#030 「微睡みの向こう側」
週末。秋空は高く澄み渡っていた。久遠野の街は静かだった。休日の穏やかな空気。それはいつもと変わらない景色のはずだった。
けれど。はるなの胸の奥には、小さな緊張があった。旧図書館へ向かうためだ。約束の日。六人は再び集まっていた。
「本当に行くんだな」
想太が言う。
「今さらだろ」
隼人が笑う。
いちかは少しだけ不満そうだった。
「休日に旧図書館ってどうなの」
「今さらよね」
美弥も苦笑する。
要だけは静かだった。目的地が近づくにつれ、表情が少しずつ引き締まっていく。誰も口にはしない。
だが。全員が同じことを考えていた。あの地下室。あの円柱。あの音。答えはまだ何も見つかっていない。それでも。放っておけなかった。
旧図書館は変わらずそこにあった。蔦の絡まる壁。古びた窓。静まり返った建物。人の気配はない。
「行こう」
要の言葉で、一行は建物の中へ入った。薄暗い廊下。地下へ続く階段。前回と同じ道。そして。地下室。巨大な円柱は、今日もそこに立っていた。
「……やっぱり変だな」
想太が呟く。誰も否定しない。存在感だけが異様だった。何もしていない。何も起きていない。それなのに。目を離せない。はるなはゆっくり近付いた。誰も止めない。気付けば全員が見守っていた。一歩。また一歩。距離が縮まる。不思議だった。怖くない。むしろ。懐かしい気さえした。
そして。
コン……
音が響いた。今度ははっきり聞こえた。はるなは立ち止まる。
「聞こえた?」
振り返る。だが。みんなの表情は変わらない。
「何が?」
想太が聞く。その瞬間。はるなの背筋を小さな震えが走った。自分だけだった。今の音は。自分だけに聞こえた。そんな気がした。
コン……
もう一度。今度は少し近い。円柱の奥から。呼ばれているような。そんな感覚。はるなは息を呑む。何かがいるのだろうか。
いや。そんなはずはない。ここには誰もいない。それなのに。胸の奥だけが不思議なほど静かだった。恐怖ではない。懐かしさ。そんな感情だった。
「はるな」
美弥の声。我に返る。
「大丈夫?」
「うん……」
自信はなかった。
要が円柱を見上げる。
「何か分かったか?」
はるなは少しだけ考えた。そして首を振る。
「分からない」
本当に分からない。何一つ。ただ。ひとつだけ確かなことがあった。ここで終わりではない。そんな気がした。
その時だった。円柱の表面を、小さな光が走った。ほんの一瞬。見間違いと言われれば、それまでの時間。
だが。はるなは確かに見た。薄い青白い光。まるで誰かが目を覚ましたような。そんな光だった。
「今……」
思わず声が漏れる。だが。次の瞬間には消えていた。地下室は再び静寂に包まれる。
誰も何も言わない。何も起きていない。そう言われればそうだった。証拠もない。説明もできない。それでも。六人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
帰り道。夕陽が久遠野を赤く染めていた。街は穏やかだった。人々は笑い。子どもたちは走り回る。変わらない日常。
けれど。はるなは空を見上げた。あの場所で見た光。あの音。あの感覚。何だったのだろう。
答えはまだ遠い。手を伸ばしても届かない。まるで微睡みの向こう側にある景色のように。
それでも。確かに何かが始まっている。そんな予感だけが胸に残っていた。夕暮れの風が吹く。久遠野の空は、どこまでも静かだった。




