第12話
楽しいはずがなかった。
騎士の誇りなど、とうに消えていた。
こんなつまらん男のために、命を捨てられるはずもなかった。
なので従騎士二人はその場にひざまずき、首を垂れた。それは『フェルディナント様のおっしゃる通りでございます』という、何よりの意思表示だった。
「な、な、な、何をしているっ! 誰がひざまずけと言った! 戦え! 剣を抜け! 殺せ! 私の敵をすべて駆逐するのだっ! 役立たずどもっ! 貴様らの価値など、戦うこと以外には……」
「もうやめにしましょう、ベルクトズス様」
醜く喚き続けるベルクトズスを窘めたのは、フェルディナントでも、首を垂れたままの従騎士二人でもない。別室から現れたエリシアだった。
バロンディーレで粗末なドレスを着ていたみすぼらしい姿のエリシアしか知らないベルクトズスは、荘厳で神秘的なドレスに身を包んだ今のエリシアを見て、女神が天界から降り、自分の窮地を救いに来てくれたのかと錯覚した。自分自身のことを『女神に救ってもらえるような立派な人間』だと思い込んでいるのは流石であった。
フェルディナントが、心配そうな顔でエリシアに語り掛ける。
「エリシア、どうして出てきたんだ。こんなくだらん男の顔を、俺は二度ときみに見せたくなかった……」
「申し訳ありません。フェルディナント様のお気持ちは分かっていましたが、私はフェルディナント様に無益な殺生をさせたくないのです。あなたはとても優しい人。そんなあなたが、私のために、その手を血で汚さないでください……」
「エリシア……」
「それに、バロンディーレの『かつての聖女』として、ベルクトズス様に"もうどうしようもない"ことを伝えて差し上げるのが、最後のけじめであると思ったのです」
そのやりとりで、ようやく目の前にいる『天界の女神』が『勝手に逃げ出した自分の所有物』であることに気づいたベルクトズスは、持ち前の傲慢さを最大限に発揮して命令を下した。
「ようやく出てきたか! エリシア! ええい、もったいをつけおって! さあ戻るぞ! そして、とっとと『魔』の力を浄化せよ! ああ、良かった。これで何もかも元通りだ。すべてが駄目になる前に、何とかなった……」
台詞の後半は、傲慢さよりも『本当に何とかなって良かった』という安堵感の方が強かった。そんなベルクトズスに憐れんだ瞳を向け、エリシアは静かに言葉を紡いでいく。
「もう手遅れです、ベルクトズス様。というより、先程も申し上げましたが"もうどうしようもない"のです。たとえバロンディーレに戻ったとしても、私にはもう聖女の力はありません。『魔』の浄化などできないのですよ」
「はぁ? ふざけるな! 聖女の力は無限に湧き続ける泉のようなものだ! 尽きることなどない!」
「尽きることのない力などありません。いかなる恵みの泉も、最後には枯れ果てるのです」
二人のやりとりにフェルディナントが言葉を挟む。
「だから、大切にしなければならないんだ。だがベルクトズス、お前はエリシアを大切にするどころか、これ以上ないほど粗雑に扱った。今の苦境は、お前自身が招いたと言っていい」
「黙れ黙れ黙れ! 誰が何と言おうと私はエリシアを連れて帰るぞ!」
「どうやって? 従騎士二人はもはやお前の言うことなど聞かない。お前は一人ぼっちだ。その細腕でエリシアを引っ張っていくか? 言っておくが、彼女に指一本でも触れようとしたら、俺はその腕を切り落とすぞ」
そう言われては、これ以上ベルクトズスにできることは何もない。大国の権威と強力な護衛がいなければ、彼自身にできることは皆無なのだ。エリシアの言葉ではないが、まさに"もうどうしようもない"のである。
「うっ、うぅっ……! く、くそぉっ……!」
「あの、ベルクトズス様。ひとつお尋ねしたいのですが、フレデリカ様はどうなったのですか?」
「知るか! あんな役立たず! 『魔』の力に飲み込まれて、黒い猿みたいな姿になったが、その後はわからん! くそくそくそっ! あんな無能に聖女の地位なんて与えなければよかった!」
「ベルクトズス様、フレデリカ様は決して無能ではありません。それどころか、稀に見る才能の持ち主です。『黒い猿みたいな姿』とおっしゃいましたが、『魔』の力に飲み込まれてなお、人に近い猿という動物の形を保てているだけで凄いことです。もしかしたら、自我も残っているかもしれません」
「自我だとぉ!? 猿に自我が残っていたら何だというのだ!! 人の言葉を喋る猿の誕生か!? それは笑えるな! あはははははっ!」
力及ばずながらも、バロンディーレのために尽くしたフレデリカに対し、何という言い草だろう。エリシアは心からフレデリカを憐れんだ。彼女も結局、自分と同じだった。違いがあるとしたら、自分は"幸運にも"バロンディーレを追放され、フェルディナントという優しい人に巡り合えたことだ。
「ベルクトズス様、フレデリカ様を侮辱するのはおやめください。あるいは彼女こそが、バロンディーレを救う最後の希望かもしれないのですよ」




