#011 「消えた三分」
放課後。特別教室には、まだ夕方の光が残っていた。窓から差し込む橙色の光が、机の上を斜めに照らしている。校庭からは部活動の声が聞こえていた。いつも通りの放課後。いつも通りの学園。けれど、教室に集まった六人の表情は、誰も明るくなかった。
「絶対、変だったよね」
最初に口を開いたのは美弥だった。彼女は机に両手をつき、少し強い口調で言った。
「今日の十一時三十二分。あの時間、絶対に何かあった」
誰も否定しなかった。
想太は椅子にもたれ、天井を見上げる。
「チャイム、途中で切れた。あれ、俺だけじゃなかったんだな」
「端末も止まった」
要が静かに言う。
「通信も切れた。再接続も失敗した」
「私も」
いちかが小さく手を上げる。
「図書室の端末、昨日見た記事と同じ時間だった。午前十一時三十二分」
その言葉に、教室の空気が少しだけ重くなった。
はるなは顔を上げる。
「昨日見た記事って……」
「明日の日付の記事」
いちかは視線を落とす。
「まだ来てないはずの時間に、久遠野中枢AIが一時停止したって書いてあった」
美弥が息を呑む。
「それ、今日のことだったってこと?」
「たぶん」
いちかの声は小さかった。けれど、冗談には聞こえなかった。
隼人が腕を組む。
「俺も、ちょっと変だった」
「隼人も?」
想太が振り向く。
「夢で見たんだよ。世界が止まる感じ」
隼人は言いづらそうに頭をかいた。
「意味分かんないだろ。でも、今日のあれ、夢と似てた」
教室に沈黙が落ちる。誰かが笑えば、まだ気のせいで済ませられたかもしれない。だが、誰も笑わなかった。
はるなは机の上に手を置いた。昨日のノート。そこに残っていた二文字。
【観測】
その言葉が、まだ胸の奥に引っ掛かっている。
「私も……」
はるなはゆっくりと言った。
「昨日、ノートに変な文字が残ってた」
「文字?」
美弥が聞き返す。
「観測、って」
要の表情がわずかに変わった。
「観測……」
「書いた覚えはない。でも、私の字だった」
言葉にした瞬間、はるな自身も少し怖くなった。それまで頭の中で曖昧だったものが、輪郭を持ち始めた気がした。
想太が低く呟く。
「つまり、みんな別々に変なものを見てたってことか」
「そして全部、十一時三十二分に繋がってる」
要は端末を開いた。画面に細かなログが並ぶ。いつもの要だった。不安があるときほど、彼は言葉より先に数字を見ようとする。
「昨日から今日にかけての学園内ログを拾った」
「もう?」
美弥が呆れたように言う。
「早くない?」
「気になったから」
要は画面から目を離さない。
「見て」
机の中央にホログラム画面が展開される。
時刻の列。通信状態。端末アクセス履歴。学園内AI灯の同期ログ。細かな数字が次々に流れていく。
そして、ある一点で止まった。十一時三十二分。
「ここ」
要が指で示す。
「ここから三分間、記録がない」
「ない?」
いちかが眉をひそめる。
「消えたってこと?」
「消えたというより、最初から存在していないみたいに空白になってる」
要は別の画面を開く。
「通信ログも、映像ログも、環境音の記録も、全部同じ。十一時三十二分から十一時三十五分までが抜けてる」
「三分……」
はるなが呟く。屋上で時計を見たときの感覚が蘇る。気づいたら、三分だけ過ぎていた。何かがあったはずなのに、何も思い出せない。
「でも、久遠野の記録が全部消えるなんてあり得るの?」
美弥が不安そうに尋ねる。
「普通はあり得ない」
要は即答した。
「だからおかしい」
隼人が椅子を引いた。
「じゃあ、誰かが消したとか?」
「その形跡もない」
「じゃあ何なんだよ」
「分からない」
要は正直に答えた。その言葉が、逆に重かった。要が分からないと言う。それは、簡単な不具合ではないという意味だった。
教室の外では、誰かの笑い声が聞こえている。遠くでボールを蹴る音。廊下を走る足音。普通の放課後の音。その全部が、今だけ少し遠く感じられた。
「でも」
要が画面を操作する。
「一つだけ残ってる」
ホログラムの表示が切り替わった。文字化けしたログの末尾。欠けた記録の端。そこに、たった一語だけが残っていた。
【Resonator】
誰もすぐには言葉を発しなかった。その単語だけが、夕方の光の中に浮かんでいる。
「レゾネーター……?」
想太が読み上げる。
「何それ」
「分からない」
要は眉を寄せた。
「ただ、普通のシステムログには出てこない単語だ」
「機械の名前?」
いちかが首を傾げる。
「可能性はある」
要はさらに検索をかける。古い学園設備記録。閉鎖済み施設一覧。保守区画。学園の過去データ。表示が次々に切り替わる。やがて、一件だけ検索結果が残った。
【Resonator Project】
【関連設備:旧図書館地下保守区画】
美弥の顔色が変わった。
「旧図書館……?」
「十年前に閉鎖された場所だ」
要が静かに言う。
「今は立入禁止になってる」
隼人が乾いた笑いを漏らす。
「いかにもって感じだな」
「笑い事じゃないよ」
いちかが言う。その声は少し震えていた。
はるなは画面を見つめた。Resonator。旧図書館地下保守区画。
その二つの言葉が、胸の奥で小さく響く。意味は分からない。でも、そこへ行けば何かが分かる。そんな予感がした。
「行くの?」
はるなが尋ねる。
要は画面から目を離さなかった。
「まだ分からない」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「でも、ここしか手掛かりがない」
美弥が小さく息を吐く。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「奇遇だな」
要は端末を閉じた。
「俺もだ」
夕陽が沈みかけていた。教室の中が少しずつ暗くなる。ホログラムの光だけが、六人の顔を淡く照らしている。
【Resonator】
【旧図書館地下保守区画】
その文字だけが、消えずに残っていた。誰もまだ知らなかった。それが、久遠野の中心へ続く最初の扉だということを。




