ちいさな英雄(上)
他人に触れられない猛毒体質の大魔法使いと、彼に触れても平気な毒耐性持ちニセ聖女(※実は妖精)の
人違い×隠し事から始まるハイテンションファンタジー
毎週火曜日20:20更新です。
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『猛毒持ち次期魔王(自称)に捕まった偽聖女の私、実は毒耐性持ちの妖精なんだが? バレる前に即逃げる!』
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夜更けの宿は静けさに満ちていた。
昼間の騒ぎが、既にどこか遠い昔のことのように感じられる。
老舗というだけあって、居心地の良い部屋だった。
彼女の懐事情に配慮してランクを下げはしたが、それでも、充分すぎるほどに上質だ。
けっして華美ではないものの、統一感のある品の良い内装。
備えられた家具はどれも重厚で、歴史を感じさせる艶を帯びている。
棚の一輪挿しに活けられた花が、ふわりと慎ましやかな芳香を漂わせていた。
部屋の中程にある机の前で、彼は頬杖をついていた。
机に置かれたランプの明かりが、視界の端でやわらかく揺れている。
身体は疲れ切っているが、かえって目が冴えてしまって寝台に入る気になれなかった。
それに……。
彼は、卓上に視線を落とす。
――『はい、これ、あんたが立て替えてくれた宿代ね』
机に置かれた数枚の銀貨を眺め、彼はため息を吐いた。
先ほどの食事の際、彼女に押しつけられた銀貨だった。
必要ない、と断ったものの、先に食事を終えた彼女が満足げな顔で部屋へと戻った後、彼女がいた席に残されていたのだ。
さすがに放置しておくわけにもいかず、こうして回収してきたのだが……正直なところ、持て余している。
しかし、折を見て返そうとしたところで、彼女は受け取りはしないだろう。
――『いつか、小さな家を買いたい』
昼間、彼女が話してくれた言葉が脳裏を過ぎる。
彼はまた、嘆息した。
「……彼女の夢を邪魔するつもりはないんだが」
呟きながら手を伸ばし、目の前の銀貨を戯れに弄ぶ。
ひとしきりそうしたあと、その指先がふと止まった。
「小さな家、か――」
彼はわずかに目を細めた。
「そんな風に暮らせたら、どれほど良いことだろうな――」
叶えてやらなければ、と思う。
そのためには、手段を選ぶことなどできない。
どんな手を使ってでも、彼女を守る。
それが、俺にできる、唯一の恩返しなのだから――。
* * *
僕なんて、いない方が良かったんだ――。
彼は絶望していた。
気づいてしまったのだ。自分の血が恐ろしい毒だということに。
自分が、ただ生きているだけで他人を傷つけてしまう存在だということに。
そして、その時にはもう、取り返しのつかないことになっていた。
……ぜんぶ、僕のせいだ。
まだ幼かった彼は、どうして良いか分からなかった。
どうして良いか分からないまま逃げ出して、あてもなくさまよっていた。
――どうして、これまで気づかなかったんだろう。
足を引きずるようにして歩きながら、彼は自分を責め続けた。
違和感はあった。ずっと前から。
きっと気づけたはずだった。なのに、僕は……。
僕がもっと早く気づいていれば。
僕がもっと注意深ければ。
僕がもっと賢ければ。
そもそも、最初から、僕がいなければ……。
ぐるぐると、思考はずっと同じところを回り続ける。
自分を責めて、責めて、責め続けて、彼の心はぐちゃぐちゃだった。
いったい、どれくらいさまよっていたのだろう。
そうしているうちに、彼はいつしか森へと迷い込んでいた。
がさり、と茂みが揺れた。
彼が顔を上げた瞬間、目の前に一体の魔物が飛び出してきた。
魔物は、痩せた熊のような見た目をしていた。
それほど大きくはなかったが、それでも、まだ幼い彼には充分すぎる脅威だ。
前脚の鉤爪は鋭く、彼の小さな身体などたやすく引き裂いてしまうだろう。
ぎらぎら光る目が、こちらをまっすぐ見据えている。
「魔物……」
彼は思わず呟く。
……なぜか、頬がゆるんだ。
それまでずっと強張っていた肩から、すうっと力が抜けるのが分かる。
「いいよ」、と彼は言った。
「食べたいなら、食べればいいよ。……まあ、僕の血は毒だから、お腹を壊しちゃうかもしれないけどね」
……自嘲するようにそう、付け加える。
目の前に魔物がいるというのに、ちっとも怖くなかった。
それどころか、どこかほっとしている自分に気づく。
ちょうどいいな、と彼は心の中で呟いた。
毒持ちの僕が、毒持ちの魔物に食い殺されるなんて、まるで似合いの結末だ。
そんなことを考えると、口から自然と笑いが洩れた。
……もう、いいや、と彼は思う。
僕なんて、いなくなった方がいいんだ――。
なんだか、びっくりするほど穏やかな気持ちだった。
目の前の魔物が姿勢を低くする。きっと、次の瞬間には、襲いかかってくるだろう。
彼がそっと目を閉じた、ちょうど、その時だった。
「――あぶないっ!!!!!」
不意に、誰かの声がした。
思わず目を開けた瞬間、彼は息を呑んだ。
銀色の光がそこにあった。
まばゆいばかりの輝きに視界を灼かれ、彼は言葉を失う。
一瞬遅れて、それが光ではなく髪だと気づいた。
光のように煌めく銀の髪。
そこには、ひとりの女の子が立っていた。
「な……」
彼はぽかんとしてしまった。思わず、目を何度もしばたたかせてしまう。
まだ幼い。彼とそう変わらない年頃の少女だった。
それなのに、彼女は彼と魔物の間に割り込んで、両手で握りしめた剣を魔物へ突きつけている。
まるで、彼を魔物から守ろうとするみたいに。
でも、どうして、こんなに小さい女の子が魔物の出る森の中にいるんだろう。
それも、剣を手にして――。
って、そうだ、魔物がいるんだ!
はっと思ったそのとき、魔物が前脚を振り上げるのが見えた。
彼はとっさに地面を蹴った。彼女を突き飛ばしてでも身代わりになろうとする。
……けれども、間に合わなかった。
彼の目の前で、魔物の鋭い鉤爪が、女の子の身体を横薙ぎに走る――
「えっ」
瞬間、彼は目を瞠った。
その女の子は魔物の攻撃を避けなかった。
それどころか逆に前へ出て魔物の腕をかいくぐり、その懐へとすべり込む。
とても子どもとは思えないような身のこなしだった。
狙いを外した魔物が勢い余って体勢を崩す。
その瞬間、鉤爪の先端が女の子の腕の内側をわずかにかすめた。
真っ赤な血が、弾けるようにぱっと散った。
「~っ!」
彼の喉から悲鳴にならない声が洩れた。心臓がひゅっと凍りつく。
けれども、女の子はちっとも怯まなかった。
たったいま腕を切り裂かれたというのに悲鳴をあげることも、剣を落とすこともない。
それどころか、さらに一歩踏み込んで、握りしめた剣を躊躇いなく前へ突き出してみせる。
その刃が、魔物の喉元を真っ直ぐ貫いた。
「え……」
女の子が目を丸くした。
それまでしっかり握りしめていた剣から手を離し、数歩後ろへ下がる
次の瞬間、剣が刺さったままの魔物の身体がぐらりと傾き、地面に崩れ落ちた。
「…………たおせちゃった」
眼前に横たわる魔物を見下ろし、女の子はどこか呆然としたように呟く。
彼女は明らかに戸惑った顔をしていた。
けど、やがてその面に、じわじわと喜びの色が浮かんでいく。
「たおせちゃった!」
ついに堪えきれなくなったように女の子が叫んだ。
「すごい! たおせちゃった! すごい! ねえ、こんなことあるっ!? まだこどもなのに! ひとりで魔物をたおしちゃった! やった!」
うれしそうに飛び跳ねる女の子に、彼はすっかり面食らってしまった。
「え、ええと、君は……」
思わず口を開くと、女の子がはっとしたように彼を振り返った。そのまま、駆け寄ってくる。
「ねえ! きみ、だいじょうぶだったっ!?」
「え、うん……僕は大丈夫、だけど……」
相変わらず戸惑ったまま、彼はおずおずと女の子の腕を指した。
「それより、君の腕の傷こそ、大丈夫なの……?」
「えっ」
言われて、女の子がまじまじと自分の腕を見る。
魔物の鉤爪にやられた傷口からは、まだ血があふれていた。
それを目にしたとたん、女の子の顔がすっと青くなる
「なにこれっ!? 痛いっ!」
……どうやら、今になってようやく、怪我をしていたことに気づいたらしい。
女の子が顔をしかめた。たぶん、痛みがひどいのだろう。その瞳にじわっと涙が浮かぶ。
「僕に見せて!」
彼はとっさに女の子の腕を取ろうとして、寸前で動きを止めた。
……だめだ。僕は、触っちゃいけない。
出血がひどくて、傷口の様子はよく見えなかった。拭おうにも、触れられない。けれど、そうしている間にも血は流れ続けている。
とにかく、傷を塞がないと……。
とはいえ、彼はまだ治癒魔法のやり方を知らなかった。けれども、そんなことは言ってはいられない。
彼は精神を集中させた。精霊たちを集め、どうにかして彼女の傷を癒やさせようとする。
「まほう……?」
傷口にふわりと灯った魔法の光に、女の子が目を見開いた。
「もしかしてきみ、魔法つかえるの!?」
「君は使えないの?」
うん、と女の子が頷いた。
「わたしは魔法の才能、ないんだ。いいなー。魔法が使えるなんてすごい!」
「べつに、すごくなんか……」
言いかけて、彼はふと、視線を落とした。
傷はどうにか塞がっていた。
けれども、見よう見まねの治癒魔法のできはひどいありさまだった。皮膚はあちこち引きつれ、大きな傷痕が残ってしまっている。
彼は思わず眉根を寄せた。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ごめん。血は止まったけど……痕が残っちゃった。あとで誰か、ちゃんと大人の人に診てもらって」
「………」
次話「ちいさな英雄(下)」、6/2(火)20:20更新




