願い
目が覚めたら、もう朝だった。目をこすり、体を伸ばす。くるまっていた毛布を押しのけ、体を起こす。
妖精たちの小屋が見える。村の片隅、俺たちが野営をすると決めていた場所だ。
「良かった、目が覚めたのね」
その声に気づいて顔を向けると、リンがかたわらに座っていた。
まったく気づかなかったが、近寄ってきた感じではなかった。俺の目が覚めるまで、ずっとそこに居たのだろう。
俺の目が、覚めるまで……?
寝ていた! いつから!?
そこで気づく、毒素の干渉が見えない。治ったのか? それとも……、消えるまで眠ってしまった?
「……い、今、いつですか!? 毒が、消えて!」
リンの肩を掴み迫る俺に、彼女は笑って、
「大丈夫、まだ翌日。あなたが眠って一晩しか経ってない。急いで戻ればまだ大丈夫なはずよ」
眠ってしまったのに、一晩しか経っていない。そして、毒素の影響は消えている。ということは……、
「……じゃあ、薬は、できた?」
「ええ、できてる。あなたの反応からして、効果があると見て良さそうね。さすがにまだ、絶対大丈夫。とは言えないけれど……。ここでの目的は達成よ」
「よ、良かった……」
大きく息をつく。体から力が抜ける。そんな俺を見て、リンはずっと微笑んでいる。
……ふと思ったが、彼女は休んだのだろうか。
昨晩、ここにたどり着いたときの記憶はおぼろげながらある。その時点でも、相当遅い時間帯だったはずだ。
その後に薬を作って、俺に投与した。そう考えれば、経過観察も兼ねて、ずっと起きていてもおかしくない。
「……リンさんは、大丈夫なんですか? 寝てます?」
「ええ。2人で交代して見てたから、仮眠は取ってる」
ああ、なるほど。周囲をよく確認すると、リンの配下である半獣族の人が、少し離れた場所で眠っていた。
……さっきまで、全然気付かなかった。思いがけず大声を出してしまったが、悪いことをしたかもしれない。
そんなことを考えていると、リンから声がかかる。
「朝食をとったら、管理人さんに挨拶して、北に戻りましょう。こっちも急ぎたいし……。できればあの人、私たちにさっさと出て行ってもらいたいみたいだから」
そう言って立ち上がる。朝食の準備だろう。俺も毛布を畳み、手伝うことにした。
朝食を済ませ、軽く身支度を整える。野営の後を片付け、旅立つ準備はできた。
3人で管理人の家を訪れる。ノックして呼びかけると、扉が開き、彼が顔を覗かせた。
もしかしたら出てこないのではないか、と思っていたのでほっとした。可能なら、直接お礼を言いたかった。昨日は俺がそれどころではなかったので、チャンスがあるのは今日だけだ。
「何か?」
「目的を達したので、お別れの挨拶と、お礼を……。ありがとうございました」
そう言って、頭を下げる。管理人は少し不機嫌そうに、
「礼など不要です。最初にお伝えした通り、私はあなたが立ち去ることを望んでいる。ただ、それだけです」
まるで突き放すような物言い。だが彼の声は、そこまで単純なものではない。
期待と諦め。嫌悪と好意。憧れと嫉妬。さまざまな想いが打ち消し合う中、それを包み込むような、何かにすがる強い思い。
「……あの」
「まだ、何か?」
「差し出がましいことは承知の上です。でも、」
気になった、というより、最初から気になっていた。
彼は一体、何者なのか。
いつからここで暮らしているのか。
そして、ここで暮らすことを望んでいるのか。
聞くことができるのは、今日だけだ。
「本当に、このまま暮らしていけますか? このまま、人の目を逃れ続ける暮らしを」
「……もしかしたら、不可能かもしれませんね。それこそ西のように」
管理人はしばらく考えていたが、そう答えを返してくれた。……そのまま話を打ち切られても、何ら不思議ではないと思っていたが。
「それでも、今はまだ可能です。この森に魔力が満ちている限りは、この村は"閉ざされたまま"ですから」
管理人の答えは、俺に理解させる気はないのだろう。
ただ、妖精郷のことを考えていた俺には、何となく察しがつく。
妖精郷は妖精や薬草、山菜や獣といった恵みを生み出す。そしてそれを、求めるものに差し出す森だ。俺はこれを指して、願いを叶える"魔法の道具"だと称した。
だが、たとえ恵みが存在しても、それにたどり着けなければ"得る"ことはできない。
東王が妖精を探しながら、出会うことがなかったように。
昨日の俺たちが、対岸花を求めながらも、得られなかったように。
妖精郷が恵みを"差し出す"ためには"腕"が必要だ。もちろん、妖精郷に"腕"などない。であれば、それに代わる"器官"があるはずだ。
多分、それが"道"なのだろう。恵みを求める者が入り込むと、その願いを受け、それに合う恵みの元へ道を創り出す。
それを応用し、管理人は妖精たちと願うことで、この村を隠している。
最初、この森に入ったとき、道が変に曲がっているという話になったのはそのせいだ。
魔力が続く限り、妖精郷の恵みは……、そのひとつである妖精は減らない。妖精が減らなければ、隠されたいという願いは減らない。この村は、人の目から逃れ続けるだろう。
……だが、本当にそれは、願いなのだろうか。
「あなたは、自分を"囚われている"と称した」
最初に、管理人と出会ったときの話だ。彼は言った、「妖精に囚われ、それを管理する歯車」だと。
「あなたでなくとも、この森を、妖精郷を管理できれば、それで良いのではないのですか? この森を開いて、他の人たちを招けば、それは可能なはずです。そうすればあなたも、人として生きて行ける」
多分、東王はこの話に乗るだろう。むしろ乗らざるを得ない。俺が知ってしまった以上、首を横に振れば、この話は北に流れる。ここは東方に近いとはいえ、名目上は中立地帯だ。
そもそも、ここを中立地帯としているのは、管理を"望まない"からではない。管理"できない"からだ。
魔族の多数住まう森など、危険すぎて管理下に置くことなどできない。うっかりその魔力が他国に飛び火すれば、責任を問われてしまう。
だからこそ、妖精たちに慕われ、統率できる彼の存在は貴重なはずだ。
だが、管理人は薄っすらと笑みを浮かべ、首を振る。
「私が人であったのは、はるか昔の話……。もはや私は、人として生きることはできません。"是非"ではなく、"可不可"のお話です」
その声には、前にはなかった感情が見えた。……わずかだが、恐怖が滲んでいる。
「それは、どういう……?」
「あなたには、わからないことです」
彼は一歩下がり、静かに扉を閉めた。
「お行きなさい。もう二度と、会うことはないでしょう」
それだけ言って、扉の奥は静かになった。
妖精郷から出ると、リンは荷物から伝言器を取り出した。
通話の相手は東方にある、北方の出張所……。いわゆる大使館のようなものだ。そこに依頼して、辻馬車を大至急で回してもらう。
往復の時間がかかるので、東方への到着は夕方前になるだろう。それでも、徒歩より断然マシである。ここから歩いたところで、今日中に到着できるかどうかも怪しい。
しかし、ここまで歩いただけでも、かなり疲れた……。
東王の言う通り、妖精郷から出たいと願うと、まったく迷わず外に出ることができた。だが、別に転移門のようにワープしたりするわけではない。その距離分、しっかり歩く必要がある。
多少は慣れたとはいえ、森の踏破はインドア派には辛い。筋肉痛も怖い。
「コトバ、ちょっと良い?」
かたわらの岩に座り休んでいると、リンが声をかけてきた。
「ええ、何でしょう?」
「妖精郷の管理人、彼について考えてて」
その言葉は、少し意外だった。リンも彼のことが気になっていたのだろうか。
もしくは、俺が最後に執着したのを見て、話をしに来てくれたのかもしれない。
「……彼、『取り替え子』だったのかも」
「『取り替え子』?」
元の世界でも聞いたことがある。妖精の取り替え子。確か、チェンジリングというやつだ。
しかし、あれは妖精が人の住処から赤ん坊をさらうお話だったはず。この世界の妖精は、核となる物から離れることが難しい。そんな事はできないはずだ。
「ええ、寓話みたいなものかな。森の奥深くに、子供たちだけで行くことを戒めるお話」
なるほど。俺の知っている取り替え子とは違うようだ。黙って話の続きを聞く。
「妖精は子供を迷わせて、森に捕らえると言われているの。そうして、その子供そっくりの"意思を持つヒトガタ"を送り返す。子供の帰る場所を無くすために」
……何か、ちょっと怖い話になってきたな。
寓話というよりもホラーテイストだ。そんな話を聞くと、あの無邪気な妖精たちが、また違って見える。
「森の怖さを伝えるための寓話だったり、育てられない子を捨てるための方便だと思ってた。……けど、もしかしたら本当にあったのかもね」
確かに、寓話や方便としても使えるだろう。だが、だからと言ってこれが創作だとは限らない。
あんな格好と雰囲気でも、妖精は紛れもなく魔族なのである。彼らの魔力を持ってすれば、並の伝承は再現できるだろう。
だが、そうだとしても、なおさらわからないことがある。
「仮にそうだとして、どうしてあの人は、妖精郷に留まり続けるんでしょう?」
彼がどのような顛末であそこに居たとしても、妖精郷に囚われ、妖精の管理人として過ごしている。それは事実だ。だが、そこから抜け出す手段があるのならば、抜け出したいと思うものではないだろうか。
彼の言葉に滲んでいたのは、恐怖だった。提案への反応は拒絶に近い。成功率や、現実性への疑念といったものではなく、それそのものを忌避するような感じだ。
その疑問に対するリンの解答は、俺の発想にはないものだった。
「……また、帰る場所がなくなる。それが怖いんじゃない?」
"帰る場所"が"なくなる"?……リンの言っていることがよくわからない。
俺が不思議そうな顔をしていたのだろう。リンが解説のため、言葉を続ける。
「彼がすべてを失って、"妖精郷の管理人"になっていたとしたら……。彼、耳長族だったでしょう? 私たちとは、明らかに知っていることが違ってた。もしかしたら長い間、あの村に居るのかもしれない」
確かに、それは俺も思っていた。何しろ、"冥の魔力"を知っていたのだから。
俺たちが"冥の力"を知っているのは、遺跡に残されていた記述から読み取ったからだ。現代では、一般的な知識ではない。何しろヘキトですら知らなかったのだ。
むしろ、彼がそれを魔力と言うまで、魔力であるという確証すらなかった。
北方魔術研究室でいろいろと調べてはいるようだが、雲をつかむような調査だと言われているほどである。
「知り合いも、親族も、残っているか定かじゃない。……本当に取り替え子なら、彼という人間は"もう存在する"かもしれない。……なら、"妖精郷の管理人"でなくなった彼は、一体何になるの?」
「それは……」
そう言われると、一口に表現するのは難しい。
俺は、彼は彼でしかないと思う。ただ、人によっては違うだろう。
妖精郷に囚われるまでの彼は、そこで切り離された。その空座に腰を据えたのは、彼ではない"彼"かもしれない。
そしてその席を奪われた彼は、その時点から、彼は"妖精郷の管理人"になった。
――「私が人であったのは、はるか昔の話……」
そう考えれば、彼の言葉も納得がいく。もはや彼は、人間という区分に属していた彼ではない。
妖精郷に囚われた、歯車としての管理人でしかない。そう思っているのかもしれない。
「ごめんね、責めているわけじゃない。でも彼は、多分そういうことを諸々飲み込んで断ったのよ」
リンが心配そうに付け加えたのは、俺が考え事をしていたからかもしれない。不機嫌なわけではないが、どうしても表情は固くなる。一息ついて、にっこりと笑い返す。
「いえ、大丈夫です。むしろ気づきを得たと言うか……、はっとしました」
「そう、なら良かった。……もしかしたら、あの立場が彼にとっての"恵み"なのかもね」
リンの話は、その言葉で締められた。
妖精郷の恵みは、願うものに与えられる。とすれば、妖精たちが彼を慕うのは……。
だが、それでも思ってしまう。
本当にそうなのだろうか。俺が聞いた彼の言葉は、異能で声から感じ取った想いは、ただ単に俺の主観に過ぎないのだろうか。
彼は囚われたことを受け入れ、歯車となることを望んでいたのだろうか。
……はたしてそれを、"帰る場所がある"と言うのだろうか。
魔力は願いを叶える力だという。そして妖精郷は、それを元に恵みを差し出す。
だが、それを扱えない者が居る。俺だ。
昨晩、俺は妖精郷に対岸花を求めた。自ら毒を受けてまで、森の中をさまよい歩いた。
しかし、最後まで妖精郷は、俺に対岸花を"差し出す"ことはなかった。
最終的に対岸花を見つけたのは俺で、そこにたどり着けたのは、妖精たちの地図と近道、あとはリンの方向感覚のおかげだ。
これを指して、"俺が対岸花を願っていなかった"と言えるのだろうか。
俺は"言えない"と思う。それはただ、俺のアウトプットが妖精郷のインプットに対応していなかっただけだ。
だとしたら、果たして今の彼は……。
俺が彼の願いをわからないのは納得がいく。なぜなら、俺は彼ではないからだ。それを知るには、彼になるしかない。
だが彼になったとしても、それを知ることは叶わないのかもしれない。
彼は本当に、彼の願いをわかっていたのだろうか。
妖精郷は、それを叶えていたのだろうか。
願いとは、一体何なのか。
# 訪問者
異世界からの客人にして、この世すべてに対する異邦人。
訪問者は必ず、異界の門である星から落ちてくる。
はるか昔、訪問者は神やその使いと同一視され、そして異能は、神の力や奇跡とみなされていた。
時は流れ、その認識は覆ったが、今もなお、その力は奇跡に等しい。




