第六十七話「東部への招集」
その夜、支局内にけたたましい警報が鳴り響いた。
玲は、自室で書類の整理をしていた手を、思わず止めた。
反射的に身構える。
廊下を、職員たちが、慌ただしく行き交っている。
誰もが、緊張した面持ちで、無線機や書類を抱えていた。
扉が、幾つも、荒々しく開け閉めされる音が続けざまに響いていた。
「――何が、あった」
玲が、近くにいた同僚に声をかけると、その顔は青ざめていた。
額には、脂汗が滲んでいる。
「東部で、大規模な、賊の襲撃があったそうです。施設が、襲われて……多くの、同僚が、被害に」
その報告に、玲の背筋に冷たいものが走った。
手にしていた書類が、指先から滑り落ちそうになった。
詳しい情報が、次々と支局にも届き始めた。
伝令の職員が、息を切らしながら、駆け込んでくる。
東部の収容施設が、組織立った集団によって、襲撃されたこと。
多数の警備兵が、負傷、あるいは、命を落としたこと。
収容者の多くが、連れ去られたこと。
玲は、その報告を、食い入るように聞いていた。
混乱に乗じて情報が漏れているが、やはり収容施設は東部にあったんだな。
周囲の職員たちが、口々に、驚きと動揺の声を、上げている。
「――増援の、人員を募集している」
支局長室の前、掲示板に貼り出された、その告知を、玲は、じっと見つめた。
急ごしらえで、書かれたのだろう、墨の跡がまだ僅かに滲んでいる。
東部方面への、緊急派遣部隊。
応募する者は、名乗り出るように、と。
その文字を見た瞬間、玲の中で、これまでの迷いが、一気に吹き飛んだ。
――これは、チャンスだ。
東部に、合法的に直接赴く機会。
それは、これまで玲が、どれだけ望んでも、得られなかったものだった。
晴が、今、どうなっているのか。
灯を、取り戻せたのか。
――そのすべてを、確かめられる、またとない機会だった。
玲は、迷わず、応募の書類に、自分の名を記した。
ペン先が、紙面に触れる、その一瞬にすら、迷いはなかった。
だが、その一方で、玲の脳裏にはもう一つの心配事が浮かんでいた。
「――環さん」
まだ、本調子とは言えない、環の体調。
玲は、これまでその様子を、こまめに見に行っていた。
しばらく、支局を離れることになれば、その役目も果たせなくなる。
手にした書類を、見つめながら、玲はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
――それでも。
このチャンスを、逃すわけにはいかなかった。
玲は、環に事情を直接伝えに行くことを決めた。
勤務を終えた玲は、その足で環の家へと向かった。
夜の七番区、家々の窓から漏れる灯りが、道を、ぼんやりと照らしていた。
人通りの絶えた通りに、玲の足音だけが、規則正しく響いていた。
灯の家の前に立ち、玲は、呼び鈴を鳴らした。
金属音が、静かな夜に、僅かに反響する。
「――環さん。少し、お話が」
だが、いつまで経っても、応答がなかった。
玲は、以前のことを、思い出しながら、扉にそっと、手をかけた。
今度も、鍵はかかっていなかった。
その事実に、玲の胸に、微かな、胸騒ぎが生まれた。
「――環さん?入りますよ」
居間に、足を踏み入れる。
灯りの落ちた部屋、家具の輪郭だけが、月明かりに、ぼんやりと浮かび上がっていた。
だが、そこに、環の姿はなかった。
寝室を、覗いてみる。
毛布を剥ぎ取られたかのような寝具。
「――環さん?」
玲は、家中を、隈なく捜し回った。
台所、物置、庭先――ランプを片手に、隅々まで確かめて回る。
だが、どこにも、環の姿は見当たらなかった。
玲の胸に、これまでとは、違う種類の不安が急速に広がっていった。
病を、押して、どこかへ出かけたのだろうか。
それとも――。
最悪の可能性が、玲の脳裏を、一瞬掠めた。
だが、玲は、すぐにその考えを頭から振り払った。
玲は、居間の中央に、しばらく立ち尽くしたまま動けずにいた。
書き置きの一枚すら、なかった。
――環さんは、どこに。
その問いへの答えを、玲は、まだ、見つけられずにいた。
窓の外、七番区の夜空を、玲はしばらくの間、ただ、見つめ続けていた。
東部への出発を、間近に控えたこの状況で、新たに生まれた、この不安を、玲は、どう扱えばいいのか、まだわからずにいた。




