#015 「微睡(まどろみ)の終端」
夜の久遠野市。街は静かな眠りにつこうとしていた。住宅街の灯り。遠くの高層棟。学園区画の照明。すべてがいつも通りだった。少なくとも、そのはずだった。微かな振動ではるなが目を覚ます。ベッドの上でゆっくりと身体を起こした。
「……?」
地震だろうか。揺れは弱い。だが確かに何かが震えている。窓ガラスが小さく鳴った。それだけだった。
静かな夜。それなのに胸の奥がざわつく。嫌な予感がした。机の上の端末が淡く光る。ともりからの自動通知。珍しいことだった。
『異常現象を観測』
『現在解析中』
短い表示。はるなは急いで端末を手に取る。
「ともり?」
数秒後。画面が点灯する。
『こんばんは、はるなさん』
その声は聞き慣れたものだった。だが。どこか余裕がない。
「今の揺れ、何?」
『確認中です』
短い返答。
「また?」
『はい』
少しの沈黙。
『原因を特定できません』
はるなは窓へ歩み寄る。カーテンを開いた。その瞬間だった。
「……え?」
空に光が浮かんでいた。白い輪。月でもない。雲でもない。淡く輝く巨大な円が夜空に浮かんでいる。
ゆっくりと。本当にゆっくりと。回転しているようにも見えた。はるなは言葉を失う。
街のあちこちでも窓が開く。誰かが空を見上げている。異常は久遠野全体で起きていた。
『記録照合中』
『該当データなし』
ともりの声が続く。
『学園記録』
『都市記録』
『環境観測記録』
『全て照合失敗』
つまり。ともりも知らない。はるなは空を見つめたまま尋ねる。
「何なの?」
返事はなかった。いや。返せなかったのだろう。ともりにも分からない。それだけは分かった。
白い輪は静かに空へ浮かんでいる。脅威には見えない。だが安心もできない。ただそこに存在していた。まるで誰かが遠くから世界を覗き込んでいるように。そんな錯覚を覚える。
『観測継続』
『解析継続』
『原因不明』
ともりの声が繰り返す。いつもなら答えをくれる存在。そのともりが答えを持っていない。それが何より不安だった。時間だけが過ぎる。
数分後。白い輪はゆっくりと薄れていった。夜空へ溶けるように消えていく。街の灯りが戻る。振動も止まる。
何事もなかったかのように。静かな夜が戻ってきた。はるなは窓辺に立ったまま空を見上げる。
「……終わったの?」
ともりはすぐには答えなかった。数秒後。ようやく返事が返ってくる。
『現象の終了を確認』
「今の何だったの?」
長い沈黙。そして。
『分かりません』
ともりはそう答えた。はるなは小さく息を吐く。怖かった。不安だった。でも。なぜだろう。ほんの少しだけ。何かが始まったような気もしていた。
窓の外では夜風が吹いている。久遠野は静かだった。けれど。見えない場所で何かが動き始めている。そんな予感だけが残っていた。
旧図書館地下保守区画。
誰もいない地下室。
暗闇の中。
巨大な黒い装置が静かに横たわっている。
光はない。音もない。完全な静寂。だが。
コン……
小さな音が響く。少し間を置いて。
コン……
再び。鼓動。まるで眠る心臓のような音。そして。
コン……
その音は、昨日よりもわずかに強くなっていた。暗闇の中で。誰にも知られないまま。
Resonatorは静かに脈打ち続けていた。




