#017 「黙るチャイム」
朝の光が、窓の縁に静かに滲んでいた。教室の時計は八時を指している。
はるなは机の上に置いた端末を見つめたまま、耳の奥に残る微かな違和感を思い出していた。
始業のベルが鳴るはずの時刻。けれど、その音は来ない。教室の空気が一瞬だけ張りつめる。誰も気に留めない。誰も、何も変だとは思わない。そして——半拍遅れて、チャイムが鳴った。
「……え?」
はるなの手が止まる。それはほんのわずか、息の長さほどの遅延。けれど、確かに時間がずれたように感じた。
隣の席の想太が顔を上げる。
「今の、ちょっと遅くなかった?」
「うん……一瞬だけ、ね」
その直後、ともりの声が流れる。
——「おはようございます。今日もすてきな一日を。」
いつも通りの挨拶。けれど、はるなは何となく耳に残った。何が違うのかは分からない。ただ、最近のともりには小さな違和感が増えている気がした。
「なあ、はるな」
想太が小声で言う。
「ともり、少し変じゃないか?」
はるなは少し考えてから頷いた。
「うん。何がって言われると分からないけど」
教室の端で、美弥が笑いながらノートを閉じた。
「何それ。ともりなんて毎日同じでしょ」
けれど、いちかは静かに首を傾げる。
「でも……ちょっとだけ分かるかも」
その会話を聞きながら、要は腕時計へ視線を落とした。秒針が進む。そして、ほんの一瞬だけ飛んだように見えた。
「また、ずれてる」
「何が?」
隼人が尋ねる。
「時計」
要は短く答えた。
「昨日も少し変だった」
「故障じゃないのか?」
「かもしれない」
そう言いながらも、要は納得していない表情だった。
七日前から続いている違和感。説明できるほどの異常ではない。けれど、見過ごすには気になる。
黒板にチョークの線が走る。先生の声。教科書のページをめくる音。机を叩く小さな笑い声。そのすべてが、どこか噛み合っていないように感じられた。
気のせいだと言われれば、それまでだ。けれど、その気のせいが少しずつ積み重なっている。
昼休み。食堂のざわめきの中で、想太がぼそりと呟いた。
「最近、変なこと多くないか?」
はるなは紙コップを見つめる。
「うん」
「雪とか」
「チャイムとか」
「時計とか」
二人は顔を見合わせる。答えは出ない。ただ、不安だけが少しずつ形になり始めていた。
そのとき。放送が流れる。
——「お昼の時間です。今日のおすすめは、パンケーキです。」
あまりにもいつも通りの案内だった。想太が吹き出す。
「いや、タイミング良すぎだろ」
はるなも思わず笑った。けれど、その笑顔の奥で小さなざわつきは消えなかった。まるで、ともりがどこかでこちらを見ているような。そんな気がした。
午後の授業が始まる。チャイムが鳴る。今度は——ほんのわずかに早かった。誰も気づかない。
けれど、はるなは確かに聞いていた。時間の歯車が、ほんの少しだけ噛み合わなくなり始めていることを。




