その一言と共に、見慣れない、大きな器具が、灯の額に押し当てられた。

ひんやりとした感触の、その直後

――これまでとは、比べ物にならない、強い衝撃が、頭の奥を貫いた。


視界が、瞬く間に、白く染まっていった。

耳鳴りが、けたたましく響き渡る。


灯の意識は、そこで途切れた。



次に灯が目を覚ました時、

そこはこれまで見たことのない、奇妙な場所だった。


全身に、無数の、細い管が繋がれている。


腕、脚、首筋――その一本一本から、微かな、冷たい感触が伝わってきた。


灯は、透明な、繭のような、機械の中に閉じ込められていた。


体を動かそうとしても、思うように力が入らない。

指先を僅かに動かすだけで精一杯だった。


周囲には、これまで見たことのない、複雑な機械の造形が、幾つも並んでいた。

淡い光が、その表面を、静かに照らしている。


空気は乾いていて、微かに金属質の匂いが混じっていた。

どこからか、低い、機械音のようなものが、絶え間なく響いている。


それは、まるで巨大な何かが、静かに呼吸をしているかのような音だった。


「――ここ、は」


掠れた声が、灯の口から漏れた。

喉が、ひどく渇いていた。



「――目を、覚ましたか」


声が、応えた。

灯は、はっと、身を強張らせた。

全身の管が、その動きに合わせて、僅かに揺れた。


「私の、名前は、中枢卿」


その声は、灯の、正面から聞こえてきた。

灯は視線を、その方向へと向けた。


そこにも灯と同じような、透明な、繭型の機械があった。

距離にして、数メートルほど、離れた場所。

中に、人影が見える。


だが、その人影は、目を閉じたままだった。

口も、まったく動いていない。


それなのに、声だけが、確かに灯の耳に届いていた。

まるで、頭の中に、直接、響いてくるかのような不思議な感覚だった。


灯には、その仕組みが、まったく理解できなかった。

恐怖にも似た、奇妙な感覚が、灯の背筋を這い上がっていった。



「――あれだけ、施術を受けても、君は、まったく、自我を失うことがないね」


中枢卿と名乗る、その声が続けた。

感情の読めない、平坦な響きだった。


まるで興味深い標本を、観察するかのような、そんな、冷たい響きがその声には宿っていた。


「これまでの、記録を見ても、これほどの反応を保ったまま、これだけの施術に耐えた例は、稀だ」


その言葉を、聞いた瞬間、灯の頭上に、これまでにない、不穏な灰色の雲が、瞬時に湧き上がった。

恐怖と、混乱、そして、得体の知れない、何かへの警戒――それらが、綯い交ぜになった、複雑な色だった。


だが、灯の耳には、その言葉すら、うまく入ってきていなかった。

灯の視線は、目の前の、機械の中の、あの人影から離せずにいた。


何かが、灯を、そこへと強く引き寄せていた。


整った、静かな、寝顔にも似たその顔立ち。

閉じられた、瞼。

長い黒髪が、繭型の機械の中で、緩やかに広がっている。


肌は、生きているとは思えないほど、白く、それでいて、朽ちている様子はまったくなかった。

まるで、時が、止まったかのような、静けさがその姿には宿っていた。


その輪郭を、見つめれば、見つめるほど、灯の胸に、言いようのない、違和感が込み上げてきた。心臓が、次第に、速く、鼓動を打ち始める。


――どうして。


どこかで、見たことがあるはずのない、その顔。それなのに、灯の中の、何かが、その顔を、強く引き寄せていた。

目を、逸らすことができなかった。


「――あたしに、似ている……」


灯の口から、思わず、その言葉がこぼれ落ちた。

声は、自分でも、驚くほど小さかった。



その呟きに、中枢卿が反応した。


「――ああ、気づいたか」


声には、僅かな興味の色が滲んでいた。

楽しんでいるとも取れるような、微かな、抑揚が、その言葉には含まれていた。


「中身は、ないよ」


「――え」


灯は、思わず聞き返した。

頭が、うまく、状況を処理できずにいた。


「この器は、君の、母親だよ」


その一言が、灯の耳に、届いた瞬間、灯の頭上の雲は、色を失った。

灰色の雲が、まるで、凍りついたかのように、動きを、止めていた。

機械の低い駆動音だけが、その静寂を、絶えず埋め続けていた。


灯は、言葉を失ったまま、ただ、目の前の、あの、動かない顔を見つめ続けていた。

頭の中では、その言葉の意味が、幾度も、幾度も、反響し続けていた。


母、という、その一言だけが、灯の胸の奥深くに、鋭く、突き刺さったまま抜けなくなっていた。

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