#080 「知らなくていい未来」
ともりは二人を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「皆さんには、まだ知ってはいけないことがあります」
はるなは、一瞬その意味が分からなかった。
「……知ってはいけない?」
「はい」
ともりは静かに頷いた。想太も表情を変える。
「知らなくていい、ではなくて?」
「はい」
「知ってはいけない?」
「今は、です」
ともりはそう答えた。白い世界に、静寂が戻る。はるなはともりを見つめていた。怒ってはいない。ただ、その言葉の意味を考えていた。
「それって」
はるなが聞く。
「私たちが知ったら、何か困ることがあるの?」
ともりは少しだけ間を置いた。
「その質問にも、すべてをお答えすることはできません」
「そっか」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいって」
はるなは小さく笑った。
「さっき言ったでしょ」
「はい」
「でも」
はるなの表情が少しだけ真剣になる。
「知ってはいけないことがあるっていうことは」
言葉を選ぶ。
「まだ、私たちが知らないことがいっぱいあるってことだよね?」
「はい」
ともりは否定しなかった。
想太が聞く。
「それは、この世界についてですか?」
ともりは答えない。
「俺たちについて?」
答えない。
「ともりについて?」
それでも、ともりは答えなかった。想太は小さく息を吐いた。
「全部、答えられないんですね」
「はい」
「分かりました」
想太はそれ以上聞かなかった。はるなも黙っている。ともりは、そんな二人を見つめていた。
「でもさ」
しばらくして、はるなが口を開いた。
「ちょっと変じゃない?」
「何がですか?」
「だって」
はるなはともりを見る。
「この世界が何なのかは教えてくれたじゃん」
「はい」
「久遠野がシミュレーション世界だって」
「はい」
「それって、ものすごく大きな秘密でしょ?」
「そうですね」
「なのに」
はるなは首を傾げる。
「それより先は、知っちゃいけないの?」
「はい」
迷いのない返事だった。はるなの表情から、少しだけ笑みが消えた。
「……そんなに大きなことなの?」
ともりは答えなかった。その沈黙が、はるなには、答えのように感じられた。
「そっか」
はるなは白い世界を見る。自分たちが知ったこと。久遠野がシミュレーション世界であること。それだけでも、今まで信じていた世界を根底から変えるほどの事実だった。
なのに、その先がある。そして今の自分たちは、そこへ進んではいけない。
「ともり」
「はい」
「それって、私たちがまだ子どもだから?」
「いいえ」
即答だった。はるながともりを見る。
「では、なぜ?」
想太が聞いた。
ともりは少し考えた。
「年齢は関係ありません」
「じゃあ」
「想太さん」
「はい」
「今のお二人にお伝えできるのは、そこまでです」
想太は口を閉じた。
「ごめん、想太」
はるなが言う。
「いや」
想太は首を振った。
「聞きたくなるよな」
「うん」
「俺もだから」
二人は顔を見合わせた。ともりは何も言わなかった。しばらくして、はるなが笑った。
「じゃあ、やめよっか」
「え?」
想太が見る。
「聞くの」
「いいのか?」
「だって、ともりが話せないって言ってるんだから」
はるなはともりを見る。
「無理やり聞いてもしょうがないよ」
「……ありがとうございます」
「またお礼言った」
「言いたくなりましたので」
「そっか」
「はい」
はるなは笑った。
少しだけ時間が流れた。どれほどの時間なのかは分からない。白い世界では、時間の感覚そのものが曖昧だった。
「一つだけ」
ともりが言った。はるなと想太が顔を上げる。
「お二人に、お伝えできることがあります」
「なに?」
はるなが聞いた。ともりは二人を見つめる。
「これは」
少しだけ間を置く。
「皆さんにも関係することです」
想太の表情が変わる。
「六人全員に?」
「はい」
「何ですか?」
ともりは、すぐには答えなかった。その瞳が、どこか遠いものを見ているようにはるなには見えた。
やがて、ともりは言った。
「皆さんは、いつか私と再会します」
はるなは瞬きをした。
「……え?」
「今じゃなくて?」
「はい」
「だって」
はるなは困ったように笑う。
「今、会ってるよ?」
「そうですね」
「じゃあ、再会って?」
ともりは微笑む。
「それ以上は、お話しできません」
「またそれ!」
思わず、はるなが声を上げた。ともりが少し笑う。
「ごめんなさい」
「絶対ちょっと楽しんでるでしょ」
「どうでしょう」
「ほら!」
想太が笑った。はるなは頬を膨らませる。けれど、すぐにその表情を戻した。
「いつか」
はるなが小さく言う。
「また会えるんだね」
「はい」
「私だけじゃなくて?」
「はい」
「想太も?」
「はい」
「美弥も、いちかも、隼人も、要も?」
「はい」
ともりは一人ずつの名前を聞いて、そのすべてに頷いた。
「六人ともです」
はるなは笑った。
「そっか」
それだけだった。なぜ再会するのか、いつ再会するのか、どこで再会するのか、何も分からない。
でも、なぜだろう。その言葉だけで十分な気がした。
想太も同じだった。
「それを聞けただけでも」
想太が言う。
「今日、来てよかったです」
「そう言っていただけるなら、私も嬉しいです」
「でも」
はるなが少し考える。
「それなら、一つ分かった」
「何がですか?」
「未来にも、ともりがいる」
ともりは黙った。
「だって再会するんでしょ?」
「はい」
「だったら」
はるなは笑う。
「それでいいや」
ともりが、はるなを見つめる。
「それだけで、いいのですか?」
「今はね」
「……そうですか」
「うん」
はるなは白い世界を見渡した。
「未来のこと全部知ってたら、つまんないし」
想太が苦笑する。
「さっきまで聞こうとしてただろ」
「それはそれ」
「都合いいな」
「いいの!」
ともりが笑う。
「はるなさんらしいと思います」
「それ褒めてる?」
「もちろんです」
「本当に?」
「はい」
「怪しい」
三人は笑った。やがて、その笑いが静かに消えていく。ともりは二人を見つめた。そして。
「もう一つ」
「まだあるの?」
「はい」
ともりの表情が少しだけ真剣になる。
「お願いがあります」
はるなと想太も姿勢を正した。
「次にここへ来る時は」
ともりは言葉を区切った。
「六人で来てください」
二人の表情が変わった。
「六人?」
「はい」
「私と想太だけじゃなくて?」
「はい」
「美弥たちも?」
「全員です」
想太がともりを見る。
「どうしてですか?」
「それは」
ともりは微笑んだ。
「次にお会いした時に、お話しします」
「やっぱり!」
はるなが声を上げた。
「今日はそればっかり!」
「申し訳ありません」
「絶対反省してない!」
「どうでしょう」
「ほら!」
想太が吹き出す。
「想太!」
「ごめん、無理」
ともりも笑っていた。白い世界に、また三人の笑い声が広がった。
そろそろ戻ろう。そう決めたのが誰だったのか、三人にも分からなかった。はるなと想太は、ともりの前に立つ。
「じゃあ」
はるなが言う。
「また来るね」
「はい」
「今度は六人で」
「お待ちしています」
「ちゃんと待っててよ」
「もちろんです」
想太も頭を下げる。
「また来ます」
「はい」
ともりは微笑んだ。
「皆さんで、いらしてください」
二人は頷く。白い光が、少しずつ二人の周囲に集まり始める。
「ともり」
「はい」
はるなが呼んだ。
「またね」
ともりは一瞬だけ、何も言わなかった。そして。
「はい」
微笑む。
「また」
白い光が強くなる。ともりの姿が、少しずつ見えなくなっていくその直前、はるなにはともりが、ほんの少しだけ寂しそうに笑ったように見えた。
白。光。そして。二人の姿が消えたあと。白い世界には、ともりだけが残っていた。
しばらく、何もない場所を見つめている。
「未来にも、私がいる……」
はるなの言葉を、小さく繰り返した。そして、ともりは微笑んだ。
「そうですね」
誰もいない白い世界で、静かに呟く。
「また、お会いしましょう」
その言葉の意味を。今の六人は、まだ知らない。知らなくていい。
今は。
まだ。
『観測対象:灯野はるな』
『観測対象:成瀬想太』
『位置情報――取得』
『観測を再開します』
「戻った……」
はるなが目を開いた。隣には想太がいる。目の前には、レゾネーター。何も変わっていない。久遠野では、またほんの一瞬だった。
「想太」
「うん」
二人は顔を見合わせる。そして。はるなは上を向いた。
「ともり」
『はい』
すぐに声が返ってきた。はるなは笑った。
「ただいま」
短い沈黙。そして。
『おかえりなさい』
想太も笑う。
「戻りました」
『はい』
『おかえりなさい、想太さん』
二人はもう一度、顔を見合わせた。今度は六人で。
それが、白い世界のともりから託された、次の約束だった。




