第六十九話「訓示」
東部への、派遣部隊が出立する日。
中央塔の前広場には、志願した者たちが、整然と列をなしていた。
朝の冷たい空気が、広場を包んでいる。
志願者たちの吐く息が、うっすらと、白く、立ち上っていた。
忍は、その前に設けられた、小さな台の上に立っていた。
居並ぶ者たちの顔を、一人ずつ見渡す。
誰もが、緊張の面持ちで、忍の言葉を待っていた。
整列した列の端には、荷物を積んだ、専用車両が、幾台も並べられている。
真鍮のランプが、朝日を受けて、鈍く光っていた。
「――この度、東部方面への、派遣を志願してくれた諸君に、感謝する」
忍の声が、朝の広場に、静かに響いた。
よく通る抑揚の少ない声だった。
「東部の状況は、これまでにないほど、危険なものになっている。賊による、組織的な襲撃。混乱に乗じた、二次的な被害の恐れも否定できない」
忍は、一度、言葉を切った。
集まった志願者たちの表情に、緊張がいっそう、色濃くなる。
誰かが、ごくり、と喉を鳴らす音が、静寂の中、微かに聞こえた。
「――だからこそ、諸君に、一つだけ伝えておきたい」
忍の視線が、居並ぶ者たちを、ゆっくりとなぞっていった。
一人一人の顔を確かめるように。
「功を焦るな。無理はするな。誰一人、命を落とすことのないように――それだけを、切に願っている」
その言葉には、これまでの、事務的な訓示とは、僅かに、違う、重みが滲んでいた。
集まった者たちの何人かが、その響きに、僅かに驚いたような表情を見せた。
忍のこうした言葉を、耳にするのは、初めてだという者も少なくなかった。
訓示を続けながら、忍の視線は、ふと、列の中の、ある一点に留まった。
白鷺玲。
彼女の姿を、忍は、この日確かに見つけていた。
灯の一件で、何度か、顔を合わせたことのある、あの調律士。
まっすぐに、前を見据える、その横顔には迷いのない決意が宿っているように見えた。
まさか、志願者の中に、その姿があるとは、忍にとっても想定外のことだった。
――今度は行動を起こすのか。
忍は訓示を締めくくった。
訓示を終え、忍が台を降りた頃、志願者たちは、それぞれ、専用車両へと乗り込み始めていた。
荷物を運び込む音、車両同士の位置を確認し合う声が、広場に、慌ただしく響いている。
忍は、人混みの中、玲の姿を見つけ出した。
「――白鷺」
忍の呼びかけに、玲は、足を止め振り返った。
「――黒曜幹部」
「少し、いいか」
忍は、周囲に、人の耳がないことを確かめてから、声を落とした。
二人は、車両の陰、人目を避けられる場所へと僅かに移動した。
「――お前に、伝えておくべきことがある」
「――何、でしょうか」
「氷雨灯はあの襲撃の前に、すでに別の場所へ移送されている。お前が今から東部に向かったところで、彼女を見つけることはできない」
その言葉に、玲は、大きく目を見開いた。
手にしていた荷物を思わず握りしめる。
「――それは、本当ですか」
「ああ。中枢卿様からの、直々の指示だ。詳細は私にもわからない」
忍の声は静かだったが、その奥には確かな重みがあった。
忍自身、この情報を誰かに明かすことに、僅かな迷いを抱えていたのかもしれない。
それでも、その言葉を、玲に伝えることを選んでいた。
玲は、しばらくの間沈黙していた。
視線を地面に落としたまま、何かを考え込むように。
それから、静かに、けれどはっきりと顔を上げ、答えた。
「――それでも、行きます」
「――理由を、聞いても」
玲は、一瞬、言葉に詰まった。
それから、小さく息を吐いた。
白い息が、朝の冷たい空気に溶けていく。
玲の脳裏には、東部の山中で、一人戦っているであろう、晴の姿が浮かんでいた。
賊の襲撃に、巻き込まれてはいないか。
無事でいるのか。
灯が、もうそこにいないと知ったら、晴はどうなってしまうのか。
数え切れない不安の断片が、玲の胸の中を駆け巡っていた。
「――一人で、戦っている人がいるので」
その答えに、忍は目を細めた。
それ以上深くは問わなかった。
「――そうか」
忍は、それだけ答えた。
玲は一礼し、車両へと歩いていった。
その背中は、迷いを振り切るように、まっすぐに伸びていた。
その背中を見送りながら、忍は静かに思った。
あの調律士もまた、誰かのために、危険を顧みず動こうとしている。
この国の、歪んだ仕組みの中で、それでも誰かを想う心だけは失われていない。
専用車両が、次々と動き出す。
蒸気を吐き出す音、歯車の軋む音が、次々と朝の広場に重なっていった。
忍は、その様子をしばらくの間見つめ続けていた。
玲の中に、まだ消えていない、天宮晴への想い――それに、忍は、どこか覚えのある痛みを感じていた。
遠ざかっていく、車両の列を、忍はいつまでも見送り続けていた。




