第二十話 「隔離計画」
玲が中央塔に呼び出されたのは、灯の監視チームに加わってから、二週間ほど経った頃だった。
通達には、忍の名前だけが記されていた。
晴が以前、同じような呼び出しを受けていたことを、玲は知っていた。
だが、それが自分に向けられるとは、思ってもみなかった。
支局から中央塔へ向かうバスの中、玲は窓の外を流れる街並みを眺めながら、何度も自分の勤務記録を頭の中で反芻していた。
何か落ち度があっただろうか、規定を逸脱するような行動を取っただろうか
――思い当たる節を探しても、答えは出なかった。
最上階近くの応接室、重厚な扉を開けると、忍は窓際に立っていた。
濃紺の礼服に金の刺繍が施された背中が、窓から差し込む光を受けて、静かに浮かび上がっている。
壁には、晴が以前目にしたのと同じ、この国の古い地図と歴代長官の肖像画が掛けられていた。部屋の空気は、ひんやりと冷たく、玲は自然と背筋を伸ばした。
「白鷺玲、です」
「知っている。座れ」
忍は、振り返ることなく答えた。
玲は、指示通り、勧められた椅子に腰を下ろした。革張りの椅子は、重厚で、座るとわずかに沈み込む感触があった。
しばらくの沈黙の後、忍はようやく机の方へと戻り、玲の正面に腰を下ろした。
半眼の奥、深い黒褐色の瞳が、値踏みするように玲を見つめている。
「氷雨灯の監視チームに、志願で加わったそうだな」
「はい」
「理由は」
玲は、一瞬、言葉を選んだ。
机の上に置かれた自分の手を、無意識のうちに握りしめる。
「単独態勢の限界を感じたためです。天宮一人では、対象の複雑化する反応に対応しきれないと判断しました」
「建前は結構だ」
忍の声は、低く、静かだった。
だが、その静けさの奥に、有無を言わさない圧力が滲んでいた。
窓の外、遠くに見える七番区の方角に、忍は一瞬だけ視線を移した。
「天宮を、見張りたかったんだろう」
その指摘に、玲は、僅かに息を詰めた。
反論の言葉は、すぐには出てこなかった。
部屋の静けさが、いっそう重く感じられた。
「単刀直入に言おう」
忍は、机の上で両手を組んだ。
指の関節が、微かに音を立てた。
「氷雨灯について、上層部は、次の段階への移行を検討し始めている」
「――次の段階、というのは」
忍は、しばらく玲の顔を見つめていた。
値踏みするような、それでいて、何かを試すような視線だった。
窓から差し込む光の角度が変わり、忍の顔の半分に、深い陰影を落とした。
「対象の反応が、今後さらに複雑化・大規模化した場合、通常の監視体制では対応が困難になる。その場合、対象を国家の管理下に完全に置く――つまり、隔離施設への収容が、選択肢として上がっている」
その言葉に、玲の頭上に、はっきりとした灰色の靄が広がった。
応接室の照明の下、それは、誰の目にも明らかなほどの反応だった。
忍は、その変化を、微動だにせず、静かに観察していた。
まるで、玲自身の反応もまた、一つの観測対象であるかのように。
「隔離、というのは、具体的に、どのような」
「詳細は、まだお前が知る立場にない。ただ、覚えておけ。この計画が実行に移る時、専属監視チームの人間には、対象の身柄確保に協力する義務が生じる」
玲は、言葉を失った。
灯を、力ずくで連れ去ることに、自分が加担する立場になるかもしれない
――その想像は、玲の胸に、鋭い痛みを伴って突き刺さった。
膝の上で組んだ手に、無意識のうちに力がこもる。
「なぜ、私にこの話を」
玲は、ようやく、その問いを口にした。
忍は、僅かに口の端を歪めた。
それが笑みなのか、別の何かなのか、玲には判別がつかなかった。
「天宮に、伝える気か、伝えないか。それを見極めたかった」
その言葉に、玲は、自分が試されていたことを悟った。
忍は、玲と晴の関係――同期であり、玲が晴に個人的な感情を抱いていることまで、おそらく把握している。
その上で、この情報をあえて玲に伝えることで、玲がどう動くかを観察しているのだった。背筋に、冷たいものが走った。
「もし、私が天宮に伝えたら」
「それは、お前の判断だ。ただし」
忍は、玲の目を、まっすぐに見据えた。
その視線は、これまでのどの上司からも向けられたことのない、底の見えない圧力を持っていた。
「情報漏洩と見なされれば、お前自身の立場も、無事では済まない。それだけは、覚えておくことだ」
その言葉は、明確な脅しだった。
玲は、何も言い返せなかった。
応接室の重い扉の向こうから、微かに、他の職員の足音が聞こえてくる。
それ以外は、時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いていた。
中央塔を出た玲は、しばらく、街を見下ろす回廊に立ち尽くしていた。
石造りの回廊には、等間隔に窓が並び、そこから吹き込む風が、玲のプラチナブロンドの後れ毛を、静かに揺らしていた。
夕暮れの光が、七番区の方角を、橙色に染めている。
灯が今頃、学園から家に帰る道を歩いているであろう時間だった。
玲は、自分の胸に、静かに問いかけた。
もし、この情報を晴に伝えれば、晴は、間違いなく行動を起こすだろう。
灯を守るために、規定を無視してでも、何かをしようとするに違いない。
そしてそれは、晴自身の立場を、決定的に危うくすることになる。
だが、伝えなければ――計画が実行に移された時、灯は、何の心構えもないまま、突然、その手に捕らえられることになる。
玲は、自分の頭上にかかる灰色の靄を、ぼんやりと見上げた。
規律を守るべきか、それとも、誰かを守るべきか。
その二つの間で、玲の心は、これまでにないほど激しく揺れ動いていた。
回廊の下、支局へと戻る職員たちの姿が、豆粒のように小さく見えた。
――私が黙っていれば、晴は幸せなのかな。
以前、自分自身に問いかけた言葉が、今、まったく違う重みを持って、玲の胸に蘇っていた。
あの時の"幸せ"は、晴が灯から離れて、平穏な日常に戻ることを意味していた。
だが今、玲の中にある想いは、もっと複雑なものに変わっていた。
晴の幸せは、もう、灯のいない場所には、ないのかもしれない。
その気づきは、玲にとって、これまでで最も苦しい、けれど同時に、どこか静かな覚悟を伴うものだった。
玲は、夕暮れの空を見上げたまま、しばらくその場を動けずにいた。
風が、彼女の頬を、冷たく撫でていった。




