第1話
「エリシア・コーウェン。歴史上稀に見る無能な聖女よ! いや、もはや貴様を『聖女』とは呼ばぬ! 貴様は何の価値もない、何者でもない女だ! 本日をもって私との婚約を破棄し、この国から永遠に追放する!」
大国バロンディーレの王宮。
重鎮たちの集まった王の間で、若き国王ベルクトズスの無慈悲な宣言が響き渡る。
ほんの少し前までこの国の『聖女』であったエリシアは静かに頭を下げた。下げてから、自分はいったいどうして頭を下げたのだろうとエリシアは考える。
ベルクトズス王の威厳にひれ伏したから?
違う。
大した苦労も知らない二世王ベルクトズスに、そんな威厳はない。
では自らの無能を恥じ、謝罪したくなったから?
違う。
有能と誇るつもりはないが、自分は決して無能ではない。怠惰でもない。真っ黒に染まった両手は、聖女としてこの国を脅かさんとする『魔』の力をずっと浄化してきた証。私以外の誰に、こんなことができるっていうの。
では、なぜ頭を下げたのか?
それは、ほとほと愛想の尽きたこの国に別れを告げるためだ。
エリシアは下げていた頭を上げ、まっすぐにベルクトズス王を見て言う。
「ベルクトズス様のお気持ち、大変よくわかりました。お望み通り、私はこの国を出ます。もう二度と戻ることはありませんのでご安心ください」
余裕すら感じる、淡々とした物言いだった。いや、余裕というよりは安堵感か。エリシアの顔は、心底ほっとしているように見える。聖女の役目という長年の重荷から解放されたことが、そうさせているのだろう。
追放を言い渡され、エリシアが慌てふためくと思っていた重鎮たちは、予想だにしなかった彼女の落ち着きぶりに、口々にああでもないこうでもないと囁き合う。
「なんという態度だ。開き直っているのか?」
「無能な上に傲慢、もっと早く追放すべきでしたな」
「新たな聖女フレデリカ様もいらっしゃることですしな」
今話題に上がった『新たな聖女』フレデリカは、ベルクトズス王にぴったり寄り添うようにしてエリシアを見下ろしている。優越感たっぷりの嫌な顔――とまでは言わない。しかしその目は、自分より劣ったものを見下す目だった。
そんな視線を受けても、エリシアは屈辱を感じたりうろたえたりしない。誰に何と言われようと『自分は困難な役目を果たしてきた』という誇りと自負があるからだ。なので、涼しい目で"自分の後任となる"フレデリカの力を計る。……なるほど。常人の数倍の魔力だ。新たな聖女に選出されたのもうなずける。
だが、彼女にエリシアの代わりが務まるかと言われれば、答えはノーだ。それほどに、エリシアは特別な才能を持つ聖女だった。フレデリカも、すぐにそのことに気づくだろう。そして、気づいた時にはもう遅い。この国の崩壊は誰にも止められない。そう思うと、自信満々にこちらを見下しているこの娘が、少しだけ哀れだった。
だが、この国の愚かな王や重鎮・国民たちに、注意喚起してやるほどの温情はエリシアには残っていなかった。苦しんで死ねばいいとは思わない。酷い扱いを受けてきた今でも、みんな助かるのなら、助かってほしいと思う。ただ、積極的に彼らを助けようとする気はもうないというだけだ。
エリシアは幼い頃に聖女に選抜されてからの十年間、生活のほぼすべてを聖女の役目を果たすことに尽くしてきたが、彼女を認め、ねぎらう者はいなかった。
それは何故か?
神託によって選ばれはしたものの、エリシアが貧民街の出身だったからだ。貴族どころか、一般市民すら血統主義のこの国では、貧民街出身と言うだけでゴミを見るような目で見られる。それは『聖女』という特別な立場でも同様だった。
それでも命を削るようにして使命を果たしてきたエリシア。そんな彼女に感謝ひとつせず嘲笑い続けた人々に対し、何の温情も持てなくなってしまったのは当然と言えば当然だろう。今だって、追放されるエリシアを皆が嗤っている。
ベルクトズス王は先頭に立ち、エリシアが隠すようにしている彼女の両手を指さして嫌な笑みを浮かべた。
「まったく、なんだその汚い手は。まるで呪われた魔物だな。それでよく聖女などと言えたものだ。フレデリカの手を見ろ。新雪のように白く美しい。これこそ聖女の手だ。ふふふ、これは失礼。魔物同然の貴様の目では、眩しくて直視できぬかな?」
最後の言葉で、重鎮たちがドッと笑った。
そろいもそろって、嫌な顔だった。
この者たちは知らない。知ろうともしない。聖女エリシアの手が黒く汚れていったのは、この地にはびこる桁違いの『魔』の力を、自らを犠牲にして封じていたからだということを。




