表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第二部】第三章
PR
49/94

第四十九話「山越えの道」

翌朝、晴は、日の出と共に宿を発った。


旅籠の主人に、山道の大まかな道筋を尋ね、荷を整え直す。

水と、僅かな食料、そして蒼一郎から託された記録

――それだけを背負い、晴は、東の山並みへと足を向けた。

宿場町の朝は、まだ、うっすらと霧がかかっていた。人影のない通りに、晴の足音だけが乾いて響いた。


町を抜けると、道は、次第に、細く、険しくなっていった。

舗装は、とうに途切れ、剥き出しの土と岩が行く手を阻む。

木々は、七番区周辺のものよりも、いっそう鬱蒼と生い茂り、日差しを遮っていた。

頭上を覆う枝葉の隙間から、光が、点々と、地面に模様を描いている。

時折、鳥の甲高い鳴き声が、頭上から降ってくる以外、あたりは不気味なほど、静かだった。

土の匂い、朽ち葉の匂いが、湿った空気に、重く滲んでいた。


昼を過ぎた頃、晴は、山道の途中、開けた場所に差し掛かった。

切り立った崖に沿って細い道が続いている。

眼下には、深い谷が口を開けていた。

谷底からは、微かに、川の流れる音が、風に乗って、聞こえてくる。

晴は、額の汗を拭いながら、一度足を止め、荷の位置を、背中で確かめ直した。


その時だった。

前方の茂みから、複数の人影が、音もなく現れた。


「――止まれ」


先頭に立つ、体格の良い男がそう告げた。

日に焼けた浅黒い肌、無精髭に覆われた顎。

手には、粗末だが、鋭く研がれた刃物が握られている。


周囲を囲むように、他の人影も、次々と、姿を現した。

数は五人ほどだった。

誰もが、薄汚れた布を、体に巻きつけるようにして纏い、剥き出しの目だけが、鋭く、こちらを、値踏みするように見つめていた。


晴は、反射的に身構えた。

玲や御者から聞いていた、賊の噂

――それが、今、目の前に、現実として立ちはだかっていた。

心臓が、耳の奥で、激しく鼓動を打っていた。


「――荷物を、置いていけ。それで、見逃してやる」


男の声は、低く、威圧的だった。

晴は、その場から、後ずさりながら、慎重に、言葉を選んだ。

周囲を取り囲む男たちの輪が、じわじわと、狭まっていくのを、晴は、肌で感じ取っていた。


「待ってください。俺は、」


だが、その言葉は、最後まで続かなかった。

男の一人が、無言のまま、晴の背後に、いつの間にか、回り込んでいたのだ。

足音一つ、立てずに。


「――っ!」


腕を、背後から、強く捻り上げられた。

関節が、軋むような痛みを訴える。

晴は、痛みに、思わず声を上げた。

体勢を崩したところを、別の男が、鳩尾に、拳を叩き込む。

息が、一瞬、止まった。

胃の腑から、酸っぱいものが、込み上げてくる感覚があった。


「大人しくしてろ」


抵抗しようと、もがいた晴の頭に、何か固いものが振り下ろされた。

鈍い衝撃と共に、視界が、瞬時に、白く霞んだ。

耳鳴りが、頭の中でけたたましく鳴り響いた。


背負っていた荷が、乱暴に、引き剥がされる感触。

蒼一郎から託された、あの記録

――その重みが、腕から、消えていくのを、晴は、朧げに感じ取っていた。

地面に頬が擦れる感触。

土の匂いが鼻をついた。


――待て。それだけは。


声にならない叫びが、晴の中で、空しく、響いた。

だが、体は、もう、思うように動かなかった。

指先すら、まともに動かせなかった。


「――ちっ、思ったより、元気な奴だな」


誰かの声が、遠くから聞こえた気がした。

それを最後に、晴の意識は、深い闇の中へと、急速に沈み込んでいった。


次に、意識が戻った時、晴は、揺れる感覚の中にいた。


目を開けようとしても、まぶたが、鉛のように重い。頭の奥に、鈍い痛みが、絶えず、響いている。

ずきん、ずきんと、脈打つような痛みが、こめかみのあたりに集中していた。

体は、何か、硬いものの上に、横たえられているようだった。

荷車か、担架のようなそんな感触。

木の板が、体の下で、ごとごとと、規則正しく揺れている。


周囲から、複数の足音と、押し殺した話し声が、聞こえてくる。


「――まだ、目、覚めねえのか」


「頭、強く殴りすぎたんじゃねえか」


「知るか。アジトに着くまで、大人しくしてりゃいい」


その会話の断片を、晴は、朦朧とした意識の中で、辛うじて拾い集めていた。

アジト、という言葉だけが、頭の中に、重く、残った。揺れは、なおも続いていた。


木々の隙間から漏れる光が、閉じたまぶたの上を、点々と、通り過ぎていく。

時折、木の葉が、体の上に、はらはらと、落ちてくる感触があった。遠くで、鳥の鳴き声が、一際、甲高く、響いた。晴は、抗うこともできないまま、再び、意識の底へと引きずり込まれていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ