第2話
エリシアは今更、この連中を責める気はなかった。
ただ、もう縁を切りたかった。
だから、聖女に与えられるものとしてはあまりに粗末なドレスの裾を両手でつまみ、最上級の別れの挨拶をして、この場を去ることにした。
「それでは"魔物同然の"私は失礼いたします。皆さま、ごきげんよう」
そして軽やかに身を翻し、毅然と歩いて行く。
やっと自由になれた――
誰にも感謝されぬ過酷な聖女の役目。それを務め続けたのは、ひとえにエリシアの強い正義感と責任感によるもの。追放されない限り、エリシアは自分から逃げ出すことを選んだりしなかったはずだ。
自らの後釜であるフレデリカが現れなければ、もしかしたら自分は死ぬまで『聖女という名の牢獄』に囚われていたかもしれない。そう思うと、少しだけフレデリカに対して感謝の気持ちがわいた。だから一度だけ振り返り、"先輩として"彼女にアドバイスを送る。
「フレデリカ様。『もう無理だ』と思ったら、意地を張らずにお逃げくださいませ」
それは純粋な親切心からの忠告だったのだが、『お逃げくださいませ』というフレーズがフレデリカの自尊心を大いに傷つけたらしく、彼女は端正な眉間にしわを寄せて激昂した。
「逃げるですって!? この私がそんな情けない選択をするはずがないでしょう! 単に前任の聖女であったというだけで、私の先輩にでもなったつもり? 早く、どこへなりと消えなさい!」
「これは大変失礼いたしました。それでは」
もう少し良い言い方があったかな。いや、見下している自分に何を言われても、きっとフレデリカは激怒しただろう。とにもかくにも忠告したことで義理は果たした。もう、こんな国も、こんな国の人々のことも忘れよう。
エリシアつかつかと歩き、王の間を後にする。
可愛いフレデリカを侮辱されたと思ったのか、背後でベルクトズス王が何やら喚いているが、別にどうでも良かった。もう関係ない国の、もう関係ない王の言うことだ。知覚する必要もない。
聖女はいずれ王の伴侶となる決まりとはいえ、よくもあのような男と婚約していたものだと思う。これで縁が切れたのだから、やはりフレデリカには感謝しなければ。
無駄に大きな城門をくぐり、国を出ていくエリシアを惜しむ者は一人もいない。民衆も『惨めな元聖女』を指をさして笑っている。馬鹿な子供が一人、小石を投げつけてきた。それが肩に当たる。まあ、痛いことは痛い。しかし過酷な聖女の役目に比べれば、こんなもの蚊に刺された程度のことですらない。
エリシアは子供の方を見て微笑した。
「人に石を投げるようなことをしていると、いつか自分に戻ってくるわよ」
別に、脅しのつもりで言った言葉ではなかった。『他人に対する攻撃性は無用な争いを産み、いつかは別の誰かにあなたが攻撃されるからやめた方がいい』と伝えたかったのだが、石をぶつけられても笑っているエリシアの底知れない余裕に、みんな怖がって逃げてしまった。
「人を傷つけることは平気でするのに、少しでも怖いと逃げるのね」
呆れとも、憐れみともつかぬ言葉を一人漏らし、エリシアは国を去る。大きな重りがなくなったかのような解放感。エリシアは、真の意味で自由になった。
それとほとんど時を同じくして、王城の地下深く。エリシアが毎日祈りを捧げていた祭壇の柱に、ぴしりとヒビが入る。ヒビは少しずつ広がり、やがて1センチメートルほどの裂け目となった。それ以上裂け目が広がるようなことはなく、何でもないことのように思える。
しかし、そのわずかな裂け目から声がした。
「邪魔者が消えたな……あと少し……あと少しだ……」
地獄の底から響くような、おぞましい声だった。
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バロンディーレ王国を出たエリシアは、小さな村に立ち寄り長い手袋を買い求めた。黒く染まった自らの手を恥じはしないが、他人が見れば不気味に思うだろうから、覆い隠しておこうと思ったのだ。
村の服飾品店で取り扱っていた長い手袋は、偶然にも新雪のように白いものだけだった。ベルクトズス王の言葉とフレデリカのことを思い出し、エリシアは苦笑する。
『フレデリカの手を見ろ。新雪のように白く美しい。これこそ聖女の手だ』
あの美しい白い手で、どれだけの間バロンディーレ王国を守れるだろうか。一ヶ月? 二ヶ月? いや、常人よりはるかに強い魔力の持ち主であったし、もしかしたら半年は持つかもしれない。その間に、国外から強力な魔術師を何人も呼び寄せれば、バロンディーレを包む『魔』の力をどうにか……
そこまで考えて、エリシアは思いを巡らせるのをやめた。
もうあの国と自分は関係ないと思っているのに、これまでの癖でつまらないことを考えてしまった。服飾品店の主に代金を払うと、村を出て気ままな旅を開始する。




