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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第一部】第四章
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第三十話 「踏み込まれた夜」

居間には、まだ、三人がいた。

晴が灯に危険指定のことを伝えてから、それほど時間は経っていなかった。


環の淹れ直した茶が、湯呑みの中で、まだ湯気を立てている。

危険指定の一件以来、三人で過ごす時間は、これまで以上に、大切なものになっていた。

ぽつぽつと交わされる、他愛のない会話

――そうした、ごく普通の時間の一つ一つが、今は、かけがえのないものとして、晴の中に刻まれていた。

窓の外は、すっかり夜の闇に沈み、居間には、ランプの淡い光と、湯呑みから立ち上る湯気だけが、静かに満ちていた。


「――お茶、まだありますから」


環がそう言って、晴の湯呑みに、そっと注ぎ足した。

晴は、その温もりを、両手で包むように受け取った。

灯は、隣で、少しだけ目を伏せたまま、湯呑みの縁を、指先でなぞっていた。


このまま、時間が止まってしまえばいい。

晴は、そんな、叶うはずのない願いを、静かに抱いていた。



その静けさを破ったのは、玄関先に響いた、いくつもの足音だった。


規則正しく、けれど、重い。

それは、日常の中にはない種類の足音だった。

晴は、湯呑みを持つ手を止めた。

灯の表情が、瞬時に強張った。

環もまた、はっと顔を上げ、玄関の方を振り返った。


次の瞬間、玄関の扉が、乱暴に叩かれた。

木製の扉が、その衝撃に、びりびりと震えた。


「調律省です。氷雨灯、開けなさい」


その声に、居間の空気が、凍りついた。

環が、椅子から立ち上がり、玄関へと向かおうとした。

だが、それより早く、扉は、外から強引に開けられた。

蝶番が軋む、耳障りな音が響いた。


制服姿の調律省職員が、数名、雪崩れ込むように、家の中に入ってきた。手には、拘束具に似た、小型の器具が握られている。

土足のまま、廊下を踏み荒らす足音が、居間にまで、生々しく届いた。


「――待ってください!」


晴は、反射的に、灯の前に立ちはだかった。

テーブルが、その勢いで、僅かに揺れ、湯呑みの茶が、小さくこぼれた。


「専属監視官の天宮です。この対応には、正規の手続きが」


「今回の任務に、専属監視官の許可は不要です」


先頭の職員が、感情のこもらない声で、そう告げた。

晴の脇を、他の職員たちが、素早くすり抜けていく。



「灯!」


晴が叫ぶより早く、二人の職員が、灯の両腕を掴んだ。

灯の頭上に、これまで見たことのない、激しい雷雲が、瞬時に広がった。

天井の低い居間の中にすら、その気配が、肌にひりつくほど、はっきりと感じられた。


「離して!!」


灯の悲鳴に近い声が、居間に響いた。

晴は、灯を掴む職員に、体ごとぶつかっていった。

椅子が、大きな音を立てて、床に倒れた。


「――離せ!!」


晴の力に、一瞬、職員の手が緩んだ。

だが、その隙を、別の職員が見逃さなかった。

晴は、背後から、両腕を強く拘束された。

関節が、軋むような痛みを訴えた。


「専属監視官が、任務の妨害行為を行っています。確保してください」


冷たい声とともに、晴の腕に、金属製の拘束具が、はめられた。

ひんやりとした感触が、皮膚に食い込む。

抵抗しようともがく晴の耳に、環の叫び声が届いた。


「やめて!お願いだから、その子に手を出さないで!」


環が、職員の一人にすがりつこうとしたが、あっさりと押しのけられた。

その体が、床に、力なく崩れ落ちた。


「晴さん!晴さん!!」


連れ出されていく灯が、必死に、晴の名を呼んだ。

晴は、拘束されたまま、それでも、灯の方へ、体を伸ばそうとした。

肩が、拘束具の縁に、鈍い痛みを訴えた。


「灯、大丈夫だ!必ず、迎えに行く!」


その声が届いたのかどうか、晴にはわからなかった。

灯の姿は、あっという間に、玄関の外へと連れ出されていった。

頭上には、これ以上ないほどの、激しい嵐の色が渦巻いていた。


居間には、拘束された晴と、床に崩れ落ちるように座り込んだ環だけが、残された。

ランプの灯りが、静かに揺れていた。

テーブルの上には、こぼれた茶の染みと、倒れたままの椅子だけが、先ほどまでの穏やかな時間の残骸として、取り残されていた。


「――なぜ、こんな」


晴は、拘束具に、意味もなく力を込めた。

だが、それは、微動だにしなかった。

金属の冷たさだけが、ますます、皮膚に食い込んでいく。


窓の外、七番区の夜空は、これまで見たことのないほど、激しい雨に、覆われ始めていた。

それは、灯の感情そのものが、空に叩きつけられているかのような、荒々しい雨だった。

雨音は、屋根を、壁を、容赦なく打ち続けていた。


第一部 -完-




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