#082 「六人の扉」
放課後。六人は、旧図書館の地下へ続く道を歩いていた。もう、何度ここを通ったのか分からない。誰も道に迷わない。立ち止まって周囲を見回す者もいない。かつては、この地下に何があるのかさえ分からなかった。
六人で何度も調べた。話し合った。仮説を立てた。そして、そのたびにここへ来た。
だから、この道も、この空気も、その先に何があるのかも、六人にとっては、もう勝手知ったるものだった。
「なんか」
美弥が言った。
「久しぶりな感じする」
「そう?」
はるなが振り返る。
「するわよ」
「私、最近来たからかな」
「そりゃそうでしょ」
美弥が呆れる。
「私たち四人は、あれから来てないんだから」
「あ、そっか」
「忘れないでよ」
「ごめん」
隼人が笑った。
「はるなと想太にとっては、もう通勤路みたいなもんなんじゃないか?」
「そんなに来てないよ!」
「二人だけで二回だろ?」
「うん」
「俺らより多い」
「前はみんなで何回も来たじゃん」
「でも入れてない」
「それはそうだけど」
要が淡々と言う。
「正確には、アクセスに成功したのが二人だけ、だな」
「要、こういう時だけ妙に細かいよね」
「こういう時だから細かくするんだ」
「はいはい」
いちかが笑った。六人はそのまま歩いていく。緊張していないわけではない、けれど。少なくとも、ここへ来ること自体は特別ではなかった。特別なのは、この先だった。
やがて、六人の前にそれが現れた。レゾネーター。
「あった」
はるなが言う。
「そりゃあるだろ」
隼人が返す。
「なくなってたら困るじゃん」
「それは困るけど」
はるながレゾネーターへ近づく。そして、しばらく眺めたあと。
「……懐かしい」
「何が?」
美弥が聞く。はるなは手を伸ばした。軽く、表面を叩く。
コン。
コン。
「ちょっと!」
美弥の声が響いた。
「なに?」
「何してるのよ!」
「いや」
はるなは笑う。
「昔はこれしか起きなかったなと思って」
「だからって今やる!?」
「懐かしくて」
「これからその中に入るんでしょうが!」
隼人も笑い出す。
「でも確かに、昔はそれだったよな」
「でしょ?」
「叩いても」
コン。
「おい!」
「触っても」
隼人が手を当てる。
「何も起きない」
「二人してやめなさい!」
いちかまで笑い始めた。
「懐かしいね」
「いちかまで!」
「だって本当に何も起きなかったもん」
「そうなんだけど!」
要がレゾネーターを見る。
「当時は、何か条件があるんじゃないかってずっと考えてたな」
「そうそう」
はるなが頷く。
「六人じゃ駄目なのかなとか」
「誰か一人なのかとか」
想太が続ける。
「組み合わせなのか、とか」
「結局」
美弥が言う。
「はるなと想太だった」
「うん」
はるなは、レゾネーターを見る。あの時、初めて二人でアクセスした。
その瞬間、今まで何をしても反応しなかったものが、初めて扉になった。
そして、白い世界へ。ともりのもとへ。
「でも今日は」
いちかが言った。
「六人なんだよね」
笑い声が止まった。
「うん」
はるなが頷く。
「ともりが、六人で来てって言った」
四人の表情が少しだけ変わる。これまで、六人で何度来ても扉は開かなかった。
それが、今日は向こうから六人で来るように言われている。
「……変な感じだな」
隼人が言った。
「何が?」
「ずっと六人で調べてたのに」
「うん」
「六人では入れなかった」
「うん」
「それが今度は、六人で来いって言われてる」
要が静かに答える。
「条件が変わったのか」
「それとも」
いちかが言う。
「最初から、今じゃなかっただけなのか」
六人がレゾネーターを見る。
「分かんないね」
はるなが言った。
「分からないな」
想太も頷く。
「でも」
はるなは五人を見る。
「行けば分かることもあるかもしれない」
「全部は教えてくれないんでしょ?」
美弥が言う。
「それはたぶん」
「でしょうね」
美弥がため息をつく。
「昨日の話聞いた限り、むしろ教えてくれないことの方が多そう」
「ともりだから」
「その説明便利ね」
「便利だよ」
「開き直った!」
また少しだけ笑いが起きる。その笑いが、六人の緊張を少しずつ解いていった。
「ともり」
想太が呼びかける。
『はい』
いつもの声が返ってきた。
「ここまで、見えてる?」
『はい』
「六人とも?」
『はい。皆さんを通常通り観測しています』
隼人がレゾネーターを見る。
「じゃあ、ここに触った瞬間に消える?」
『正確には、位置情報を取得できなくなった時点です』
「また一瞬で?」
『久遠野側では、これまでと同様であれば一瞬です』
「向こうでは?」
『私には分かりません』
「だよな」
隼人が頷く。美弥が少し黙っていた。
そして。
「ともり」
『はい』
「……本当に、行って大丈夫なの?」
全員が美弥を見る。美弥は少しだけ慌てる。
「いや、行かないって意味じゃないから!」
「うん」
はるなが答える。
「分かってる」
「ただ」
美弥はレゾネーターを見る。
「昨日、自分で行くって決めたけど」
少し間を置く。
「やっぱり、怖いから」
『はい』
「だから聞いただけ」
ともりはすぐには答えなかった。少しだけ間があった。
『私から、安全を保証することはできません』
美弥が黙る。
『レゾネーターは、私の管理下にはありません』
「うん」
『ですが』
ともりは続けた。
『皆さんが戻ってくることを、私は信じています』
美弥は少し目を伏せた。
「……そっか」
『はい』
「ありがとう」
『どういたしまして』
はるなが美弥を見る。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「うん」
「でも行く」
昨日と同じ答えだった。はるなは笑った。
「じゃあ行こう」
「うん」
六人は、レゾネーターの周囲に立った。以前も、こうして六人で囲んだことがある。触れたこともある。
一人ずつ試した。二人ずつ試した。いろいろな方法を試した。それでも、何も起きなかった。
コン。
コン。
ただ、そこにあるだけだった。でも、今は違う。六人全員が知っている。これは扉になる。
はるなと想太は、その向こう側を知っている。四人は、今日初めて、その先へ行く。
「どうする?」
隼人が聞く。
「普通に触ればいいと思う」
想太が答える。
「六人同時?」
「たぶん」
「たぶんか」
「俺たちの時は、触ったら行けたから」
「六人でも同じとは限らないだろ」
要が言う。
「そうなんだよね」
はるなが腕を組む。
「じゃあ」
少し考えて。
「やっぱり手、繋ぐ?」
「まだ言うのか!」
隼人が即座に叫んだ。
「だって!」
「昨日却下しただろ!」
「却下したの美弥じゃん!」
「私よ!」
美弥が言う。
「じゃあ今日は採用」
「しない!」
「でも、六人一緒に行かないと困るし」
「全員で触ればいいだろ!」
「あ」
「昨日もその結論になっただろ!」
「そうだった」
「忘れるな!」
いちかが笑う。
「はるな、緊張してる?」
「してる」
「やっぱり」
「だから変なこと言ってるのかな」
「普段からでしょ」
「いちかまで!」
想太が笑う。
「まあ」
レゾネーターへ手を伸ばす。
「全員で触ろう」
「うん」
はるなも手を伸ばす。隼人、美弥、いちか、要。六人がそれぞれ、レゾネーターへ手を添える。まだ、何も起きない。
「……コン、コン?」
はるなが言う。
「やめなさい」
美弥が即答した。六人が笑った。そして、はるなが息を吸う。
「行こう」
五人が頷いた。
『観測対象:灯野はるな』
『観測対象:成瀬想太』
『観測対象:天城隼人』
『観測対象:久遠美弥』
『観測対象:天城要』
『観測対象:久遠いちか』
六人、すべて正常。
位置情報取得。生体情報取得。ともりは、いつも通り六人を観測していた。
その瞬間。
『位置情報――』
途切れる。
『取得不能』
一人、二人ではない。六人全員。
『観測対象をロストしました』
ともりの観測から。六人が同時に消えた。
白い光、何かが動いた感覚はなかった。落ちることも、浮かぶことも、引っ張られることもない。
ただ一瞬、何も見えなくなった。
「……」
最初に目を開いたのは、要だった。
白。どこまでも。白。
「これは……」
声が漏れた。その声を聞いて。他の四人も目を開く。
「うわ……」
隼人。
「……何、これ」
美弥。
「すごい……」
いちか。
そして、はるなと想太はその光景を知っていた。
「みんないる?」
はるなが聞く。
「いる」
想太。
「俺も」
隼人。
「いるよ」
いちか。
「いる」
要。
最後に。
「……いる」
美弥。六人全員。
はるなが笑った。
「来れた」
想太も笑う。
「ああ」
「六人で」
「うん」
四人は、まだ周囲を見ていた。白い世界、聞いてはいた。
はるなと想太から、何度も説明されていた。でも、説明と実際に立つことは、まるで違った。
「本当に」
いちかが言う。
「何もない」
「うん」
はるなが答える。
「どこまで続いてるの?」
「分かんない」
「上は?」
「分かんない」
「下は?」
「分かんない」
「床は?」
「分かんない」
「はるな」
美弥が言う。
「あなた、何なら分かるの?」
「歩ける」
「それだけ!?」
「あと座れる」
「もっとないの!?」
「ともりがいる」
はるなが笑った。美弥が止まる。
「……そうだった」
今自分たちは、そのために来た。はるなと想太が二度会った存在。久遠野で毎日のように聞いている声。同じともりで、違うともり。
「どこ?」
隼人が周囲を見る。
「まだ分かんない」
「またかよ」
「呼べば来るよ」
想太が笑った。
美弥が嫌そうな顔をした。
「まさか」
「何?」
「大声で呼ぶの?」
「はるなならやる」
想太が即答する。
「ちょっと想太!」
「違うのか?」
「……違わないけど」
「ほら」
はるなは少し前へ出て大きく息を吸った。
「ともりー!」
白い世界に声が響く。想太が額を押さえる。
「やっぱりやった……」
「ともりー!」
「二回目いらない!」
「前も二回だったから!」
「儀式じゃないだろ!」
隼人が笑う。
「でも本当に来るのか?」
「来るよ」
「どこから?」
「後ろとか」
「後ろ?」
六人が、なんとなく振り返った。
「今回は」
声がした。
「最初から気づかれてしまいましたね」
四人の表情が止まった。はるなと想太は笑う。
「ともり!」
「はい」
そこに、ともりが立っていた。長い黒髪、純白の巫女装束、穏やかな笑顔。
はるなと想太にとっては、もう三度目の姿。
けれど、隼人、美弥、要、いちか。四人にとっては初めてだった。
誰もすぐには声を出せない。毎日のように、自分たちを見守っている存在として。
でも、違う。久遠野で声として届いてくるともりとは、目の前にいる存在の印象が、明らかに違う。
「……ともり?」
美弥が呟いた。
「はい」
ともりが答える。
美弥は息を呑んだ。声も知っている気がする。それなのに、初めて会う。
「本当に……」
隼人も言葉を探す。
「ともりなんだな」
「はい」
ともりは微笑む。
「同じともりで」
少しだけ間を置く。
「違うともりです」
「本当にその言い方なんだ……」
美弥が呟いた。
はるなが笑う。
「言ったでしょ?」
「聞いた時は、はるなの説明が下手なのかと思った」
「ひどい!」
「ごめん。でも今は分かった」
「でしょ?」
「分かったけど」
美弥はともりを見る。
「余計に分からなくなった」
「それも分かる」
はるなが頷く。
ともりが小さく笑った。
「皆さん」
四人の視線が、ともりへ戻る。ともりは一人ずつ見ていった。隼人、美弥、要、いちか。
「初めまして」
四人は少し戸惑った。
いちかが最初に返す。
「……初めまして」
少しだけ笑う。
「で、いいんですよね?」
「はい」
「変な感じです」
「そうですね」
「だって」
いちかはともりを見る。
「私たちは、ずっとともりと話してるから」
「はい」
「なのに初めまして」
「はい」
「不思議」
「私もそう思います」
隼人が頭を下げる。
「初めまして」
「はい」
要も続く。
「初めまして」
「はい」
美弥は。少し遅れて。
「……初めまして」
ともりは微笑んだ。
「初めまして、美弥さん」
美弥の表情が変わる。
「名前」
「はい」
「知ってるんですね」
「もちろんです」
「隼人も」
「はい」
「要も」
「はい」
「いちかも」
「はい」
ともりは、六人全員を見た。
「皆さんのことを、知っています」
四人が黙る。はるなと想太も、ともりを見ている。前にも同じようなことを言われた。でも、今日は違う。六人全員が、ここにいる。
「ずっと?」
要が聞いた。
ともりは、ほんの少しだけ間を置いた。
「はい」
要の目が細くなる。
「どれくらい前から?」
ともりは微笑む。
「それについては」
「……まだ聞いちゃいけない?」
「はい」
「ああ」
要は小さく笑った。
「そういうことか」
「申し訳ありません」
「いえ」
要は首を振る。
「はるなたちから聞いていたので」
「答えてくれないって?」
「はい」
はるなが口を挟む。
「ね? 本当でしょ?」
「自慢することじゃない」
美弥が言った。
「でも本当だったじゃん」
「そうだけど」
ともりが笑っている。
はるなが気づく。
「ともり」
「はい」
「嬉しそう」
ともりは少しだけ目を瞬いた。
「そう見えますか?」
「うん」
はるなは即答した。
「すごく」
ともりは、六人を見る。そして。
「はい」
静かに答えた。
「嬉しいです」
六人が黙る。
「皆さんが」
ともりは続ける。
「六人で来てくださったことが」
その言葉に四人の表情が少しだけ柔らかくなる。
「呼んだのは、ともりでしょう?」
美弥が言った。
「はい」
「だったら来るわよ」
「怖かったのでは?」
「怖かったです」
美弥は即答した。そして。
「今も怖いです」
「そうですか」
「でも」
五人を見る。
「来たかったから来ました」
ともりは、しばらく美弥を見つめていた。
「ありがとうございます」
「……どういたしまして」
美弥が少しだけ照れたように答えた。
六人、そしてともり。白い世界にようやく全員が揃った。
はるなと想太は、これまで二人だけで立っていた場所に、今日は仲間たちがいる。
隼人、美弥、要、いちか。四人は初めて見る白い世界で、初めて目の前に立つともりを見ている。
けれど、不思議と完全な初対面という感じはしなかった。
声を知っていると思うからなのか、顔を知っていると思うからなのか。それとも、別の理由なのか。六人には分からない。
ともりは、そんな六人をゆっくりと見回した。
はるな、想太、隼人、美弥、要、いちか。
その目は、初めて会った人を見る目ではなかった。懐かしい誰かを見るような、ようやく会えた誰かを見るようなそんな目だった。
「皆さん」
ともりが呼びかける。六人が、ともりを見る。
「改めて」
ともりは静かに笑った。
「来てくださって、ありがとうございます」
はるなが言う。
「約束したからね」
「はい」
「六人で来るって」
「はい」
「それで」
はるなは少し首を傾げた。
「私たち六人を呼んだ理由」
ともりを見る。
「教えてくれるんだよね?」
ともりは、少しだけ表情を変えた。
「はい」
六人の空気が変わる。
笑いが消える。
ともりは六人を見た。そして。
「そのために」
静かに言った。
「皆さんを、ここへお呼びしました」
白い世界に。六人が何度叩いても開かなかった扉は、今初めて六人全員のために開いていた。




