第五十八話「決起」
地下集落、翔の家に、一人の若者が慌てた様子で駆け込んできた。
息が上がり、額には汗が玉のように浮かんでいた。
「――翔、緊急の連絡だ」
若者は、息を切らしながら、一通の手紙を差し出した。
粗末な紙に、几帳面な文字で、びっしりと書き込まれている。
折り目には、幾重にも皺が刻まれていた。長い距離を、密かに運ばれてきたことを物語っていた。
紙の端は、旅の途中で、雨か何かに濡れたのか僅かに波打っている。
翔は、手紙を受け取った。
晴は、その様子を少し離れた場所から見守っていた。
囲炉裏の火が、静かに、部屋を照らしていた。
翔は、手紙を広げた。
目を、文面に走らせる。最初は、いつもと変わらない、冷静な表情だった。
だが、読み進めるにつれ、その顔色がみるみるうちに変わっていった。
眉間に、深い皺が刻まれ、唇が、僅かに震え始める。
「――翔さん?」
若者が、思わず声をかけた。
翔は、答えないまま、手紙を握りしめる手に、力を込めていた。紙が、皺になるほどの強さだった。
「――クソが」
翔は、低く、吐き捨てるように呟いた。
その声には、これまで晴が聞いたことのない、剥き出しの怒りが滲んでいた。
周りのものはその様子に、只事ではない予感を覚えた。
「――何が、書いてあったんですか」
晴が尋ねると、翔は手紙を晴の方へと差し出した。
「読んでみろ」
晴は、その手紙を受け取り、文面に目を通した。
細かい文字が、隙間なく紙面を埋め尽くしている。
調律省での会議の内容――東部の輸送状況、賊への対応方針。
そして、東部のメイン収容施設を、南部へと移転すること。
移転に伴い、現在の収容者たちが、"一斉送還"という名目で、まとめて処分される予定であることが記されていた。
晴の手が震えた。
文字を追う目が、何度も、同じ行を、往復した。
信じたくない、という思いが頭のどこかで渦を巻いていた。
「――一斉送還、って」
「"卒業"の、前倒しだ。反応があろうがなかろうが関係ない。まとめて外国に売り払うつもりだ」
翔の声には、これまでにない、激しい怒りが滲んでいた。
「――灯も、その対象に」
晴の声は掠れていた。喉の奥が、からからに渇いていた。
翔は、重々しく頷いた。
「ああ。今、東部の施設にいる奴らは、全員だ」
晴の頭の中が真っ白になった。
これまで、灯を助け出すための、確かな手がかりを、少しずつ積み重ねてきたつもりだった。
だが、その悠長な歩みすら、許されないほど、事態は切迫していた。
膝が、僅かに、震えるのを、晴は、意志の力で押さえ込んだ。
「――時間が、ないんですね」
「ああ。手紙によれば、実行は一週間後だ」
翔は、拳を強く握りしめた。
関節が白くなるほどに。
「――集落の連中を、集めろ」
翔は、傍らにいた若者にそう命じた。
若者は、すぐさま駆け出していった。
慌ただしい足音が、家の外へと遠ざかっていく。
程なくして、集落の広場に、多くの住人たちが、集まり始めた。
天井に吊るされた灯りの下、次々と、人影が集まってくる。
誰もが、翔の顔色から、何か重大な事態が起きていることを察しているようだった。
子供たちすら、いつもと違う大人たちの表情に、遊びの手を止め、不安げに身を寄せ合っていた。
翔は、集まった人々の前に進み出た。
「――聞いてくれ」
翔の声が、広場に響いた。
灯りに照らされた、その表情はこれまでにないほど険しかった。
「東部の施設が、まもなく、"一斉送還"を、実行する。俺たちの、大切な人間が、まとめて、外国に売り飛ばされる」
その言葉に、広場がざわめいた。
怒りと、恐怖の入り混じった、様々な声が、あちこちから上がった。
誰かが、地面を、拳で、強く叩いた音が響いた。
「――俺たちは、その前に東部の施設を襲撃する。奪還作戦だ」
翔の宣言に、広場が一瞬静まり返った。
それから、誰かが力強く声を上げた。
「――やるぞ!」
その声に、続くように、次々と住人たちの声が重なっていった。
決意に満ちた、その空気が、地下の空間全体を揺るがすように満ちていく。
拳を突き上げる者、涙をこらえながら頷く者――それぞれの想いが、一つの、大きなうねりとなって、広場を満たしていた。
晴は、その熱気の中、拳を強く握りしめていた。
灯を、必ず取り戻す。
その想いが、これまでのどの瞬間よりも、強く、鮮明に燃え上がっていた。
翔が、晴の方を振り返った。
その目には、これまでの警戒とは違う、確かな信頼の色が宿っていた。
「――お前も、来るんだろう」
「――はい。当然です」
二人は、互いに、確かな意志を込めて頷き合った。
地下集落全体が、一つの目的に向かって動き出していた。
灯りの下、集まった人々の熱気が、天井近くまで立ち上っていくようだった。
奪還作戦の、始まりだ。




