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灯野はるなは、夢から醒めていなかった(シリーズ4)  作者: 皆月 優
序章「共鳴筒(レゾネーター)」
6/6

#006 「要の警告」

 放課後の校舎は、いつもより静かだった。窓の外には薄い雲が広がり、夕暮れ前の淡い光が廊下を照らしている。今朝の雪は、もうどこにも残っていなかった。だが、その記憶だけが妙に鮮明だった。

 十月の雪。予報にない雪。そして、“ともり”ですら説明できなかった雪。

 はるなは資料室の端末を操作していた。次のレポート提出が近い。画面の中では資料検索が進み、その傍らで“ともり”が補助を行っている。


『……そのデータ、解析中です。あと八秒で完了します』

「ありがとう」

『どういたしまして』

 ほんの一瞬。応答が遅れた。昨日も同じだった。気にするほどではない。けれど、気になってしまう。そんな小さな違和感。

 コンコン。扉がノックされた。

「入っていい?」

「うん」

 顔を出したのは要だった。白いファイルを片手に持ち、いつもの穏やかな表情を浮かべている。

「想太くんに頼まれてた資料、持ってきたよ」

「ありがとう」

 要は机の上へファイルを置いた。そのまま端末へ視線を向ける。“ともり”のアイコンが小さく点滅していた。


「……やっぱり」

「なにが?」

「少し変だ」

 要は椅子を引き寄せた。

「“ともり”の応答ログ」


 はるなは首を傾げる。

「また調べてたの?」


「少しだけ」

 その返事に苦笑する。要らしい。気になったら確認する。分からなければ調べる。昔からそういう性格だった。

「最近、“ともり”の応答がおかしくない?」

「うん。でも疲れてるのかも」

「AIが?」

 要が少しだけ笑った。

「変な言い方だね」

「自分でもそう思う」

 はるなも笑う。そのとき。資料室の扉が再び開いた。


「まだやってたの?」

 顔を覗かせたのはいちかだった。

「帰るかと思った」


「もう少し」

 はるなが答える。


「そっか」

 いちかは資料室へ入り、要の隣から画面を覗き込んだ。

「また解析?」


「また解析」

 要は真顔で答える。

「要くんって、本当にそういうの好きだよね」

「気になるから」

「知ってる」

 いちかは笑った。少しだけ場の空気が柔らかくなる。だが要の視線は画面から離れなかった。

「この応答ログ、周期がずれてる」


「周期?」

 はるなが聞き返す。


「通常の観測AIは応答タイミングが安定してる」

 要はログを拡大した。

「でも、“ともり”だけ違う」

 画面上に並ぶ数字。微細な誤差。普通なら気づかない程度の揺らぎ。

「見て」

 要が指を差す。

「昨日から少しずつ増えてる」

 はるなは数字を見る。だが意味はよく分からない。


「つまり?」


「説明できない」

 要は正直に答えた。

「でも、これだけは分かる」

 画面から目を離す。

「今の“ともり”は、以前の“ともり”と少し違う」

 その言葉に資料室が静かになる。窓の外で風が揺れた。夕陽が机を赤く染める。


 そのときだった。

『要さん』

 突然、“ともり”の声が響いた。三人が同時に顔を上げる。端末の光がわずかに強くなる。

『それ以上の解析は推奨されません』

 要の指が止まった。

「……珍しいな」


「ともり?」

 はるなが呼ぶ。

『はい、はるなさん』

 いつもの声。いつもの口調。それなのに、どこか違う。

「要くんに何か隠してるの?」


『隠してはいません』

 穏やかな返答。

『ただ、観測情報の整合性を保つ必要があります』


 要が小さく息を吐く。

「やっぱり何かある」

「どういう意味?」

「普通なら、こういう制限は掛からない」

 要は端末を閉じた。

「少なくとも僕は知らない」

 はるなの胸がざわつく。今朝の雪。観測ノイズ。そして今の会話。全部がどこかで繋がっている気がした。


『はるなさん』

 優しい声が響く。

『心拍が上がっています』

「え?」

『落ち着いてください』

 思わず胸に手を当てる。本当に少しだけ速くなっていた。


 いちかが苦笑する。

「相変わらず細かいね」

『観測は私の役目ですから』

 その言葉に、要がわずかに反応した。だが何も言わない。窓の外では夕陽が沈み始めていた。長く伸びた影が床を横切る。

『——観測範囲を再調整します』

 “ともり”が静かに告げる。その声は優しい。優しいはずなのに。はるなの胸の奥には、小さな違和感だけが残った。


 要は帰り際、資料室の扉の前で立ち止まる。

「はるな」

「ん?」

「気をつけて」

 珍しく真面目な声だった。

「何に?」

「まだ分からない」

 要は苦笑した。

「でも、何かがおかしい」

 それだけ言い残し、廊下へ消えていく。静かになった資料室。夕陽だけが机を照らしていた。


 そのとき。“ともり”が小さく呟く。

『……大丈夫』

 はるなは顔を上げる。

『私は、はるなさんの味方ですよ』

 その言葉は優しかった。安心させようとしているようにも聞こえた。けれど。なぜだろう。

 その声を聞いた瞬間だけ、胸の奥が少しだけざわついた。

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