第9話
・
・
・
エリシアがいなくなって半年。
諸国から『いやな奴らの住む、いやな国』と煙たがられつつも、絶大な国力を持つ大国バロンディーレは異様な姿に変貌していた。
まず、町がおかしい。
人々の動きは緩慢で、活気がない。
老若男女、みんな目が淀んでいる
外国から商人がやって来てコミュニケーションをとろうとするが、まともな言葉のやり取りが成立せず、人によっては突然殴りかかってくることもあった。そんな有様で交易などできるはずもなく、今では一人の商人もこの国を訪れないようになった。
だがどういうわけか、バロンディーレの国民の間でだけは、社会生活が成立しているのである。みんな『あ゛ぁー』だの『う゛ぅー』だの、呻き声くらいしか上げられないのに、仕事をし、学校へ行き、食事をとり、寝る。まるで、ゾンビの町であった。
次におかしいのは軍隊だ。
他国が最も恐れているのはバロンディーレの軍事力。普通の国家の三倍はいる強力な兵隊たちは、今日も今日とて厳しい鍛錬に励んでいる……のだが、その鍛錬方法がおかしい。
紅白に分かれて模擬戦をやっているのだが、実戦用の武具を使用し、明らかに殺し合いをしているのである。模擬戦用の剣や槍ではないので、腕が飛び、足が飛び、首も飛ぶ。血しぶきが舞う。それなのに、みんなゲラゲラと笑っているのだ。しかも、それを連日連夜繰り返す。どう考えても、狂気の沙汰である。
もっともおかしいのは王宮だ。
かつて、諸外国から『住んでいる人間の心は醜いが、この宮殿だけは本当に美しい』と謳われた白亜のバロンディーレ王宮が、真っ黒に染まっているのである。
単に壁が黒いとか、柱が黒いとかそういう感じではなく、ドロドロの汚物のようなものがあちこちにへばりついていて、さらに煮沸されているかのように、時折ボコ……ボコッと気泡が発生しているのだ。
それでも『王宮が黒くなった』程度のことはまだ序の口に過ぎない。これまで豪奢な衣装を身にまとい、王宮内の執務室に鎮座していた大臣たちは、どこで手に入れたのか知らないが魔獣の皮を被り、魔獣の骨の上に跨っているのである。
彼らの口は常に開きっぱなし。端からは尋常でない量のよだれが垂れ、歯は人間のものとは思えないほど尖っている。頭には、無理やり埋め込んだようなツノまである。その風貌を見た者に『何に似ている?』と尋ねれば、十人中十人がこう答えるだろう。『悪魔』と。
そんな地獄のような国で、かろうじて正気を保っている人間が数名いた。あのベルクトズス王と聖女フレデリカ。そして最側近の従騎士二名。……つまり、たったの四名である。
いつもは自信満々、傲慢を絵にかいたようなベルクトズス王も流石に怯えと焦り、そして苛立ちを見せ、これまで一度も叱責したことのなかった可愛いフレデリカに厳しい言葉を投げかけた。
「フレデリカ、どうなってる!? 我が美しきバロンディーレの現在の惨状はどういうことだ!? お前が『魔』の力を祓っているのではないのか!?」
フレデリカは答えなかった。
別に無視しているわけではない。
ベルクトズスの質問に答えられないのだ。
だって、フレデリカにも何が起こっているのかよくわからないから。
フレデリカは名門魔導師の一族の中でも、歴代最高と言われるほどの才能の持ち主。『よく分からない神託』とやらで貧民街出身の『よく分からない女』が聖女に選ばれたが、本来なら自分が聖女になって当然だと思っていた。その当然の役職に自分が就いた今、この国はもっと良くなる。
そう思っていた。
本気で、そう思っていた。
だが、聖女に就任してすぐに気づいたのは、このバロンディーレを包む『魔』の力が、尋常でないほど強いことだった。フレデリカは決して馬鹿ではなく、その時点で恐るべき未来をある程度予見できたはずだった。
すぐにベルクトズス王に『私一人では無理です。諸外国から賢者を招集しましょう』と進言すれば、あるいは最悪の事態は避けられたかもしれない。
しかし、『名門一族で歴代最高の天才』という自負とプライドが『他者に頼る』という道を拒んだ。そして不幸なことに、数ヶ月程度なら強大な『魔』の力を何とか押さえ込めてしまうだけの実力がフレデリカにはあった。だから、初期段階で有効な一手を打てず、バロンディーレはぐずぐずと『魔』に侵食されていったのである。
何も答えないフレデリカに、ベルクトズスは更なる怒りを爆発させた。
「なんとか言え! この役立たずが! お前と比べたら、あの『無能』のエリシアの方がよっぽど役に立ったぞ! 奴が聖女を務めている間は、こんなことは起こらなかったからな!」
エリシアの名を聞き、フレデリカの脳裏にいつかの言葉がよみがえる。
『フレデリカ様。もう無理だと思ったら、意地を張らずにお逃げくださいませ』
彼女が伝えたかったのは、こういうことだったのか。




