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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第二部】第三章
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第五十話 「卒業」

集団棟での一日は、決まった時間割の中で、静かに過ぎていく。


朝は、規則正しい起床の合図と共に始まる。

簡素な朝食、点呼、そして作業場での一日。

夕方には、再び簡素な夕食が配られ、消灯前には、必ず、全員が一列に並ばされる。


そこで、施術が行われる。


専用の器具を、一人ずつ、額に当てられる。

意識が、僅かに霞むような感覚。

それが終わると、その日一日の感情の昂ぶりが、綺麗に均されていく。

灯は、その儀式的な工程に、いつしか慣れ始めていた。

抵抗する気力すら、日々の繰り返しの中で少しずつ、擦り減っているようだった。


ある日、集団棟の広間に、いつもとは違う、華やいだ空気が漂っていた。


「――今日は、伊織ちゃんの、卒業のお祝いなんだって」


六花が灯に、そう耳打ちした。

広間の中央には、簡素な花が飾られ、小学生ほどの年頃の伊織という名の少女が、皆の視線を一身に集めていた。


「卒業、って」


「反応が、完全に、消えたってこと。だから、ここを出られるらしい」


その言葉に、灯は、複雑な思いを抱いた。

この施設から出られる

――それは、本来喜ばしいことのはずだった。


伊織は、広間の中央で皆に見守られながら、ただ、静かに、微笑んでいた。


だが、その微笑みには、何かが、決定的に欠けていた。

目は、笑っているはずなのに、その奥に、何の光も宿っていない。まるで精巧に作られた、人形のような微笑み。

灯は、その表情から彼女の感情をまったく読み取ることができなかった。


周りにいる若い収容者たちの何人かは、その光景に、憧れにも似た眼差しを向けていた。


「――いいな、伊織ちゃん。頑張れば、私たちも、いつか」


そんな声が、あちこちから漏れ聞こえてくる。だが、その一方で、年配の収容者たちの表情は、一様に、重く、曇っていた。

誰もが、目を伏せ、その"祝いの席"から視線を逸らそうとしているようだった。


その対比に、灯は強い違和感を覚えた。喜ぶべきはずの卒業に、なぜ、大人たちはこれほどまでに暗い顔をするのか。


灯は、隣にいた、以前、少し言葉を交わしたことのある年配の女性に、そっと声をかけた。


「――あの、どうして、皆さん、あまり嬉しそうじゃないんですか」


女性は、しばらく沈黙していた。それから、声を極限まで潜めて、答えた。


「――あれは、出来上がってしまったんだよ」


「出来上がった、って」


「感情を完全に無くした子」


女性の声には、諦めと、それでも消えない憐れみが入り混じっていた。


「――あの子が、ここを出て、どこに行くか。知ってるかい」


灯は、首を振った。女性は、灯の耳元に、さらに顔を近づけた。


「外国に、売られるんだよ。貴族の、従順なお人形として」


その言葉に、灯は息を呑んだ。全身から、血の気が引いていくのを感じた。


「――そんな」


「感情のない、完璧に従順な人形。貴族たちにとっちゃ、この上ない、贅沢品なのさ。この国は、そうやって、"卒業生"を外貨と引き換えに、差し出してる」


女性はそれだけ言うと、それ以上は語らなかった。灯は、広間の中央で、微笑み続ける伊織の姿を、もう一度見つめた。あの、空虚な微笑みの意味を、灯はようやく、理解した。


その夜、灯は簡素な寝台の上で、天井を見つめ続けていた。


この国が抱える、あまりにも深い闇。

感情を管理するという建前の裏で、行われている、非道な取引。

灯はこれまで、自分の身に起きたことだけを悲劇だと思っていた。

だが、この施設には、それよりも、遥かに、恐ろしい現実が静かに横たわっていた。


――私も、いつか、ああなってしまうのだろうか。


その恐怖が、灯の胸に、重くのしかかった。

隣で眠る六花の寝顔を、灯はそっと見つめた。

この優しい友人もまた、同じ未来に晒されているのだという事実が、灯の心をさらに、深く締め付けた。


窓のない部屋、その暗闇の中で、灯は、消えることのない小さな灯りを、必死に胸の内に灯し続けていた。



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