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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第二部】第三章
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第五十一話 「内側からの目」

支局に復帰した玲は、これまでと変わらない、平静を装いながら、日々の業務をこなしていた。


だが、その内側では、これまでとはまったく違う目的が、静かに渦巻いていた。

晴が語った、システムの中枢という存在。

それを見つけ出すことが、玲の新たな使命になっていた。


外見上は、いつも通りの規律正しい調律士。だが、玲の意識は、常に支局の隅々に張り巡らされていた。


調律士としての基礎教育の中で、玲は、かつて「空環」という言葉を、教わったことがあった。


空には、感情波と呼ばれる、人が無意識に放出する波を受け止め、それを天候へと変換する、巨大な循環器官が存在する――そう習った、朧げな記憶があった。

だが、それはあくまで抽象的な概念としての説明に留まっていた。

実際にその循環をどうやって観測し、制御しているのか。

その具体的な仕組みについては、末端の調律士に、教えられることは一切なかった。


――空環という言葉だけが、独り歩きしている。


玲は、そのことに改めて、違和感を覚えていた。原理だけを教え、仕組みは決して明かさない。

それ自体が、この国の、意図的な情報統制の、一端なのかもしれなかった。


まず、玲は非番の時間を使い、支局内を、隈なく、見て回ることにした。

資料庫だけでなく、機材室、技術班の作業場、普段は立ち入ることのない、地下の設備区画まで、玲は、可能な限り足を運んだ。

埃をかぶった配電盤、古い観測機器の残骸、意味のわからない配線の束――そうしたものを、一つ一つ、確かめながら。


だが、どこを探しても、それらしきものは見当たらなかった。観測機器の保守記録、支局管内の気象データ、日々の業務に必要な、実務的な資料ばかりが、目についた。

国全体の天候システムを統括する、根幹の仕組みについては、一片の手がかりすら見つからなかった。


――末端の支局に、そんな機密が置いてあるはずもない、か。


玲は、当然の結論に行き着いた。

もし、システムの中枢に関する情報が存在するとすれば、それは、間違いなく、中央塔

――調律省本部の、さらに奥深くに眠っているはずだった。


だが、中央塔への正式なアクセス権限は、玲のような、一支局の調律士には与えられていなかった。

忍のような幹部に、気軽に会える立場でもない。

理由もなく面会を申し入れれば、かえって不審に思われかねなかった。


玲は、もっと地に足のついた方法を、探ることにした。


その日の勤務終わり、玲は椎名を呼び止めた。

廊下の窓から差し込む夕暮れの光が、二人の影を床に長く伸ばしていた。


「――支局長。少し、お時間、いただけますか」


椎名は、玲の様子に何かを察したように、僅かに目を細めた。


「――いいだろう。付き合ってやる」


二人は、支局近くの小さな酒場に足を運んだ。年季の入った木製のカウンター、天井から下がる、薄暗い照明。

奥の席に、二人は向かい合って座った。椎名は、手酌で酒を注ぎながら、玲の話を待っていた。


「――先日は、ご迷惑を、おかけしました」


玲は、まずそう切り出した。


「休養の件です。急に、施術を受けることになって、勤務にも穴を開けてしまいました」


「気にするな。誰にでも、あることだ」


椎名はそれだけ言うと、酒を一口、呷った。喉が鳴る、小さな音が、静かな店内に、微かに響いた。

玲は、しばらく、盃を指先で弄びながら続けた。


「――なぜ、自分が、あそこまでの反応を、示したのか。未だに、よくわからないんです」


その言葉に、椎名は何かを察したような、静かな目を玲に向けた。


「――天宮のことか」


玲は、僅かに、視線を、逸らした。それが答えだった。カウンターの木目を指先でなぞる。


「――想いを、告げたんです。断られました。それだけのことなのに、自分でも、驚くくらい、感情が、抑えられなくなって」


「――そういうことも、あるさ」


椎名は、静かにそう言った。責めるでも、慰めるでもない、淡々とした声だった。

玲は、その距離感に、幾分か救われるものを感じた。店の奥、他の客の、低い話し声と、グラスの触れ合う音が、二人の会話を、程よく覆い隠してくれていた。


酒が、二杯、三杯と、進む中、話題は、次第に、業務の話へと移っていった。


「――そういえば」


玲は、あくまで世間話の延長のように、切り出した。


「私たち、毎日、対象の感情を、数値やら、天候やらで、判断してますよね。研修で、空環がどうとか、習った記憶はあるんですけど。あれって、そもそも、どういう仕組みで動いてるんでしょうか」


椎名は、盃を、傾けたまま僅かに首を傾げた。


「――どういう意味だ」


「観測装置が、感情波を検知して、それを天候に変換する。その、大元の仕組みというか。国全体を統括してる、中枢みたいなものがどこかにあるはずですよね」


その問いに、椎名は少しの間黙り込んだ。

盃の水面に映る、照明の光をじっと見つめている。

それから、やや声を落として、答えた。


「――さあな。俺たち、末端の人間には、関係のない話だ。そういう根幹の仕組みは、中央塔の、それも、ごく一部の人間しか、知らされていないと聞く」


「――中央塔の、どのあたりに」


「知らん。俺も、噂程度にしか、聞いたことがない。ただ」


椎名は、盃を、テーブルに置いた。

こつん、と、乾いた音が響いた。


「――塔の、表には出てこない、特別な区画があるという話は、昔、聞いたことがある。上なのか、下なのか、それすらも俺は聞いたことがない。本当かどうかもわからんがな」


その言葉に、玲は、内心、鋭く、反応した。

だがそれを表には出さなかった。


「――そうですか」


玲は、それだけ相槌を打ち、酒を口に運んだ。

椎名の話は、噂の域を出ないものだったが、これまで、何一つ、掴めなかった手がかりの中では、確かな前進だった。


中央塔の、どこか

――表には出てこない、特別な区画。それが、上なのか、下なのか。

玲には、まだ判断がつかなかった。

だが、もしそれが地下深くに隠されているのだとすれば。

玲の脳裏に、四方を囲むように、地中に張り巡らされた何か巨大なものの気配が、漠然と浮かび上がった。


玲はその夜、酔いに紛れながらも、頭の中では、次に取るべき行動を、静かに組み立て始めていた。

窓の外、夜の帳が下りた七番区の空を、玲はしばらくの間見つめ続けていた。


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