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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第二部】第三章
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第六十五話「いない」

「――翔!しっかりしろ!!」


仲間の一人が、翔の肩を強く掴んだ。

その声に、翔ははっと、我に返った。


呆然と、六花を見つめたまま、動けずにいた自分に気づく。

周囲では、なおも逃げ惑う人々の悲鳴と、駆け回る足音が、絶え間なく響いていた。


「――時間が、ない。連れて行くぞ」


翔は、奥歯を噛み締めた。

六花を、そっと抱き上げる。


軽すぎる、その体重に、翔の胸が鋭く痛んだ。

かつては、翔の背中を、勢いよく叩いてくるほど元気だったはずの体。


それが、今はまるで、空気を抱えているかのように頼りなかった。

それでも、今は、この痛みに浸っている暇はなかった。


「――全員、避難させろ!出口へ急げ!!」


翔の号令が、広間に響いた。

班の者たちが、一斉に動き出す。


広間から、通路へとなだれ込んだ、収容者たちの群れ。

だがその先には、増援の警備兵たちが、すでに待ち構えていた。

灰色の制服が、通路いっぱいに、壁のように並んでいる。


「――止まれ!それ以上、進むな!!」


警備兵たちが、一斉に武器を構える。

翔の仲間たちが、その前に、素早く立ちはだかった。


「――道を開けろ!!」


叫びと共に、乱闘が始まった。

棒を振るう警備兵に、素手で飛びかかる者。


奪った得物を、振り回しながら、活路を切り開く者。怒号と、悲鳴と、金属のぶつかる音とが、狭い通路に、絶え間なく反響していた。


誰かの流した血が、コンクリートの床に黒く飛び散っていた。


「――こっちだ、来い!」


一人が、収容者たちを、脇道へと誘導する。

だが、そこにも、別の警備兵が待ち伏せていた。


「――くそ、キリがねえ!」


誰かが、そう吐き捨てた。

それでも、誰一人として足を止めなかった。


倒れた仲間を助け起こす者。

子供を、背負って走る者。血を流しながらも、なお、前へ進もうとする者。


それぞれの、決死の想いが、その一つ一つの動きに宿っていた。


翔は、六花を、片腕に抱えたまま、もう片方の手で、迫りくる警備兵の攻撃を受け止め、弾き返した。

反撃の隙に、鳩尾へ鋭い一撃を叩き込む。


警備兵が、崩れ落ちるのを確認する間もなく、翔は、次の敵へと視線を移した。

腕にかかる六花の重みが、翔の動きを、僅かに鈍らせていたが、それでも翔は決してその腕を緩めなかった。


資材搬入用の裏門まで、あと僅かという場所で、一団は、最後の激しい抵抗に遭遇した。


「――ここを、通すわけには、いかん!」


数にして、十人近い、警備兵の集団が通路を塞いでいた。

松明のような灯りが、彼らの緊張した顔を赤々と照らしている。


翔たちの、消耗も激しかった。

息を切らし、傷を負いながらも、それでも退くという選択肢は、誰の頭にもなかった。


「――押し通る!一気に、突っ切るぞ!」


翔の号令に、残る力を振り絞り、一団が突撃した。

乱れ飛ぶ、怒声。


ぶつかり合う、体と体。

押し合い、揉み合いながら、一人、また一人と、警備兵たちの壁を突破していく。

誰かが、叫びながら、警備兵の懐に飛び込んでいった。


ようやく裏門を抜けた時には、一団の誰もが満身創痍だった。


切れた唇、腫れた頬、破れた衣服

――それでも、多くの収容者を、無事に、外へと、連れ出すことに成功していた。


夜風が、汗ばんだ肌に、冷たく吹き付けた。


外に出ると、そこには翔たちが、以前鹵獲していた、調律省の専用車両が待機していた。


真鍮のランプが、薄暗く車体を照らしている。

仲間たちが、次々と、救出した収容者たちを、その荷台へと乗せていく。


泣きじゃくる子供、放心したまま、動けずにいる大人――それぞれを、支えながら、一人、また一人と、車両に押し込んでいった。


「――早く、乗れ!すぐに、追っ手が来る!!」


怒鳴るような、指示が飛び交う中、翔も、六花をそっと車両の中に座らせた。

反応のない、その横顔をもう一度見つめる。


だが、今は感傷に浸っている時間はなかった。


大半が、車両に、乗り込んだのを確認した翔は、ふと、辺りを見回した。

荷台に並ぶ顔、顔、顔――そのどれもが、必死に、この場を、生き延びてきた者たちの顔だった。


だが、その中に、探している顔だけが、見当たらなかった。


「――晴は」


その姿が、見当たらなかった。

翔の胸に、嫌な予感が、じわりと広がった。


しばらくして、施設の奥から一人の人影が、よろめくように駆けてくるのが見えた。

月明かりに、その輪郭が浮かび上がる。


「――晴!」


翔が、駆け寄った。

晴は、肩で、激しく息をしていた。全身が、汗と埃にまみれている。


だが、その様子はこれまでとは明らかに違っていた。顔面は、蒼白で、目には焦点が、うまく合っていない。


まるで、魂の抜け落ちたような表情だった。

足元も、僅かにふらついていた。


「――どうした。女は」


翔の問いに、晴は、答えなかった。

ただ、震える唇を、僅かに動かすだけだった。


声にならない、掠れた息だけが漏れていた。


「――女は!?一緒じゃ、ないのか!?」


翔が、声を荒げた。


晴の肩を、両手で強く掴む。

晴は、ようやく、絞り出すように言葉を発した。

虚ろな目に、僅かに涙が滲んでいた。


「――いない」


その一言が、晴の口からこぼれ落ちた。

乾いた声だった。


「灯が……いないんです」


その言葉が、夜の闇に、静かに溶けていった。

荷台に乗り込んだ人々の、安堵と混乱の入り混じったざわめきすら、この瞬間、翔の耳には遠く感じられていた。


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