#035 「二人だけの秘密」
夜。寮の窓の外には星空が広がっていた。静かな風がカーテンを揺らしている。蒼羽はベッドの上で仰向けになっていた。手には端末。だが画面を見る気になれない。
「……」
考えていた。ここ数日のことを。聞こえた気がした声。思い出せない言葉。そして。はるなの反応。
「また聞こえたら教えて」
あの言葉が妙に引っ掛かっていた。どうしてだろう。みんなは気のせいだと言った。でも。はるなだけは違った。まるで知っているような顔をしていた。
コンコン。軽いノックが響く。
「蒼羽?」
真凜だった。
「開いてるよ」
扉が開く。真凜は慣れた様子で部屋へ入ってきた。手にはマグカップ。湯気が立っている。
「また考え事?」
「そんな顔してる?」
「してる」
即答だった。蒼羽は苦笑する。真凜は隣の椅子へ腰掛けた。しばらく沈黙。外では虫の声が聞こえる。
「ねえ」
蒼羽が口を開いた。
「真凜」
「うん」
「私ね」
一度言葉を止める。
そして。
「実は昨日も聞こえた気がする」
真凜が瞬きをする。
「声?」
「うん」
蒼羽は頷いた。
「でも思い出せない」
それが不思議だった。聞こえた気がする。確かに。でも内容が分からない。夢みたいに消えてしまう。
「どんな感じだったの?」
「分からない」
蒼羽は首を振る。
「ただ……優しかった」
真凜は少し考える。そして。
「じゃあ」
静かに言った。
「私も言う」
「え?」
蒼羽が起き上がる。
真凜は少しだけ視線を逸らした。
「実はね」
小さな声。
「私も聞こえた気がする」
部屋が静かになる。
「本当に?」
「うん」
真凜は頷いた。
「昨日の夜」
蒼羽は思わず立ち上がった。
「なんで言わなかったの!?」
「蒼羽が先に言わなかったから」
「うっ」
反論できない。
真凜は少しだけ笑う。
「気のせいだと思ったし」
「私も」
二人は顔を見合わせる。そして。同時に笑った。
「じゃあ気のせいじゃないかも」
「そうかも」
それだけで少し安心した。一人じゃない。それが嬉しかった。
真凜は窓の外を見る。星が瞬いている。
「でも」
「うん?」
「六人にはまだ言わない方がいいと思う」
蒼羽は首を傾げた。
「どうして?」
「分からないから」
真凜は正直に答える。
「声なのか」
「夢なのか」
「本当に聞こえたのか」
何も分からない。だから。
「もう少し確かめてから」
蒼羽は少し考えた。そして頷く。
「分かった」
その約束は自然だった。大げさなものじゃない。ただ。二人だけの秘密。それだけだった。
深夜。
二人はそれぞれの部屋で眠りにつく。
静かな夜。風の音。遠くの街灯。変わらない久遠野の夜。けれど。眠りに落ちる直前。蒼羽は聞いた気がした。
『ありがとう』
優しい声だった。今度は少しだけ。はっきりと。蒼羽は目を開く。だが。部屋には誰もいない。
「……」
気のせいだろうか。そう思いながら目を閉じる。その頃。別の部屋で眠る真凜もまた。同じ声を聞いた気がしていた。けれど。
二人ともまだ知らない。その声が誰のものなのか。なぜ自分たちに届くのか。その理由を。夜空の星だけが静かに瞬いていた。




