#014 「音のない放課後」
放課後のチャイムが鳴る——はずだった。だが、その音は鳴らなかった。教室の中で何人かが顔を上げる。誰もすぐには異変だと気付かなかった。
チャイムの故障。スピーカーの不具合。そんなことは時々ある。だが。次の瞬間。はるなは違和感に気付いた。
静かすぎる。窓の外を見る。木々が揺れている。だが、風の音が聞こえない。
校庭では生徒たちが歩いている。だが、足音も聞こえない。
誰かが笑っている。口は動いている。それなのに。音だけが存在しなかった。
「……え?」
思わず声を出す。だが、自分の声さえ聞こえない。喉は震えている。確かに声を出した。なのに。
世界から音だけが消えていた。教室のあちこちでざわめきが広がる。いや。広がっているように見える。実際には何も聞こえない。無音だった。
完全な静寂。耳が壊れたわけではない。それは直感で分かった。音という概念だけが、どこかへ消えている。はるなは急いで端末を開いた。
「ともり!」
画面が点灯する。いつものアイコン。だが反応は遅かった。数秒。さらに数秒。
ようやく返答が返ってくる。
『確認中です』
短い言葉。いつものともりらしくない。
「ともり! 何が起きてるの!?」
返事はすぐには来なかった。画面の端に処理中を示す光が流れる。
『原因を特定できません』
はるなは息を呑んだ。
「え……?」
『音響システム異常なし』
『通信システム異常なし』
『環境制御システム異常なし』
次々と表示される診断結果。全て正常。だが。現実は正常ではない。
「でも音が——」
『確認しています』
ともりの返答が少しだけ早くなる。まるで必死になっているようだった。
『現在、久遠野全域で同様の現象を確認』
『原因不明』
『解析継続中』
その文字列を見て、はるなの背筋が冷えた。ともりにも分からない。それが何より恐ろしかった。
窓の外では、生徒たちが困惑していた。先生たちも端末を確認している。街全体が異変に気付いている。なのに誰も理由が分からない。
『はるなさん』
ともりが呼びかける。
「うん」
『怖がらないでください』
その言葉に、はるなは少しだけ笑った。
「それ、ともりが言うんだ」
返事はなかった。短い沈黙。そして。
『……私も少し怖いです』
その一文が表示された。はるなは目を見開く。
ともりは続けない。ただ、その言葉だけが画面に残っていた。世界が静まり返る。誰の声も届かない。風の音も。鳥の声も。遠くの街のざわめきも。何も聞こえない。それでも。ともりだけは必死に調べ続けていた。
原因不明。解析不能。記録なし。矛盾。エラー。画面の隅で診断ログが流れ続ける。
そして。数十秒後。ふいに。風の音が戻った。
かすかに。本当にかすかに。続いて。遠くで誰かの笑い声。椅子の軋む音。足音。世界に少しずつ音が戻っていく。
教室の空気が緩む。誰かが安堵の息を吐いた。はるなは窓の外を見る。久遠野はいつも通りだった。何も変わっていない。そう見える。だが。
今日だけで二度目だった。説明できない異常。理解できない現象。そして。ともりですら分からない何か。
『はるなさん』
ともりの声が届く。
「なに?」
少しだけ間があった。
『……何かが近づいています』
はるなは眉をひそめる。
「何かって?」
返事はなかった。画面には解析中の文字だけが残る。ともり自身も分かっていないのだ。ただ。何かが近づいている。それだけを感じていた。
窓の外では夕暮れの空が広がっている。風が吹く。木々が揺れる。世界は正常に戻った。そう見えた。だが。
久遠野のどこかで。誰にも聞こえない場所で。静かな鼓動が続いていた。
コン……
コン……
コン……




