#087 「未来を見る人」
数日後、久遠野の朝。
いつもの道をはるなたちは歩いていた。
「おはようございます!」
声が聞こえた。はるなが振り返る。
「あ、おはよう」
蒼羽だった。その隣には真凜。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもの二人。いつもの朝。何も変わっていないように見える。
「先輩」
蒼羽が、はるなの隣に並んだ。
「何?」
「昨日、どこにいたんですか?」
「え?」
「放課後」
はるなの足がほんの少しだけ止まった。
「……なんで?」
「探したからです」
「私を?」
「皆さんを」
「ああ」
はるなは前を見る。
「ちょっとね」
「ちょっと?」
「うん」
「どこですか?」
「秘密」
「またですか!」
「またです」
「先輩!」
蒼羽が頬を膨らませる。隣で真凜が、はるなを見ていた。
「はるな先輩」
「ん?」
「何かありました?」
はるなは真凜を見る。
「どうして?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「はい」
真凜は六人を見る。
「皆さん、少し違う気がします」
六人が、ほんの一瞬顔を見合わせた。
「ほら!」
蒼羽が言う。
「今、何かありました!」
「何もないよ!」
「あります!」
「ない!」
「あります!」
「ないって!」
「じゃあ何で目を逸らすんですか!」
「逸らしてない!」
「逸らしました!」
「蒼羽」
真凜が止める。
「でも!」
「話せないこともあるよ」
蒼羽が止まった。
「……真凜は気にならないの?」
「気になる」
「じゃあ」
「でも」
真凜は六人を見る。
「話せないなら、仕方ない」
はるなが少し驚いた顔をした。
「いいの?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
真凜は笑う。
「いつか話せるなら」
はるなは白い世界を思い出した。今は知らないままでいてほしい。
「……うん」
「じゃあ」
真凜は言った。
「待ちます」
蒼羽はまだ納得していない顔をしている。
「蒼羽は?」
「……待ちます」
「嫌そうだね」
「気になりますから!」
「だよね」
「絶対いつか教えてくださいよ!」
「うん」
「約束です!」
「それは」
はるなが止まる。
「え?」
「ううん」
少しだけ笑う。
「分かった」
「約束ですよ?」
「うん」
はるなは蒼羽と真凜を見る。
「いつかね」
学校へ向かう途中。
「あれ?」
いちかが言った。
「どうした?」
要が聞く。
「あそこ」
道の先に一人の女性が困ったように辺りを見回していた。その近くには小さな男の子が泣いている。
「どうしたんだろ」
はるなが言う。
「行ってみよう」
六人が向かおうとする。でもその前に。
「どうしました?」
蒼羽だった。真凜もすぐに隣へ行く。
「大丈夫ですか?」
女性が二人を見る。
「ああ、蒼羽ちゃん。真凜ちゃん」
名前を知っていた。はるなたちが少しだけ足を止める。
「この子が転んじゃって」
「痛い?」
蒼羽が男の子の前にしゃがむ。膝に小さな擦り傷。
「痛い……」
「そっか」
蒼羽は男の子と同じ高さで話している。
「でも、ちゃんと歩ける?」
「……うん」
「偉いね」
真凜が鞄から何かを取り出す。
「これ使ってください」
「あら、ありがとう」
簡単な救急用品。
「真凜、持ってるんだ」
いちかが小さく言った。
「前にも誰か怪我したんじゃない?」
美弥が答える。蒼羽は男の子と話し続けていた。
「学校行く?」
「うん」
「じゃあ一緒に途中まで行こっか」
「いいの?」
「いいよ」
男の子が少しだけ笑った。その様子を、六人は少し離れたところから見ていた。
「行こう」
想太が言った。
「手伝わなくていい?」
はるなが聞く。
「もう大丈夫だろ」
はるなはもう一度二人を見る。蒼羽が男の子と話している。真凜が母親と話している。
誰かに指示されたわけでもない。誰かに褒めてもらうためでもない。困っている人がいたから、声をかけた。それだけ。
「うん」
はるなは頷いた。
「大丈夫そう」
六人は。先に歩き始めた。
「そういえば」
隼人が言った。
「最近多くない?」
「何が?」
美弥が聞く。
「あの二人」
「蒼羽と真凜?」
「うん」
「何が多いの?」
「人に声かけられてる」
要が頷いた。
「俺も思ってた」
「そう?」
はるなが聞く。
「前から知り合い多かったじゃん」
「それとは少し違う」
「どう違うの?」
「相談されてる」
要が言った。
「相談?」
「この前も」
少し考える。
「商店街で二人が呼び止められてた」
「何の話?」
「知らない」
「知らないんだ」
「聞く必要ないだろ」
「まあ、そうだけど」
美弥も思い出したように言う。
「私も見た」
「何を?」
「真凜が、おばあちゃんとずっと話してた」
「知り合い?」
「たぶん」
「それ普通じゃない?」
「最初はそう思ったんだけど」
美弥は続ける。
「そのあと別の人も来て」
「うん」
「真凜に何か聞いてた」
「へえ」
「蒼羽も」
いちかが言った。
「子供たちに人気あるよ」
「それは分かる」
隼人が笑う。
「一緒になって遊んでそう」
「実際遊んでた」
「やっぱり」
「でも」
いちかは笑う。
「ちゃんと面倒見てたよ」
「へえ」
はるなは後ろを振り返った。もう二人の姿は見えない。
「いつの間に?」
小さく言った。
放課後。六人はいつもの場所にいた。特別な話をするためではない。ただ、いつものように集まっただけ。
「遅いね」
いちかが言った。
「誰が?」
「蒼羽と真凜」
「ああ」
「今日は来るって言ってなかった?」
「言ってた」
「何してるんだろ」
その時。
「すみませーん!」
蒼羽が走ってくる。その後ろを、真凜が歩いていた。
「遅い!」
はるなが言う。
「すみません!」
「何してたの?」
「ちょっと頼まれてて」
「誰に?」
「商店街の人です」
「何を?」
「荷物運び」
「荷物?」
「はい」
「なんで蒼羽が?」
「いたから」
「……」
「何ですか?」
「いや」
はるなが笑う。
「蒼羽らしいなって」
「どういう意味ですか!」
「そのまま」
「真凜も?」
いちかが聞く。
「私は」
真凜は少し困ったように笑う。
「別の方の話を聞いてました」
「相談?」
「相談というほどでは」
「何の話?」
「近所の方同士で、少し困っていることがあって」
「解決した?」
「いいえ」
真凜は首を振る。
「私には解決できません」
「そっか」
「でも」
「うん」
「話を聞くだけならできますから」
要が真凜を見る。
「それでいいと思う」
「そうですか?」
「ああ」
「でも、何もできてません」
「そんなことないよ」
いちかが言う。
「聞いてもらえるだけで楽になることもあるから」
真凜は少し考える。
「そうだといいです」
そして、いつものように二人も輪の中へ入った。
「蒼羽」
はるなが呼ぶ。
「はい?」
「なんでそんなに頼まれるの?」
「何がですか?」
「いろんな人に」
「そうですか?」
「そうだよ」
「別に普通ですよ」
「普通?」
「はい」
「真凜も?」
「私も普通だと思います」
「二人とも自覚ないんだ」
「何の自覚ですか?」
蒼羽が聞く。
「うーん」
はるなは考える。
「頼られてる」
「誰に?」
「みんなに」
「そんなことないですよ!」
蒼羽が笑う。
「私、よく怒られますし」
「それは蒼羽が余計なことするからでしょ」
真凜が言う。
「真凜!」
「本当でしょ?」
「でも助けようとしてるんだよ!」
「それで自分まで困るでしょう?」
「それは!」
「ほら」
「真凜だって!」
「私は何?」
「考えすぎ!」
「蒼羽が考えなさすぎなの!」
「ひどい!」
六人が笑った。
「いつも通りだな」
隼人が言う。
「だね」
美弥も笑う。
でも、はるなは二人を見ていた。蒼羽、真凜。違う。
二人は全然違う。蒼羽は、考える前に動く。困っている人がいればすぐに手を伸ばす。失敗することもある。余計なことをすることもある。でも放っておけない。
真凜は、立ち止まる。話を聞く。考える。自分に何ができるのか何ができないのか。それを見ている。
二人は全然違う。だから。
「……いいのかも」
はるなが呟いた。
「何が?」
想太が聞く。
「ううん」
「またそれか」
「今度話す」
「はいはい」
夕方蒼羽と真凜が先に帰った。
「また明日!」
「皆さん、また明日」
「またね」
六人が手を振る。二人の背中が少しずつ遠くなる。しばらくして、はるなが言った。
「ねえ」
「何?」
美弥が聞く。
「あの二人」
「うん」
「大丈夫かもね」
五人がはるなを見る。
「何が?」
隼人が聞く。
「分かんない」
「何だよ!」
「でも」
はるなは二人が歩いていった方を見る。
「なんとなく」
想太が笑った。
「お前、今日そればっかりだな」
「いいじゃん」
「何が大丈夫なの?」
いちかが聞く。
「だから」
はるなは考える。言葉にできない。何を任せるのか、何を託すのか、そんなことはまだ何も決まっていない。
自分たちだって何になるのか分からない。それでも。
「これから」
はるなが言った。
「これから?」
「うん」
「あの二人なら」
少しだけ笑う。
「大丈夫かなって」
要が。二人の消えた道を見る。
「俺も」
「要も?」
「ああ」
「何が大丈夫か分かる?」
「分からない」
「同じじゃん!」
「でも」
要は言った。
「分かる気はする」
「でしょ?」
美弥も。
少し考えてから。
「まあ」
「美弥も?」
「何よ」
「嬉しい」
「なんでよ」
「みんな同じだから」
「私はまだ何も言ってないけど」
「でも思ってるでしょ?」
「……少しね」
いちかが笑う。
「私も」
隼人が頭を掻く。
「俺も、まあ」
「隼人まで!」
「なんで俺だけ驚くんだよ!」
「なんとなく!」
「ひどくね!?」
六人が笑った。
未来。その言葉を、六人は少し前まで自分たちのこととして考えていた。何になるのか、どこへ行くのか、誰と生きるのか。
自分たちの未来。でも、未来は自分たちだけのものではない。自分たちより少し後ろを歩いている人たちがいる。
その人たちもいつか自分たちの場所まで来る。そしてさらに先へ行く。
六人はまだそれを知らない。蒼羽と真凜が、これからどんな道を歩くのか。どんな人になるのか。何を背負うのか。何も知らない。
ただ、今日少しだけ見えた。困っている人に迷わず駆け寄る蒼羽。誰かの隣で黙って話を聞く真凜。
誰かに選ばれたわけではない。役目を与えられたわけでもない。
ただ、そうしたいからそうしている。そしてそんな二人を、少しずつ周りの人たちが見始めている。頼り始めている。
未来は、ある日突然やってくるものではない。今日の中に少しずつ生まれている。
「帰ろっか」
はるなが言った。
「そうだな」
六人も歩き出す。前を蒼羽と真凜が歩いていった。同じ道を、六人も歩く。でも、いつかその順番が変わる日が来るのかもしれない。
六人はまだ知らない。その日が来ることを。ただ、今はほんの少しだけ未来を見る。
二人の背中を見ながら、六人は同じことを思っていた。この二人ならきっと大丈夫。




