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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第二部】第三章
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第五十三話「地下の集落」

「――記録は、預からせてもらう」


男はそう告げると、晴の返事を待つことなく、記録を懐にしまい込んだ。

晴は、思わず身を乗り出した。


「――待ってください、それは」


「今は、返せない。信用できるかどうか、まだ、見極めきれてない」


男の声には、有無を言わさない、確かな意志があった。晴は、それ以上食い下がることができなかった。悔しさを飲み込みながら、晴は、小さく頷いた。

指先が、無意識に空を掴むように動いた。


男は、晴の背後に回り、縛られていた縄を無造作に解いた。手首に鈍い痛みがじんわりと広がる。

縄の痕が、赤く、皮膚に刻まれていた。晴は痺れた腕をゆっくりと擦った。

血の巡りが戻るにつれ、指先にちくちくとした感覚が走った。


「――ついてこい。見せたいものがある」


男は、そう言うと小屋を出た。

晴は、痛む頭を抱えながら、その後を追った。

立ち上がった瞬間、軽い眩暈が視界を揺らした。


外に出ると、そこは、木々に囲まれた小さな集落の一角だった。

いくつかの木造の小屋が点在している。

屋根には、苔むした様子も見え、長い年月、ここで生活が営まれてきたことを物語っていた。

だが、男が向かった先はその集落の中心――地面に、ぽっかりと口を開けた、大きな穴だった。


穴の縁には、木製の柵が巡らされている。

中を覗き込むと、石を積んで作られた急な階段が、地下深くへと続いているのが見えた。

冷たい空気が、穴の奥からゆっくりと、吹き上げてくるのが肌で感じられた。


「――これは」


「来ればわかる」


男は、それだけ言うと迷いのない足取りで階段を下り始めた。

晴は、僅かな戸惑いを覚えながらもその後に続いた。

階段は、思っていたよりも遥かに長かった。

ひんやりとした空気が、下るにつれて次第に体を包んでいく。

壁面には、等間隔に、灯りが灯され、石造りの階段を淡く照らしていた。

踏みしめる石段の表面は、長年の使用で丸みを帯び滑らかになっていた。

晴は、その一段一段を慎重に下っていった。

時折、遠くから、水滴が落ちるような、微かな音が反響して聞こえてきた。


やがて、階段の先に、光が、広がった。


晴は、目を見開いた。

そこには、地下とは思えないほどの、広大な空間が、広がっていた。

天井は、高く、遠くまで見通せないほど。

無数の灯りが、天井近くに、まるで、星々のように、吊るされている。

そして、その空間の中央に――巨大な、塔のような構造物が、そびえ立っていた。


石とも金属ともつかない、異質な素材でできた、その塔。

表面には、複雑な紋様が、幾重にも、刻まれている。近づくにつれ、その紋様の一つ一つが、精緻な彫刻であることが、わかってきた。

だが、その塔からは、何の気配も感じられなかった。

まるで、深い眠りについているかのように、静まり返っていた。


「――これが」


「共鳴塔だ。感情波を、天候に変換する、あの、化け物じみたシステムの末端の一つだよ」


塔の周囲には、木造の家々が、まるでその塔を守るようにして建ち並んでいた。

煙突からは、細い煙が立ち上り、家々の間には、洗濯物が、風もないのに、緩やかに、揺れていた。

人々が、行き交い、子供たちが笑い声を上げながら、走り回っている。

その光景は、地上で晴が見てきたどの街の様子とも、違っていた。


誰もが、感情を、隠していなかった。

笑う者は、大きく笑い、時折、言い争う者たちの声も、遠慮なく、響いていた。

ある家の軒先では、老婆が涙を流しながら、誰かと抱き合っていた。

その涙にすら、誰も目を向けようとはしなかった。

それが、当たり前の光景であるかのように。


「――ここに、住んでいるのは」


「輸送班を襲って、救い出した奴らだ。それと、家族を、あの施設に、奪われた者たち」


男は、集落を見渡しながら続けた。

その目には、この場所への確かな愛着が、滲んでいるように見えた。


「この共鳴塔は、もう、機能していない。俺たちが壊した」


その言葉に、晴は息を呑んだ。


「――壊した、というのは」


「文字通りの意味だ。この国に、五つある共鳴塔のうち、俺たちが占拠して、機能を停止させたのは、ここだけだ。他の四つ――東西南北の残り三つと、中枢にあたる、中央のものは、今も、変わらず、動き続けている」


「――だから、国全体のシステムが、変わったわけじゃない。あくまで、ここだけの話だ」


男の声には、誇りと、それでも消えない、無力感のようなものが、入り混じっていた。

視線を、共鳴塔の頂に向けたまま、しばらく動かなかった。


「だが、ここでだけは、感情を隠さずに生きられる。誰も、俺たちの感情を監視しちゃいない。天候として、外に漏れ出すこともない。ここの空は、地上と、繋がっていないからな」


晴は、改めて天井を見上げた。

地下深く、光の届かないその先に、確かにこの場所だけの、独立した空間が広がっているようだった。

吊るされた無数の灯りが、まるで偽りの星空のように、揺らめいていた。


「――ここでなら、システムに、引っかからずに済む」


男の言葉に、晴はこれまでにない強い感慨を覚えていた。

この国のどこかに、こんな場所が存在していたことに。

そして、それを自らの手で成し遂げた者たちがいたことに。

子供たちの笑い声が、遠くから、また、響いてきた。


灯を助け出すための、思いがけない、大きな手がかりが、今、目の前に広がっていた。


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