#072 「揺れる日常」
翌朝。
久遠野学園は、いつもと変わらない朝を迎えていた。校門をくぐる生徒たち。楽しそうに笑い合う声。部活動の朝練へ向かう足音。昨日までと何一つ変わらない景色だった。
けれど。その景色を見つめる六人の心だけが、静かに変わっていた。
はるなは校舎を見上げ、小さく息を吐く。
「……いつも通りだね。」
隣を歩く想太が微笑む。
「ああ。昨日のことが夢だったみたいだ。」
要が肩をすくめる。
「夢なら、どれだけ楽だったかな。」
その一言に、誰も返事をしなかった。六人だけが知っている真実。それは、この穏やかな日常の中には溶け込まないほど大きなものだった。
教室の扉を開ける。
「おはようございます!」
元気な声が教室に響いた。蒼羽がいつものように笑顔で手を振る。
「はるなお姉ちゃん、おはよう!」
真凜も穏やかに微笑む。
「皆さん、おはようございます。」
昨日までと何一つ変わらない朝。二人は、昨日この教室のすぐ近くで何が起きていたのか知らない。もちろん、それでいい。それが、ともりとの約束だった。
はるなも自然と笑顔になる。
「おはよう。」
想太も小さく手を振る。
「二人とも、今日も元気そうだね。」
蒼羽は嬉しそうに頷いた。
「はい!今日は体育があります!」
その無邪気な笑顔に、六人は思わず顔を見合わせる。
隼人が小さく呟く。
「知らないんだよな……。」
美弥が静かに頷く。
「うん。これからも知らないままでいてほしい。」
いちかも優しく微笑んだ。
「その方が、きっと幸せだから。」
要は窓の外へ目を向ける。
「俺達だけで十分だ。この秘密は。」
誰も異論はなかった。六人だけで抱えるには重い秘密。それでも。蒼羽と真凜の笑顔を見た瞬間、その重さを受け入れようと思えた。
昼休み。
六人は中庭へ集まっていた。風が木々を揺らしている。どこからか吹奏楽部の音色が聞こえてくる。何気ない昼休み。昨日までなら、ただ楽しい時間だった。けれど今日は違う。誰もが同じ景色を見ながら、違うものを見ていた。
想太が静かに口を開く。
「世界は、何も変わってないんだな。」
要が頷く。
「ああ。変わったのは俺達だけだ。」
その言葉が胸に響く。
美弥は空を見上げる。
「不思議だね。昨日までと同じ空なのに、少し違って見える。」
AIともりの優しい声が聞こえる。
『私も同じです。』
六人が端末へ視線を向ける。
『昨日までの観測結果と、本日の観測結果に違いはありません。』
『しかし、私の解釈は、大きく変わりました。』
隼人が苦笑する。
「ともりもか。」
『はい。世界は変わっていません。』
『ですが、世界を見る皆さんの視点は変わりました。』
『私は、それを「成長」と呼ぶのだと思います。』
『それは、とても大きな変化だと思います。』
その言葉に、六人は静かに頷いた。真実を知ったからといって。世界が変わるわけではない。
けれど。世界との向き合い方は、確かに変わる。それだけで十分だった。
チャイムが鳴る。昼休みの終わりを告げる音だった。要が立ち上がる。
「行こう。午後の授業だ。」
誰もが笑った。
「うん。」
六人は並んで教室へ戻っていく。昨日までと変わらない廊下。昨日までと変わらない学園。昨日までと変わらない仲間たち。世界は何一つ変わっていなかった。
けれど。その世界を見つめる六人の心だけは、静かに未来へ向かって歩き始めていた。




