第七十二話「新たな旅立ち」
灯が、この東部の地にはいないと知った以上、晴にはもう、ここに留まる理由がなかった。
「――旅立とう、と思います」
晴は、翔と、重蔵に、そう切り出した。
囲炉裏を囲む、いつもの部屋。
炎が、静かに揺らめいている。
重蔵は、しばらく無言のまま、晴の顔を見つめていた。
その皺の刻まれた顔には、これまでの日々を振り返るような、深い思慮の色が浮かんでいた。
「――どこへ、向かうつもりだ」
「まだ、はっきりとは。ですが、灯の手がかりを、追わなければなりません。中枢卿という存在、そして、システムの中枢――そのすべてが、繋がっている気がするんです」
傍らで、玲も、静かに頷いた。
「――私も、一緒に行きます。お世話になりました」
晴と、玲、二人で旅立つ。
その旨を、重蔵に、丁寧に伝えた。
重蔵は、深く頷いた。膝
の上に置いた手を、そっと握りしめる。
「――そうか。お前たちの決めたことだ。止めはしない」
その声には、これまでの短い付き合いの中で、確かに築かれた、信頼の色が滲んでいた。
傍らに座る翔は、腕を組んだまま、二人のやり取りを、無言で見つめていた。
旅立ちの朝、集落の広場には多くの住人たちが集まっていた。
夜明け前の、薄暗い空気の中、天井から吊るされた灯りが、人々の顔をぼんやりと照らしている。
誰もが口々に、餞別の品を差し出してくる。
「――これ、持っていきな。旅の途中で腹が減るだろう」
「この上着、まだ着られる。寒さを凌げるはずだ」
「無理はするなよ。何かあったら、いつでも帰ってこい」
晴と、玲は、その一つ一つを丁寧に、受け取った。
乾いた保存食、厚手の外套、水筒、そして、応急の手当てのための、包帯や、薬草
――それらは、集落の人々の、確かな想いが込められたものだった。
両腕に、荷物が次第に増えていく。
玲は、その温かさに、これまで自分が知らなかったこの場所の人々の、逞しさと、優しさを感じ取っていた。
子供たちの何人かが、駆け寄ってきて、玲の手を、小さな手でそっと握っていった。
荷を整え終え、晴と玲が、車両へと乗り込もうとした、その時だった。
「――待って」
その声に、全員が振り返った。
そこに、立っていたのは六花だった。
まだ、覚束ない足取りで、それでも、自分の足で、広場まで歩いてきていた。
壁に、片手を添えるようにしながら、一歩、また一歩と、慎重に足を進めている。
周囲の住人たちも、その姿に驚いたように道を開けた。
「――六花?どうした」
翔が、驚いたように駆け寄る。
手を貸そうとするが、六花は、それをそっと拒んだ。
六花はたどたどしく、けれどはっきりとした、意志を持った声で言った。
「――あたしも、連れて行って」
「――何を、言ってる。お前は、まだ」
翔が慌てて、六花の肩を掴んだ。
「体だって、本調子じゃない。無理はできない」
六花は、それでも、首を横に振った。
震える声で、はっきりと、言葉を続けた。
息を、一度、大きく吸い込んでから。
「――あたしは、あの子の、教育係、だから」
その一言に、晴は、思わず目を見開いた。
「――あの子、というのは」
「灯、のこと」
六花の口から、その名がこぼれ落ちた瞬間、晴の中で、これまで知らなかった、一つの繋がりが、静かに浮かび上がった。
六花は、途切れ途切れに、それでも、記憶を、辿るように語った。
言葉の一つ一つを、確かめるように、ゆっくりと、選びながら。
集団棟で、灯と出会ったこと。
繕い物を教えたこと。
二人で、隣り合って、過ごした、あの静かな時間のこと。
「――あの子が、心配。だから、あたしも、行く」
その言葉には、まだ癒えきらない、心の傷を抱えながらも、灯を想う、確かな強さが宿っていた。
翔は、しばらく言葉を失っていた。
六花の頬に、僅かに赤みが差しているのを、翔は見つめていた。
翔は、しばらくの間、六花の顔をじっと見つめていた。
その真剣な眼差しに、これ以上、止める言葉を見つけられずにいた。
やがて、翔は、静かに息を吐いた。
「――わかった。だったら、俺も行く」
その一言に、今度は、六花が、驚いたように、翔を見上げた。
「お前一人、行かせるわけにはいかない。それに」
翔は、晴の方を振り返った。
「お前一人じゃ頼らない」
その言葉に、晴は、深く頭を下げた。
重蔵は、その様子を静かに見守っていた。
「――親父、後は頼んだ」
「ああ。行ってこい」
重蔵の短い返事に、翔は、力強く頷いた。
こうして、晴、玲、翔、そして、六花
――四人での旅が始まることになった。
馬車が集落の外へと、動き出す。
目立つ専用車両は、道中、どこで誰の目に留まるかわからない。
集落の者たちが、あえて目立たない、旅商人風の、古びた幌馬車を用意してくれていた。
見送る住人たちの、声援と、手を振る姿が、次第に遠ざかっていった。
誰かが、指笛を鳴らす音が、馬車の後をしばらく追いかけてきた。
晴は、窓の外に流れる景色を眺めながら、静かに思いを巡らせていた。
灯を取り戻すための、この旅。
一人で、始めたはずのその道のりに、今、こうして、共に歩んでくれる仲間たちがいる。
その事実が、晴の胸に、これまでにない、確かな、力を与えていた。
馬車は、東部の山々を後に、新たな目的地へと、静かに、進み始めていた。




