#032 「思い出せない音」
翌日の昼休み。要は一人で研究室にいた。窓の外では秋の風が木々を揺らしている。机の上には薄い携帯端末が置かれていた。学園の記録。旧図書館の資料。保存された電子データ。
要はそれらを個人閲覧モードで確認していた。視線の先にだけ表示される情報群。指先を動かすたびに、半透明のウィンドウが静かに切り替わる。
「……おかしいだろ」
小さく呟く。地下室についての記録はある。旧図書館の改築履歴も残っている。だが。あの巨大な円柱についてだけは何も書かれていなかった。
存在しているはずなのに。記録だけがない。そのことが妙に引っ掛かっていた。
「やっぱりここにいた」
声がして振り返る。はるなだった。
「昼休みまで調べてるの?」
「気になるからな」
要は肩をすくめた。
はるなが苦笑する。
「要らしいね」
しばらくして。想太がやって来た。続いて美弥。隼人。いちか。気付けば六人全員が揃っていた。研究室はいつもの空気に戻る。
「何か分かった?」
想太が聞く。
要は首を振った。
「何も」
「何も?」
「何もだ」
要は端末を机の中央へ置いた。指先で操作すると、淡い光が広がる。次の瞬間。空中に複数の半透明ウィンドウが展開された。
旧図書館の見取り図。改築履歴。地下構造の立体図。研究室の中央に青白い光が浮かぶ。
「おお……」
想太が思わず声を漏らした。
「何度見ても未来っぽいな」
「いやそろそろ慣れようよ」
美弥が呆れたように言う。
要は構わず画面を切り替えた。
「見てくれ」
立体図が回転する。地下室の位置。通路。階段。
だが。あの円柱だけが存在しない。
「地下室についての記録はある。でも、あの円柱についてだけ何もない」
隼人が眉をひそめた。
「逆に不自然だな」
「だろ?」
要も頷く。あれだけ大きな構造物だ。本来なら何らかの記録が残っていてもおかしくない。それがない。だから気になる。
「結局さ」
想太が椅子の背にもたれた。
「何だったんだろうな」
誰もすぐには答えなかった。答えられる者がいないからだ。
「はるなは?」
美弥が尋ねる。
「何か思い出した?」
はるなは少し考えた。だが首を振る。
「やっぱり分からない」
聞こえた音。青白い光。思い返そうとしても輪郭が曖昧だった。
「夢じゃないんだよね?」
いちかが小さく言う。
「たぶん」
はるなは苦笑した。
「でも、自信はないかも」
その答えに、想太も頷く。
「俺もそうなんだ」
「え?」
「何かあった気はする。でも、何だったのか思い出せない」
研究室が静かになる。不思議な感覚だった。何かを忘れている。けれど何を忘れたのか分からない。そんな感覚。
「思い出せないんだよな」
隼人が窓の外を見た。
「音だったのか、光だったのか」
「それとも気のせいだったのか」
美弥が続ける。どれも否定できない。どれも証明できない。
要が指先でホログラムを閉じた。青白い光が静かに消える。
「だから余計に気になる」
全員が頷いた。違和感だけが残っている。それだけだった。やがて昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。
「午後の授業だな」
想太が立ち上がる。話は結局、結論のないまま終わった。だが。六人の中には同じ感覚が残っていた。何かがある。まだ見つかっていないだけで。
その夜。蒼羽と真凜は寮の自室にいた。宿題を終えた蒼羽がベッドに転がる。
「ねえ」
「なに?」
真凜は本から顔を上げた。蒼羽は少し迷った。言おうかどうか。自分でもよく分からない話だったからだ。
「昨日さ」
「うん」
「変なことがあった」
真凜が首を傾げる。
「変なこと?」
「帰り道」
蒼羽は天井を見上げた。
「誰かに話しかけられた気がする」
真凜が瞬きをする。
「誰かって?」
「分からない」
蒼羽は苦笑した。
「声もよく覚えてないんだ」
「じゃあ気のせいじゃない?」
「そうかも」
そう言いながらも蒼羽は首を傾げる。気のせい。きっとそうだ。そう思う。けれど。胸の奥に残る感覚だけは消えなかった。
「でもね」
「うん」
「何か、大事なことだった気がするんだ」
真凜はしばらく蒼羽を見つめていた。やがて小さく微笑む。
「じゃあ、忘れないでおけばいいんじゃない?」
その言葉に蒼羽も笑った。
「そうだね」
窓の外では秋の風が静かに吹いている。夜空には星が瞬いていた。そのどこか遠くで。誰かが優しく見守っているような気がした。けれど、その正体を知る者はまだ誰もいなかった。




