#016 「再生の朝」
朝の空気は、どこまでも澄みきっていた。久遠野の街は静かに目を覚まし、ともりの挨拶がいつものように流れる。
——「おはようございます。今日もすてきな一日を。」
その声を聞きながら、はるなは窓辺に立っていた。柔らかな声。けれど、どこか少しだけ違う気がする。
何が違うのかは分からない。言葉では説明できないほど小さな違和感だった。
七日前のことは、誰も口にしない。それが夢だったのか、現実だったのか——確かめようのないまま、世界は静かに動き出していた。
けれど、はるなと想太には忘れられない瞬間がある。あの夜、空を覆った光。誰もいない街で、ただ二人だけが確かに“何か”を見た。そして今も、胸の奥のどこかで、あの光の残響が燻っている。
「……おかしいよな」
隣で、想太が小さくつぶやいた。
「朝の放送、なんか変じゃないか?」
はるなは少し笑って頷く。
「聞こえちゃった? 私もそう思ってた」
ともりの声が再び流れる。
——「一限目、教室変更のお知らせです。」
教室のスピーカーから、何気ない連絡が降り注ぐ。けれど、その内容は、ついさっきまで学園端末には表示されていなかった。
「更新、早いな……」
想太が言いかけたとき、窓の外の桜の枝が風もないのに揺れた。光の粒が空気を縫うように漂い、一瞬、教室をかすめて消える。誰も気づかない。見えているのは、はるなと想太だけだった。それでも、どこかで何かがずれたような感覚が残る。説明できない違和感。けれど、胸の奥だけが静かにざわついていた。
授業が始まる。教師の声。ページをめくる音。いつも通りの朝。なのに、その“いつも通り”がどこか不自然に感じられた。
はるなは、ノートの端に無意識のうちに文字を書いていた。
「おかえりなさい」
意味も理由もない。けれど、手が自然に動いて、その言葉を綴っていた。
——おかえり。誰に?
その問いが頭の奥で響いたとき、不意に声が重なった。
——「同期処理、完了まで……あと一分。」
誰もそのアナウンスを聞いていない。聞こえたのは、はるなと想太だけだった。
「……ともり?」
はるなが呟く。想太が息を詰め、はるなの目を見つめ返した。窓の外の雲が、ほんの一瞬だけ止まったように見えた。
時計の針は十一時三十一分。チョークが黒板の端から転がり落ちる。生徒たちの動きが止まり、教室全体が無音のまま息を潜めた。
時間が、ひと呼吸ぶんだけ伸びたように感じる。誰も気づかない。ただ、二人だけが空間の揺らぎを見ていた。
——再同期、完了。
静かな声が届く。音は優しく、それでいてどこか遠かった。波紋のように教室の空気を揺らし、壁の向こうへ溶けていく。
針が動く。十一時三十二分。
音が戻る。ページをめくる音。ペン先の走る音。教師の声。世界は何事もなかったかのように再び動き出した。
はるなは小さく息を吐く。そして思う。
——また、始まったんだ。
その瞬間、外の空に、ほんの一瞬だけ白い光が走った。誰も気づかない。彼女の心だけが、その微かな違和感を覚えていた。




