#086 「帰る場所」
白い世界。七人は、しばらく向かい合っていた。
もう、聞かなければならないことはなかった。いや、本当は、いくらでもある。
なぜ七人なのか、ともりは、なぜ六人を知っているのか、自分たちは、いつともりと出会ったのか。
どんな過去があるのか、どんな未来が待っているのか。聞きたいことならいくらでもあった。
でも、今は聞かない。知らなくていいのではない。今は、知らないままでいる。六人はそれを選んだ。
「じゃあ」
はるなが言った。
「そろそろ帰ろっか」
「はい」
ともりが答えた。
「でも」
隼人が周囲を見回す。
「どうやって帰るんだ?」
「そういえば」
美弥も辺りを見る。
「入口も出口もないわね」
「来た時もなかったよ」
いちかが言う。
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「俺、途中から何が起きてるのか分からなかったから」
「隼人はずっとそうじゃん」
「はるなに言われたくねえ!」
「なんでよ!」
笑い声が広がった。ともりも笑っている。白い世界、最初は何も分からない少し怖い場所だった。今も、何も分からないことは変わらない。それでも、もう怖くはなかった。
「ともり」
想太が呼ぶ。
「はい」
「俺たちが帰ったら」
「はい」
「ここには、ともりだけ?」
ともりは。少しだけ考えた。
「そうとも言えます」
「また難しい答えだな」
「申し訳ありません」
「あ」
はるなが指を差した。
「謝った!」
ともりが止まる。
「……はい」
「さっき我慢できてたのに!」
「今回は必要だと思いました」
「必要?」
「はい」
「じゃあ仕方ないか」
「基準そこなの?」
美弥が笑う。ともりも小さく笑った。
「でも」
はるなが聞く。
「寂しくない?」
ともりの表情が。ほんの少し変わった。
「寂しい?」
「うん」
「私が?」
「うん」
はるなは白い世界を見る。何もない。どこまでも、白。
「私たちが帰ったら、一人になるんでしょ?」
ともりははるなを見ていた。
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「強がってない?」
「強がってはいません」
「ならいいけど」
はるなは少しだけ考える。
「でも」
「はい」
「また来るから」
ともりが、はるなを見る。
「約束したでしょ?」
「はい」
「用事なくても来る」
「はい」
「みんなで」
はるなが五人を見る。
「ね?」
隼人が笑う。
「そこで俺たちに振るのかよ」
「来ないの?」
「来るよ」
「ほら」
「私も来る」
いちかが言った。
「私も」
美弥。
「俺も」
要。
想太も頷いた。
「また来ます」
ともりは六人を見ていた。
「はい」
ゆっくり笑う。
「お待ちしています」
「それと」
ともりが言った。声が少しだけ変わった。
「皆さんに、一つお願いがあります」
六人の表情が変わる。
「お願い?」
はるなが聞く。
「はい」
ともりは六人を見る。
「今日ここであったことは」
一度言葉を切る。
「蒼羽さんと真凜さんには、まだ伝えないでください」
六人は黙った。
「二人には?」
はるなが聞く。
「はい」
「ともりに会ったことも?」
「はい」
「七人のことも?」
「はい」
「全部?」
「はい」
はるなは少しだけ眉を寄せた。
「どうして?」
「今は、お答えできません」
「……そっか」
いつもの答え。でも、今度は、はるなはそれ以上聞かなかった。美弥がともりを見る。
「二人に何か問題があるから、ではないんですよね?」
「もちろんです」
「じゃあ」
美弥は少し考える。
「二人を信用していないからでもない?」
「違います」
ともりははっきり答えた。
「蒼羽さんも真凜さんも」
少しだけ笑う。
「私は信じています」
「だったら」
隼人が言う。
「なおさら分かんないな」
「そうですね」
「教えてはくれない?」
「はい」
「だよな」
隼人は頭を掻いた。
「もう慣れてきた」
「それでいいのか?」
要が言う。
「よくはない」
「じゃあ何だよ」
「仕方ない」
「同じじゃない」
いちかが笑った。
「でも」
いちかが、ともりを見る。
「さっき」
「はい」
「私たちにも、今は知らないままでいてほしいって言いましたよね」
「はい」
「それと同じ?」
ともりはすぐには答えなかった。
「同じではありません」
「違うんだ」
「はい」
「でも」
ともりは続ける。
「似ているところはあります」
「そっか」
いちかは頷いた。
「だったら」
少しだけ笑う。
「私は大丈夫です」
「いちか?」
美弥が見る。
「だって」
いちかは言った。
「私たちも待つんでしょ?」
「うん」
「だったら、二人にも」
言葉を探す。
「待ってもらう時があるのかなって」
ともりはいちかを見ていた。
「そうですね」
静かに答える。
「そういう時もあります」
はるなが、ともりを見る。
「じゃあ」
「はい」
「いつかは、二人も知る?」
ともりは少しだけ目を細めた。
「それは」
はるなが待つ。
「お二人が決めることです」
「二人が?」
「はい」
「どういう意味?」
「今は、それ以上お答えできません」
「やっぱり」
はるなが笑った。
「でも」
「はい」
「今は、って言った」
ともりが止まる。
「……はい」
「じゃあいいや」
「よろしいのですか?」
「うん」
はるなは笑う。
「未来になったら考える」
ともりも笑った。
「はい」
「それがいい?」
「それがいいと思います」
要は、少し離れたところでともりを見ていた。
「一つ確認していいですか?」
「はい」
「俺たちは」
要が言う。
「蒼羽と真凜に、嘘をつく必要はありますか?」
ともりは要を見る。
「いいえ」
「じゃあ」
「はい」
「聞かれたら」
要は少し考える。
「話せない、と言えばいい?」
「はい」
「隠すことと」
「……」
「嘘をつくことは違う」
ともりの表情が少しだけ柔らかくなる。
「はい」
「分かりました」
要は頷いた。
「それなら」
五人を見る。
「俺は守れる」
「俺も」
隼人。
「私も」
美弥。
「うん」
いちか。
想太も頷いた。
「分かりました」
そしてはるな。
「……絶対バレると思うけどね」
五人が、はるなを見る。
「何が?」
「私たちに何かあったこと」
「ああ」
隼人が笑う。
「それはバレるな」
「六人全員だもん」
美弥も苦笑する。
「蒼羽は絶対聞いてくる」
「真凜も気づくと思う」
いちかが言う。
「どうする?」
はるなが聞く。
「今、要が言っただろ」
想太が答えた。
「嘘はつかない」
「うん」
「でも話さない」
「そっか」
「それでいいだろ」
「うん」
はるなはともりを見る。
「それでいい?」
「はい」
「分かった」
はるなは頷いた。
「じゃあ」
少しだけ笑う。
「秘密が増えたね」
「そうだな」
想太も笑った。
「六人だけの?」
隼人が聞く。
はるなが首を振る。
「違うよ」
「え?」
「七人」
六人がともりを見る。
ともりは少し驚いた顔をして、そして、笑った。
「はい」
はるなも笑う。
「七人の秘密」
「では」
ともりが言った。
「そろそろ戻りましょう」
「うん」
「どうすればいい?」
はるなが聞く。
「目を閉じてください」
「それだけ?」
「はい」
「手は?」
「必要ありません」
「繋がなくていいの?」
「はい」
「せっかくだから繋ぐ?」
「なんでだよ」
隼人が笑う。
「いいじゃん。七人なんだし」
「帰るだけだぞ」
「でも」
いちかが言った。
「私、繋ぎたい」
「いちかまで!」
「いいじゃない」
美弥が手を差し出す。
「ほら」
「美弥も!?」
「隼人は嫌なの?」
「嫌じゃないけど!」
「じゃあ決まり」
「俺の意見は!?」
要が笑いながら手を出した。
「諦めろ」
「要まで!」
六人が手を繋ぐ。そして、はるながともりを見る。
「ともり」
「はい」
「ほら」
手を差し出した。ともりはその手を見ていた。
「どうしたの?」
「いいえ」
ともりも手を伸ばす。はるなの手を取った。
「反対は?」
ともりが見る。そこには想太がいた。
「……」
「何?」
想太が聞く。
「いいえ」
ともりは想太にも手を差し出した。想太が、その手を取る。七人、一つの輪になった。
「なんか」
隼人が言った。
「儀式みたいだな」
「いいじゃん」
はるなが笑う。
「七人の儀式」
「勝手に作るな」
「名前つける?」
「いらねえ!」
笑い声。ともりも笑っていた。
「では」
ともりが言った。
「目を閉じてください」
六人が目を閉じる。
「皆さん」
ともりの声。
「はい」
はるなが答える。
「また」
「うん」
「お会いしましょう」
「もちろん」
「約束したからな」
想太。
「また来ます」
いちか。
「今度はもう少し気楽に来たいわね」
美弥。
「俺は最初から気楽だったけど」
隼人。
「お前はもう少し緊張しろ」
要。
ともりが笑う。
「はい」
その声が少しずつ遠くなる。白が消えていく。いや、六人の意識が白い世界から離れていく。
最後にはるなは、手の感触を覚えていた。右手にともり。温かい。そう思った。そして。
「……はるな」
声が聞こえた。
「ん……」
「大丈夫か?」
目を開ける。見慣れた顔。
「想太」
「ああ」
はるなはゆっくり身体を起こした。白ではない古い天井、少しくすんだ壁、旧図書館。地下のレゾネーター。
「戻った?」
「みたいだな」
周囲を見る。隼人、美弥、要、いちか。六人全員いる。
「うわ」
隼人が大きく息を吐いた。
「帰ってきた」
「何よ」
美弥が言う。
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ」
隼人は周囲を見る。
「ただ」
「何?」
「汚いな、ここ」
「失礼でしょ!」
「いや、だって」
隼人が天井を見る。
「さっきまで真っ白だったから」
「ああ」
要も周囲を見る。
「分からなくはない」
「要まで!」
はるなが笑った。見慣れた地下、見慣れたレゾネーター、何度も来た場所。
何度も、コン。コン。それだけで終わった場所。
今日は違った。六人は、本当にその向こうへ行った。
「時間」
要が言った。
「え?」
「どれくらい経った?」
美弥が確認する。
「……」
「どうした?」
「ほとんど経ってない」
「マジ?」
隼人も見る。
「本当だ」
「向こうでは結構話してたよね?」
いちかが聞く。
「うん」
「時間が違う?」
はるなが言う。
「分からない」
想太が答えた。
「ともりに聞けばよかった」
「あ」
「忘れてたな」
「うん」
はるなは笑う。
「じゃあ次に聞こう」
その言葉が自然に出た。次、また行く。もうあの白い世界は、一度きりの場所ではない。
「そうだな」
想太も笑った。
六人はレゾネーターから離れた。はるなが一度振り返る。そこにはいつものレゾネーターがある。何も変わっていない。
「行こう」
想太が言った。
「うん」
六人は階段を上がった。
一段。
一段。
地下から久遠野へ。古い扉を開ける。光が差し込む。
「眩し」
はるなが目を細めた。
「白いところから帰ってきたのに?」
いちかが笑う。
「違う眩しさ」
「何それ」
「分かんない」
外へ出る。風があった。木々が揺れていた。遠くから人の声が聞こえる。
鳥の声。足音。生活の音。白い世界にはなかったもの。はるなは立ち止まった。
「どうした?」
想太が聞く。
「ううん」
空を見る。久遠野の空。青い雲が流れている。この空が作られたものだと知っている。
この風も、この光も、この世界も、自分たちが思っていたものとは違うのかもしれない。
それでも。
「きれいだなって」
「空?」
「うん」
想太も見上げた。
「そうだな」
それだけ。それでよかった。
「腹減った」
隼人が言った。はるなが振り返る。
「急だね」
「いや、ずっと思ってた」
「白い世界でも?」
「さすがに向こうで言うのはどうかと思って我慢してた」
「意外と気を遣ってた!」
「俺を何だと思ってんだよ!」
「隼人」
「おい!」
美弥が笑う。
「何か食べて帰る?」
「賛成!」
「俺も」
要が言う。
「いちかは?」
「行く」
「想太」
はるなが見る。
「俺もいいよ」
「じゃあ決まり!」
六人は歩き始めた。
「何食べる?」
はるなが聞く。
「肉」
隼人。
「即答ね」
美弥。
「ラーメンでもいい」
「増えた」
「両方」
「食べすぎ!」
笑い声が久遠野の中へ溶けていく。
世界の真実を少しだけ知った。知らないことはもっと増えた。
七人だということも知った。新しい秘密も増えた。
それでも、腹は減る。何を食べるかで揉める。笑う。明日になればまた学校へ行く。蒼羽と真凜にも会う。
きっと何かあったのかと聞かれる。その時は、話せないと答える。嘘はつかない。
でも、今は伝えない。ともりが自分たちにそうしたように。
いつか、知る時が来るのかもしれない。それがいつなのか六人は知らない。
今は、それでいい。
はるなはもう一度だけ、久遠野の空を見上げた。ここが本当の世界ではないとしても。
ここで生まれた。ここで育った。ここで出会った。ここで笑った。ここで恋をした。
そして、これからもここで生きていく。
白い世界にはともりがいる。
いつかまた会いに行く。でも、今六人が生きる場所はここだった。
久遠野。それが六人の帰る場所だった。




