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灯野はるなは、夢から醒めていなかった(シリーズ4)  作者: 皆月 優
序章「共鳴筒(レゾネーター)」
8/11

#008 「隼人の夢」

 夜風が、開け放たれた窓から入り込む。薄いカーテンが静かに揺れ、机の上の端末が淡く光っていた。久遠野の夜は静かだった。街灯の明かりが道路を照らし、遠くを走る車の音だけが微かに聞こえてくる。

 隼人はベッドの上で眠っていた。浅い眠りだった。夢を見ている。そうと分かるほど曖昧な夢だった。

  ――ねえ。

 誰かの声がした。暗闇の中に街の輪郭が浮かび上がる。

 久遠野の夜景だった。だが、少し違う。建物の位置。道路の形。街灯の並び。どれも見覚えがあるのに、どこかが違う。

 まるで記憶を手描きで写したみたいに。微妙にずれていた。夢の中の隼人は立ち尽くしていた。手には見慣れない端末が握られている。冷たい。それだけが妙にリアルだった。


「……ここ、どこだ」

 返事はない。ただ風だけが吹いている。夜空を見上げる。星が揺れていた。いや。揺れているのは空そのものだった。黒い天井の向こう側に、もうひとつ別の空が重なっているみたいだった。

  ――覚えてる?

 また声がする。男とも女とも分からない。子どもにも聞こえるし、大人にも聞こえる。不思議な声だった。

「誰だよ」

 隼人は辺りを見回した。街灯の下。誰かが立っている。逆光で姿は見えない。顔も分からない。ただ、そこに誰かがいた。

「お前、誰なんだ」

 問いかけても答えは返らない。代わりに街の光が揺らぎ始める。ビルの窓。道路の標識。信号機の光。すべてが粒子になって空へ溶けていく。久遠野が崩れていく。まるで砂の城みたいに。

「おい、待て……」

 隼人は思わず手を伸ばした。届かない。街灯の下の誰かも遠ざかっていく。その姿が消える直前。声だけが聞こえた。

  ――明日は、どこから始まると思う?

「は?」

 突然の問いだった。

「起きたときだろ」

 隼人は答える。すると声は静かに笑った気がした。そして。

  ――違うよ。

 風が吹く。世界が白く染まる。光が視界を埋め尽くす。

 最後に残ったのは、その言葉だけだった。

  ――思い出したときに始まる。

 次の瞬間。隼人は目を覚ました。


「……っ!」

 上半身を起こす。胸が速く脈打っている。窓の外には夜の久遠野。街灯の光。静かな住宅街。見慣れた風景。

 夢だった。ただの夢。そう思おうとした。だが。胸の奥に妙な感覚が残っている。

 何か大切なことを忘れているような。何かを思い出しかけているような。


「なんだったんだ……」

 時計を見る。深夜二時過ぎ。部屋には誰もいない。端末も沈黙したままだった。

 隼人は再びベッドへ横になる。眠ろうとする。だが、あの言葉だけが頭から離れない。

  ――思い出したときに始まる。

 意味なんて分からない。それでも不思議と忘れられなかった。

 翌朝。

 空は曇っていた。隼人は通学路を歩きながら空を見上げる。昨夜の夢はほとんど思い出せない。

 街並みも。声も。誰かの姿も。霧の向こうへ消えてしまった。それなのに。ひとつだけ残っている。

 胸の奥に引っ掛かった小さな棘のように。

  ――思い出したときに始まる。


「……なんなんだよ、それ」

 苦笑しながら呟く。風が吹く。返事はない。ただ曇り空だけが静かに流れていた。

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