#024 「初めての久遠野」
放課後の久遠野は、どこか浮き足立っていた。商店街の軒先には色とりどりの飾りが並び、街路樹には小さな提灯が取り付けられている。大型の情報掲示板には、明日開催される灯ヶ峰学園祭の案内が流れていた。
学園祭前日。街全体が、お祭りを待っているようだった。
「すごい……」
蒼羽が足を止める。目の前には夕暮れの商店街。人々の笑い声。店先から漂う甘い香り。準備に追われる学生たち。
その全てが、蒼羽には新鮮だった。
「本当にお祭りなんだ」
「だから学園祭だって言ってるだろ」
隼人が苦笑する。
「いや、そうなんだけど!」
蒼羽は目を輝かせた。
「写真で見るのと全然違います!」
真凜も静かに頷く。
「思ったより賑やかだね」
はるなはそんな二人を見て微笑んだ。転校してきてまだ数日。不安もあったはずなのに、二人はすっかり久遠野を楽しんでいるようだった。
「見てください!」
蒼羽が情報掲示板を指差す。画面には学園祭の案内が映っている。明日のタイムスケジュール。
模擬店。展示企画。ステージ発表。そして。
『特別企画 巫女舞・祝詞奉納』の文字。
「あった!」
蒼羽が飛び跳ねる。
「本当に載ってる!」
「申請通ったみたいだな」
要が言った。
「まだ正式決定じゃないと思ってました!」
「つい先程の会議で決まったんだと思うよ」
いちかが笑う。
蒼羽は掲示板を見上げながら嬉しそうに拳を握った。
「頑張ります!」
「緊張しないの?」
美弥が聞く。
「します!」
「するんだ」
「でも頑張ります!」
即答だった。その様子に、みんなが笑う。商店街を歩きながら、八人は他愛もない話を続ける。
好きな食べ物。昔の思い出。久遠野のおすすめ。
蒼羽と真凜は何を見ても楽しそうだった。噴水広場へ出たところで、空が少し赤く染まり始める。夕陽が水面に反射し、街を金色に照らしていた。
「綺麗……」
真凜が小さく呟く。
「うん」
蒼羽も頷いた。
「本当に綺麗」
その時。街のスピーカーから、ともりの放送が流れた。
——「学園祭準備、お疲れさまです。明日も良い一日になりますように。」
優しい声。いつもと変わらない放送。けれど。蒼羽と真凜は自然と立ち止まり、小さく頭を下げた。
「またやってる」
想太が笑う。
「ご挨拶です」
蒼羽は真面目だった。
「大切なんです」
真凜も頷く。
「習慣なので」
いちかが吹き出した。
「そのうち私もやるようになるかも」
「ぜひ!」
蒼羽が嬉しそうに答える。
その時だった。風が吹いた。ほんの一瞬。夕暮れの風が商店街を通り抜ける。
蒼羽はふと足を止めた。
「……え?」
「どうしたの?」
真凜が振り返る。蒼羽は周囲を見回した。誰もいない。いつもの商店街。夕暮れの街。何も変わらない。
「今……」
「今?」
「ううん」
蒼羽は首を振った。
「気のせいだったかも」
真凜は少しだけ不思議そうな顔をした。だが、それ以上は聞かなかった。再び歩き始める。
けれど今度は、真凜も足を止めた。
「……あれ?」
「真凜?」
「今……」
真凜も空を見上げる。夕焼け空。流れる雲。何もない。それでも。確かに何かを聞いた気がした。
「聞こえた?」
蒼羽が小さく尋ねる。
真凜は少し考えたあと、「……気のせいかもしれない」と答えた。
二人は顔を見合わせる。そして同時に笑った。
「疲れてるのかな」
「かもね」
誰にも聞こえない声。誰にも見えない違和感。けれど、その温かさだけは胸の奥に残っていた。
——ようこそ。
そんな言葉だった気がする。夕陽が沈み始める。明日は学園祭。久遠野で迎える、初めてのお祭り。蒼羽と真凜は少しだけ足を速め、仲間たちの輪へ駆けていった。その背中を、夕暮れの風が優しく追いかけていた。




