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灯野はるなは、夢から醒めていなかった(シリーズ4)  作者: 皆月 優
序章「共鳴筒(レゾネーター)」
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#007 「小さな時間の穴」

 放課後。久遠野市立灯ヶ峰学園の廊下は、夕暮れの光に染まり始めていた。窓から差し込む橙色の光が床を長く伸ばし、生徒たちの影をゆっくりと飲み込んでいく。

「じゃあ、また明日」

 昇降口へ向かう途中、いちかが手を振った。


「おう」

 隼人が片手を上げる。


「未来新聞の取材は?」

 想太が笑う。


「今日はお休み」

 いちかは肩をすくめた。だが、その視線はどこか落ち着かなかった。今朝の雪。観測ノイズ。要が見つけた応答ログの異常。それらが頭の片隅に引っ掛かっている。

「でも少しだけ図書室寄ってく」


 そう言うと、美弥が首を傾げた。

「また調べもの?」

「ちょっとね」


 要が静かに頷く。

「何か見つけたら教えて」

「うん」

 いちかは笑顔を作る。そして皆と別れ、ひとり図書室へ向かった。廊下は静かだった。窓の外では風も止み、校庭の木々はほとんど動いていない。まるで世界そのものが息を潜めているようだった。

 図書室の扉を開く。人影はない。夕暮れの光だけが本棚の隙間を照らしていた。

 いちかは奥の閲覧端末へ向かう。目的は単純だった。今朝の雪について何か記録が残っていないか確認したかった。

 端末を起動する。久遠野市の公共アーカイブ。過去の新聞記事。行政記録。観測データ。画面には無数の情報が並んでいた。

「雪……雪っと」

 検索を進める。特に変わった記事は見つからない。今朝の異常現象も、まだ記録には反映されていなかった。当然だ。今日起きた出来事なのだから。そのはずだった。

「……あれ?」

 指が止まる。画面右上の日付表示。

 二〇四九年十月十三日。

 いちかは瞬きをした。今日は十二日だ。何度見ても。何度確認しても。十二日のはずだった。

「バグ?」

 画面へ顔を近づける。日付は変わらない。

 二〇四九年十月十三日。

 そして、その下。ひとつの記事が表示されていた。


【久遠野中枢AI、一時的な遅延を確認】

 いちかの背筋を冷たいものが走る。記事を開く。

【本日午前十一時三十二分、久遠野全域のAI管理網に一時的な遅延が発生——】

 本日。十一時三十二分。その時間はまだ来ていない。いや。そもそも記事の日付そのものが明日になっている。


「……なに、これ」

 声が小さく震えた。図書室は静まり返っている。本棚も。机も。窓ガラスも。何も答えてはくれない。それでも画面の文字だけが、確かにそこに存在していた。


 そのときだった。微かなノイズが聞こえた。スピーカーは動いていない。どこから聞こえたのかも分からない。それでも。確かに何かが囁いた。

『……観測誤差を検出』


 いちかは顔を上げた。

「誰?」

 返事はない。窓の外の光が揺れる。空気がわずかに震える。

 次の瞬間。画面の文字が滲んだ。記事が消える。日付が変わる。

 二〇四九年十月十二日。元通りだった。何もなかったみたいに。

 いちかは画面を見つめる。心臓が速い。指先が冷たい。

「見間違い……?」

 そう呟いてみる。けれど、自分でも信じられなかった。あの記事は確かに存在していた。

 十一時三十二分。その数字だけが頭から離れない。

 深呼吸をして端末を閉じる。その瞬間だった。暗くなった画面に、一行だけ文字が浮かんだ。

  ――観測を続けて。

 いちかは息を呑む。目を擦る。もう一度見る。文字は消えていた。何もない。黒い画面だけ。

 夕暮れ。図書室を出る。廊下は橙色に染まっていた。その向こうから、小走りの足音が聞こえる。


「いちかー!」

 振り向く。美弥だった。少し息を切らしながら手を振っている。

「まだ残ってたの?」

「うん。ちょっと調べもの」

「なんか顔、真っ青だよ?」


 いちかは苦笑した。

「……気のせい」


「絶対気のせいじゃないでしょ」

 美弥は眉をひそめる。

「また変なもの見た?」


「見たっていうか……」

 言葉が続かない。説明しようとしても、自分でもうまく説明できなかった。


「まあいいや」

 美弥はそう言って笑った。

「帰ろ?」


 その笑顔を見ていると、張り詰めていたものが少しだけ緩む。

「うん」

 二人は並んで歩き出した。窓の外には夕暮れの久遠野。いつもと変わらない街並み。それでも。

 頭の奥では、あの数字だけが繰り返されていた。

 二〇四九年十月十三日。

 午前十一時三十二分。

 そして。

  ――観測を続けて。

 その言葉が誰のものだったのか。そのときのいちかは、まだ知らなかった。

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