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聖女を追放した国で地獄の門が開きました。すべてはもう手遅れです  作者: 小平ニコ


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第3話

 聖女の務めを果たすため、この十年間一度も国から出たことなどなかったので、旅をしたいという願望はあった。しかし、いざ実際に旅を初めてみると、自分には行きたいところも、会いたい人もいないことに気づいて愕然とする。どうやら『旅を楽しむ』のにもある程度は才能がいるらしい。


「その才能が、私にはないみたいね」


 エリシアは立ち止まり、青い空を見上げて一人呟いた。そもそも『気まま』に生きるというのが、頑固なほどに真面目で、責任感の強いエリシアにとっては難しかった。こういうタイプの人間にとって良い人生とは、のんびり楽しく暮らすことより、毎日キッチリと自分の責任を果たしていく――ということなのかもしれない。


 しかし、今の自分には果たすべき責任がない。かといって、バロンディーレに戻って再び聖女をやりたいとは思わない(あのベルクトズス王がやらせてくれるはずもないが)。宙ぶらりんな気持ちのまま、旅を続けるエリシア。その間に、新しい夢や目標が見つかることを願って……


 その旅の最中。小さな森の街道で、エリシアは不意に足を止めた。動物の悲鳴が聞こえたからだ。一瞬空耳かと思ったが、その場でじっくりと耳をそばだてると、今度は先程よりもはっきりと聞こえてくる。


 魔物や野盗がいるかもしれないので、街道を外れるのが危険なことはわかっているが、それでも聞こえなかったふりをして旅を続けることはできず、森の暗がりへと進んでいく。


 いた。


 水たまりと言っても差し支えない程度の泉のそばに、鹿がうずくまっている。姿かたちから、オスの成獣だとは思うが、それにしては弱々しい風貌だった。


 よく観察すると、その体は邪気に侵食されていた。邪気――分かりやすく言うと『魔の呪い』の力である。邪気は悪い土地から溢れだし、生き物の体を脅かすこともあれば、魔物自身の意思で他者に憑りつき、その命を削ることもある。今回の場合は、恐らく土地から溢れた邪気がこの鹿の体を蝕んだのだろう。


 邪気の浄化は単純な呪いの解除よりはるかに難しい。それが可能なのは高位の賢者か、聖女と呼ばれるほどの特別な魔法使いのみ。しかも、浄化の際に邪気そのものを自らの体に吸収する必要があり、強い苦痛を伴う。


 しかしエリシアは、ためらうことなく鹿の邪気を浄化した。"新雪のように白い"手袋を外し、露になった黒い手で鹿に触れると、邪気をその身に吸い上げていく。


「う……っ、ぐ……っ」


 奥歯を噛んで堪えるが、やはり苦痛の声が漏れる。当然だろう。邪気の吸収は体の内側から針で刺されるような激烈な痛みを伴う。それを涼しい顔でやり過ごせる人間など存在しない。これでも、声を抑えている方である。


 浄化が終わると、鹿はこれまでの衰弱が嘘のように元気になった。現金なもので、これまでは逃げ出す力もなかったのが、体が元気になると、途端にエリシアを警戒してどこかに行ってしまった。


「良かった。元気になって……」


 茂みの奥に消えていくその後姿を、エリシアは安堵の気持ちと共に見守った。別に感謝してほしかったわけではない。弱っていた動物が元気になった、それだけで充分だった。


 その時、鹿が消えたのとは反対の茂みがガサリと音を立てる。


 エリシアの心に本能的な戦慄が走る。その音は、一匹の動物がやってきたものとは明らかに違い、複数の人間がたてたものだと瞬時に理解したからだ。


 こんな森の暗がりに集団で活動している人間と言えば、野盗くらいしか思いつかない。強い魔力を持つエリシアではあるが、攻撃魔法はせいぜい護身程度のレベルでしか使えない。凶悪な野盗に複数で襲い掛かられたら、とても太刀打ちできないだろう。


 ゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る音の方を見る。予想通り、そこには三人の男がいた。予想と違ったのは、彼らは非常に整った身なりをしており、野盗とは程遠い姿であったことだった。


 不思議なのは、三人の中で最も若い金髪の青年が、最も格式高い格好をしていることだ。残りの二人は青年より一回り以上年上だが、青年のわきに控えるようにしている。これではまるで従者だ。


 ……いや『まるで従者』ではなく、彼らは本当に青年の従者に違いない。なんとなく状況が飲み込めてきた。恐らくどこかの国の貴族か何かが、この森で狩り――あるいは散策を楽しんでいて、偶然この場に居合わせたのだろう。


 互いになんて声をかけていいか迷うような沈黙が少しだけ続いた後、金髪の青年は照れ隠しのように髪をかき上げるような仕草をしてエリシアに微笑みかける。


「すまない。驚かせてしまったようだな。俺たちは怪しいもんじゃないよ。えっと、その、なんて言うのかな。天気もいいことだし、三人で森を散策してたんだ」


 いい大人が、天気がいいという理由だけで森を散策したりするものだろうかとエリシアは思ったが、ひとまずは彼らが突然襲い掛かってくるような悪漢ではなかったことに安堵し、小さく会釈して言葉を返す。


「そうでしたか。こちらこそすいません、初対面の方に対し、明らかに警戒するような態度を取ってしまって」

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