第五十二話「賊の拠点」
意識が戻った時、晴は、薄暗い、木造の小屋の中にいた。
体を起こそうとして、鈍い痛みが頭の奥から全身に広がった。
頭を殴られた場所が、まだじくじくと脈打っている。
晴は、呻き声を堪えながら、ゆっくりと上体を起こした。視界が、まだ僅かに霞んでいた。
何度か瞬きを繰り返し、ようやく焦点が合ってくる。
両腕は後ろ手に、荒縄で縛られていた。
手首に食い込む縄の感触が、じんわりと痛みを伴っていた。
周囲を見渡すと、小屋の壁際には粗末な木箱や、農具のようなものが、無造作に積み上げられている。
天井は低く、梁が剥き出しのまま渡されていた。
隙間だらけの板壁から、細い光の筋が幾つも差し込み、埃の粒子をぼんやりと照らし出していた。
土間の床は冷たく、湿り気を帯びている。
外からは、微かに人の話し声と、薪を割るような規則正しい音が聞こえてきた。
ここが複数人の生活する、何らかの拠点であることは間違いなさそうだった。
物音に気づいたのか、小屋の外から足音が近づいてきた。
木製の扉が軋みながら開かれる。
差し込む外光に、晴は思わず目を細めた。
現れたのは、山道で出会った、あの頭目らしき男だった。日に焼けた浅黒い肌、無精髭に覆われた顎。
腰には、鋭く研がれた刃物が下げられている。
男は、無造作な足取りで小屋の中に入ってきた。
「――目、覚めたか」
男はそう言いながら、晴の前に片膝をつくようにして座り込んだ。
値踏みするような視線が、晴の全身を舐めるように探っていた。
「――ここは」
「俺たちの、拠点だ」
男はそう答えると、手にしていた何かの束を晴の目の前に突き出した。
蒼一郎から託されたあの記録の一部だった。ページの端が、乱雑にめくられた跡が残っている。
晴は、思わず身を乗り出しかけたが、縛られた体は思うように動かなかった。
「――それは」
「お前が、意識を失ってる間に、荷の中身、勝手に検めさせてもらった」
男は、悪びれる様子もなくそう言った。
「東雲だの、氷雨だの、黒曜だの。それに、調律省の成り立ちについても、随分と物騒な話が書かれてたな」
「元調律士が、こんなものを持って東部に向かってた。ただの旅人じゃないってことは、よくわかった」
男の言葉に、晴は僅かに、驚きを見せた。
名乗った覚えのない経歴を正確に言い当てられたことに。
だが、記録の中には晴自身の身の上に関する記述もいくつか含まれていた。
それを読まれたのだと、晴はすぐに察した。
「――返してください。それは」
「まあ、待て」
男は、晴の言葉を遮った。
片手で、記録をぱらぱらとめくり続けながら。
「お前が、何者なのか。何のために、ここに来たのか。それをまず聞かせてもらう。答え次第じゃ、その荷も、お前自身も、無事では済まさない」
その声にはこれまでにない、鋭い緊張感が滲んでいた。
晴は、痛む頭を無理に働かせながら、慎重に、言葉を選び始めた。喉がからからに渇いていた。
「――俺は、天宮晴といいます。元は、調律省の調律士でした。今は、辞めています」
晴は縛られた体のまま、まっすぐに、男の目を見据えた。
土間に座り込んだ姿勢のまま、それでも視線だけは逸らさなかった。
「大切な人が東部の施設に、収容されています。彼女を、取り戻すためにここまで来ました」
「――収容者を取り戻す、ね」
男は、鼻で笑うようにそう呟いた。
だがその目の奥には、単なる嘲りだけではない、何か別の色が見え隠れしていた。
腕を組み、しばらく晴を値踏みするように見下ろす。
「元調律省の人間が、収容者のために、命を懸けるなんて話、俄かには信じがたいな」
「信じるかどうかは、あなた次第です。ですが、俺は、本気です」
晴の声には、迷いのない、確かな響きがあった。
男は、しばらく無言のまま、晴の顔を見つめ続けていた。
小屋の中に、重い沈黙が下りた。
沈黙が小屋の中を支配した。
外から鳥の鳴き声と、風が木々を揺らす音だけが、微かに聞こえてくる。
時折、薪を割る音が思い出したように遠くから響いた。
やがて、男は深く息を吐いた。
手にしていた記録を、もう一度、丁寧に束ね直す。
「――お前の記録、少し、読ませてもらった。東雲と氷雨の、因縁の話。それに、調律省の成り立ちについても」
「――それは」
「俺たちが、なぜ、こんな山奥で、賊なんてやってるか。理由は色々ある。だが、根っこにあるのは、この国のやり方への憎しみだ」
男の声に、これまでにない、生々しい実感がこもり始めた。表情の硬さが、僅かに、緩んだように晴には見えた。
「――大切な人を、あの施設に、奪われた奴らが、ここには、大勢いる」
その一言に、晴は、息を呑んだ。
もしかすると、この賊たちもまた、自分と同じように、大切な誰かを、失った者たちなのかもしれない――そんな予感が、晴の中に、静かに広がっていった。
小屋の外、薪を割る音がまた一つ規則正しく、響いた。




