第5話
そんな思いがエリシアの目に浮かんでいたに違いない。
金髪の青年は手を広げるようにして疑問に答えた。
「確かにあの鹿は野生の鹿だ。誰のものでもない。しかしこの森は、俺の所有する土地なんだ。さっきは『散策』って言ったけど、正確には所有地の見回りをしてたのさ。だから、その所有地に住まう鹿をきみが救ってくれた以上、俺はきみに礼をするべきだと思うんだよ」
ホラ話にしてはスケールが大きすぎて、エリシアはめずらしく笑みを見せた。この森は相当に大きい、どんな大地主でも、一般人が森全体を所有することなどできはしない。この森すべてを掌握しているとしたら、この辺り一帯を統治しているモラスケイン王国の国王くらいだろう。
なので、エリシアはホラ話につきあうように冗談めかした言葉を返した。
「ではあなたは、モラスケイン王国の国王様なのですか?」
金髪の青年はその問いを笑うことなく、先程のように大きく頷いた。
「ああ。名乗るのが遅れて済まない。俺はモラスケイン王国の王、フェルディナントだ」
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そしてエリシアは、モラスケイン王国に賓客として招かれた。
あの悪名高い大国バロンディーレの元聖女ということで、国民の反発は必至かと思われたが、信任厚き若き王フェルディナントによって、エリシアが追放された経緯と、森で自らの身を犠牲にしてまで鹿を救った話が周知されたことで、反発半分、歓迎半分といったムードだった。
普通の賓客なら、半分の国民に反発されたら『何だこの国は』と不快感を覚えるだろう。しかし、これまでバロンディーレのすべてから侮蔑されてきたエリシアにとっては、反発者が"たったの"半分で(それも、バロンディーレの悪評を考えれば無理もないことだ)、自分を歓迎してくれる人々が半分もいるという事実は、とてつもなく温かいことだった。
それでも、フェルディナントにとっては半ば強引に来てもらった賓客であるエリシアに対し、自国の民が半分も反発しているのは心苦しかった。エリシアに与えた立派な客間で二人きりとなり、静かに頭を下げる。
「嫌な思いをさせてすまない、聖女様。我がモラスケインの善良なる民なら、皆きみのことを歓待してくれると思ったのだが、少し当てが外れた」
バロンディーレで着ていた粗末なドレスとは比較にもならない最上級のドレスを与えられたエリシアは、高級品の慣れない肌触りに落ち着きのなさを覚えつつも、首を左右に振って微笑した。
「とんでもございません、フェルディナント様。バロンディーレの悪評を考えれば、半分もの人々が私を歓待してくれることは光栄の極みです。反発している人々の思いも当然のこと。私こそ、彼らに嫌な思いをさせて申し訳なく思っています」
「その謙虚さと優しい心根。反発している者たちにも、すぐに届くだろう。鹿は我が国の国獣。身を挺してそれを救ったきみのことを、すでにほとんどの民は好意的に思っているんだ。それでもなお、バロンディーレに対する嫌悪感は大きいのだな。きみは奴らから酷い扱いを受けてきた被害者なのだが……」
「ある意味バロンディーレの象徴である『聖女』が、ずっと侮蔑的な扱いを受けていただなんて、国民の皆さんには分かりようがありませんもの。話を聞いても、にわかには信じがたいでしょうし、無理もありませんわ」
「そうだな。正直言って、俺にとっても信じがたい話だ。自分たちの国に多大な恩恵を与え、懸命に皆を守護してくれている聖女をたかが『生まれの問題』で差別し、侮蔑し、挙句の果てに追放とは。奴らの考えていることはさっぱりわからん。まあ、あんな差別的な連中の考えなどわかりたくもないが」
本当に、この若き王の実直な物言いには何度も驚かされる。彼は"たかが『生まれの問題』"と言ったが、その"たかが『生まれの問題』"が、バロンディーレではあらゆる正当な理屈よりも重要なことなのだ。
バロンディーレで生まれ育ったエリシアにとって、自らが貧民街の出身であるという『生まれの問題』は、生まれながらに押された『劣等種の烙印』であり、いかなる努力、いかなる誠意をもってしても変えようのない事実だった。
こんなのは間違っていると理屈では分かっていても、幼い頃から刷り込まれてきた価値観はそう簡単には変わらない。だがフェルディナントは、そんな価値観をいともたやすく打ち砕いてくれる。エリシアは生まれて初めて、他人を頼もしく思った。
だがそれでも、エリシアは『人生』や『他人』に期待することはない。彼女の瞳に映っているのは、やはり『虚無』だ。だから簡単に、人の善意を信じたりしない。
フェルディナントは善良な人物だが、何の目的もなしにエリシアを賓客として迎え入れたわけではないはず。鹿を救ったエリシアの力を見込み、何か頼みたいことがあるのだろう。追放され、浮浪者同然の自分を『聖女様』と持ち上げるのもきっとそのためだ。




