ちいさな英雄(下)
他人に触れられない猛毒体質の大魔法使いと、彼に触れても平気な毒耐性持ちニセ聖女(※実は妖精)の
人違い×隠し事から始まるハイテンションファンタジー
毎週火曜日20:20更新です。
→読み切り短編版はこちら
『猛毒持ち次期魔王(自称)に捕まった偽聖女の私、実は毒耐性持ちの妖精なんだが? バレる前に即逃げる!』
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腕に残る傷痕を、女の子は黙ったまま見つめていた。
しばらくそうしたあと、やがて「ううん」と小さく首を振る。
「このままでいいよ」
「え?」
「この傷は、わたしがはじめてひとりで魔物をたおした記念の傷だもん。なおしちゃうなんてもったいない」
女の子は腕の傷を大事そうに見下ろした。
「それにね、まえに本で読んだことあるんだ! こういうの、『めいよのふしょう』っていうんだよ! なんか、かっこよくない!?」
そう言って、傷痕の残る腕を嬉しそうに掲げてみせる。
彼はぽかんとしてしまった。
痕が残るほどの怪我をしたばかりだというのに、彼女はちっとも怯んでいなかった。
強がっているわけでも、彼に気を遣っているわけでもなく、ただただ誇らしげに笑っている。
それが、なんだか不思議で……つい、見入ってしまう。
「きみ、剣が好きなの?」
思わず訊ねると、女の子はあっさり首を振った。
「ううん、べつに好きじゃないよ。うたったり、おどったり、アリの巣をながめてたりするほうが好き」
「アリの巣をながめるのが好きなんだ……」
「うん! ずっと見てられるもん!」
うれしそうに頷いたあと、女の子はにわかに顔を曇らせた。
「……ほんとは、剣なんてぜんぜん好きじゃないよ」
女の子がぽつりと呟いた。
「でもね、わたしがうまくできるのって、これくらいしかないんだ。わたしがすっごく強くなれば、父さまだって……」
「父さま?」
女の子はしまった、というような顔をした。
躊躇うように口ごもったあと、やがて、おずおずと口を開く。
「…………ナイショだよ?」
女の子が口にした名前に彼は目を丸くした。
――それは、西の都でも有数の大貴族の名前だった。
その大貴族は魔王禍の折、この森の近くへ疎開してきて、村に住む彼女の母を見初めたらしい。しかし、魔王が倒されるや否やすぐ、都へ引き揚げてしまったのだという。
彼女の母と、まだ生まれたばかりだった彼女を、この地に残して。
「――わたしね、まだ、いちども父さまの顔、見たことないんだ」
女の子がため息をつく。
「でもね、わたしがすっごい英雄になったら、父さまだってわたしたちのこと、ほっとけなくなるでしょ? だから、わたしは剣の修行をしてるんだよ!」
女の子はそう言うと、握りしめた剣を目の前にかざした。
「わたし、強くなって、いっぱい魔物をたおして英雄になるんだ! この傷は、その、さいしょの記念なんだよ!」
そう言って、笑う。
彼はしばらく言葉を失った。
まだ小さな女の子だ。けれども、その声は力強く、自信に満ちあふれている。
なんてまぶしい子だろう、と思った。
まるで、光そのものみたいな子だ。
けれど、だからこそ、剣を握る腕に刻まれた生々しい傷痕が気になってしまう。
この子が、僕のせいで負ってしまった傷……。
「でも、やっぱりその傷、治した方が……その、貴族の娘なら、なおさら……」
「じゃあ、きみがなおしてよ」
彼は目を丸くした。
思わず顔を覗き込むと、女の子はにこっと笑ってみせる。
「この傷、次にきみに会うまでこのままにしとくから、きみがなおして!」
「いや、それは……」
「あっ、もうこんな時間!」
女の子がはっと空を見上げた。
「日がくれる前に帰らなきゃ、母さまにしかられちゃう! きみも、早くおうちに帰ったほうがいいよ!」
女の子はあわてたように踵を返した。
けれど、二、三歩進んだところで思い出したように「あ、そうだ」と振り返る。
「わたしはエル!」
銀の髪がぱっとひるがえった。
「たのしみにしててね! つぎに会うときにはわたし、すっごい英雄になってるから! 英雄エルの名前、きっとすぐきみにも届くよ!」
じゃあね、と手を振るなり女の子は背を向けた。そのまま、振り返りもせず走っていく。
ひとり残された彼は、彼女の消えていった方をただ、ぽかんと見つめていた。
「次に逢ったら、か……」
やがて、彼はそっと苦笑した。
油断したな、と思う。
まったく、完全に、してやられてしまった。
僕なんていなくなった方がいい、って思ってたのに、まさか、あんな風に役割を与えられてしまうだなんて。
……それじゃあ、生きるしかないじゃないか。
まあ、しかたないな、と彼は息をつく。
だって、女の子の腕に、あんなひどい傷跡を残したままにしとくわけにはいかない。
それに、と、彼は呟く。
もしかしたら……全部を諦めるのは、まだ、早すぎるのかもしれない。
なんせ、あんな小さな女の子が剣を握って魔物を倒してみせるんだ。
この世界は、自分が思ってるよりずっと、懐が深いのかも知れない。
探してみよう、と思った。
僕が犯してしまった取り返しのつかないことを償うための方法を。
こんな僕でも誰かの役に立てる、そんな方法を。
……そんなものがあるかは分からないけど、でも、やってみる価値はある。
彼は思わず笑ってしまった。
まったく、希望的にもほどがある。そんなことを考えてしまうだなんて、僕はすっかり彼女の光に当てられてしまったのかもしれない。
「……目的、できちゃったな」
自然と、口元がゆるむ。
彼は顔を上げた。
彼女が消えていった森の向こうを眺め、目を細める。
「あの子が英雄になるのと、僕が目的を果たすの、いったい、どっちが先になるかな」
* * *
「――……結局、彼女には敵わなかったな」
銀貨の前で彼は自嘲する。
彼があれこれと遠回りしている間に、彼女はとっくに英雄になり、そして、あっさりとその地位を捨てて消えた。
何があったのかは分からない。
きっと、いろいろと事情があるのだろう、と思う。
無論、気にならないわけではなかった。しかし、詮索するつもりはない。そもそも、事情ならばこちらにだって幾らでもある。
「……いや、いまも敵わないままか」
彼は銀貨をつつきながら苦笑した
彼女に押し付けられ、突き返すことのできなかった宿代。
……大人になり、力をつけ、少しは偉くなったつもりでいたものの、やはり、自分は彼女には勝てないらしい。
彼は目を細めると、懐からマギスチルを取り出した。
呪文を唱え、小さな箱を作る。その中に銀貨を収め、そっと蓋をした。
近いうちに新しい革袋を買わねばな、と思う。
彼女はきっと、これからも、事あるごとに自分の旅費を押しつけてくるだろう。その度に押し問答するのは手間だし、そもそも結果は分かりきっている。
今後は大人しく受け取って、そっくりそのまま貯めておく。
そうしておいて、いずれ彼女へ返せばいい。……どうせ、別れることになるのだから。
――【銀煌の聖女は、魔王を生む。】
……彼は目を眇めた。
理事会で彼女に関する予言を聞いたとき、心臓が掴まれたような思いがした。
銀聖教会の予言は絶対だ。
彼女はいずれ、誰かと結ばれるのだろう。……しかし、その相手は自分ではない。
毒を持つ自分が彼女と結ばれることなど、絶対にあり得ない。
自分の役目はただ、彼女を守ること。
彼女と聖女の存在を完全に切り離し、彼女が今後、安全に暮らすための手筈を整えれば、それで終わりだ。
……そもそも、毒を持つ自分が、いつまでも彼女の側にいるべきではないのだから。
「……その時が、一刻も早く来るように願うべきだな」
思わず呟いたあと、彼は口元だけで笑った。
「――魔王になるのはこの俺だ。ライバルなどを産み落とされてしまってはたまったものではない。……しかし、だからといって、恩人を見殺しにするわけにもいかないからな」
自分に言い聞かせるように、そう独りごちる。
【銀煌の聖女】を。あの、銀の光みたいな少女の輝きを。……彼女の笑顔を、誰にも奪わせはしない。
ふと、彼は目を眇めた。
――……彼女の腕には、傷がない。
当然だ。彼女は、俺のことなど覚えていないのだから。
妾腹とはいえ、彼女は貴族の娘だ。彼女がいくら訴えようと、あんなにひどい傷痕を残しておけるわけがない。
きっと、母親にこっぴどく叱られ、すぐに魔法医に連れて行かれて治療され、俺のこともすぐに忘れてしまったに違いない。
……けれども、と、彼は思う。
――もしも、彼女が別人だったら?
もしも、どこかに、本物の聖女がいるとしたら?
そして、その本物の聖女が、俺との約束を守っているとしたら……?
不意に、意識の奥の方がぐらりと揺らぐのを感じた。
瞳の奥が熱を帯び、すっと冷たくなる。
「……つまらない願望だ」
彼は小さく頭を振った。
ピュイは本物の聖女だ。そうでしかあり得ない。
俺には、それがはっきりと分かる。
……だいいち、もしも彼女が聖女ではないとしたら、魔物の毒を恐れない彼女は一体、何者なんだ?
魔物を恐れず、人々のために戦う彼女が、聖女以外の何者だと言うのだろう。
「……結局、俺は、あの時の約束を覚えていて欲しかったんだな」
もう一度苦笑すると、彼はそっと机の明かりを消した。
地獄か!?!?!?!? 大体ぜんぶ先代魔王が悪い!!!!!
でもちゃんとハピエンになるので許して下さい……。
次話、6/9(火)20:20更新




