事件発生
次の日の朝、まだ寝ぼけ眼でベッドの上に居た俺は、
「キャアアアアア!!!」
その悲鳴に叩き起こされた。
「な、何だ!?」
「コトバ!」
廊下から鋭く声が響く。ヒョウだ。慌てて廊下に出る。
さすがに俺も目が覚めたばかりだ。2人とも寝間着のままだが、ヒョウは念のためか、腰に剣を吊っていた。
「叫び声、ですか?」
「ああ、行くぞ。あっちだ」
言うか言わないかのうちに、ヒョウが駆け出す。俺は慌ててそれを追った。
とある部屋の前に、使用人らしき女性が座り込んでいた。
部屋の扉は開いており、視線は部屋の中を向いたまま動いていない。片手で口を覆い、もう片方の手で体を引きずりながら、部屋の外に出てきたようだ。足をバタバタさせてはいるが、一向に立ち上がる様子がない。腰を抜かしているのかもしれない。
「どうした! 何があった!」
そんな彼女が、ヒョウの呼びかけに気づく。その顔は、明らかに何かに怯えていた。すがるような声で、
「あ、ああ、北王! か、カラカラに乾いて……、人が、死体が!」
そう言って部屋の中を指差した。ヒョウは彼女の脇をすり抜けるように部屋に入る。俺も後に続いた。
「うっ、これは……」
「何だこれ……」
それは、"死体"というよりも、すでに"物"だった。
シワシワでカラカラ。かろうじて人の形、というか骸骨のようなそれが、ベッドで寝転ぶようにして置かれている。
衣服は身にまとっていない、と思う。少なくとも、見える範囲で着衣を認識できる部分はない。腹の辺りから下は寝具で隠れているが、さすがにまくろうとは思わない。
「北王!」
その声に振り向くと、ユウが部屋に入ってきた。寝間着にガウンのようなものを羽織り、長い髪は無造作に下ろされている。
ふと気づくと、入口に倒れていた使用人はもう居ない。おそらく、誰かが運んでくれたのだろう。
「……この死体は?」
さすがのユウも、この光景にはぎょっとしていた。
「さあな。さっきの叫び声を聞いて来てみれば、すでにこうなっていた」
「殺人ですか?」
「……こんな殺し方をするやつが居れば、の話だがね」
ヒョウはそこまで言うと、ユウの肩越しに扉の外を見た。
「人が集まってきたな。さすがに皆が集まれば、ここは少々狭すぎる」
ヒョウのその言葉で、辺りを見回して気づいた。
よく見れば、この部屋は客間の間取りとは少々違う。棚が多く、物を多く置ける造りだ。客間にしては、間取りに生活感がある。
まあどちらにしろ、人が集まれば狭いのには変わりないが。
「ユウ。皆を広間に集めよ。そのままの格好で構わん、部屋に戻すな。私もすぐにそちらへ向かう。あと、この者の使用人が居れば、こちらに来るよう伝えよ。少し、話が聞きたい」
「はっ」
ヒョウはユウにそう指示した。彼女は一礼すると、扉の外で皆に声をかける。野次馬気味に押しかけた者たちが、広間へと向かって行く。
その後、俺たちは最低限の情報収集を行った。
死んでいたのは……、というか、あの部屋を割り当てられていたのは、共存派の頭目の男だった。
正直、死体と顔が一致するわけではない。人間一皮むけば骨と皮、とは言うが、死体のほうに面影がなく、まったく見分けがつかないのである。
死因もまったくわからない。使用人の話では、彼は昨日、早くに休んだという。少なくとも、使用人が自室に戻るまでは、変わった様子はなかったそうだ。
「さすがに、この程度では判断もつかんな」
使用人を解放し、広間に行くよう指示をしたあと、ヒョウはそう言って首を振った。それに俺もうなずく。
「そろそろ、広間に行ったほうが良いんじゃないか。……疑ってるんでしょ?」
「まあ、否定はしないが……。疑っている、というよりも用心の方が強い。あまりに死体が特徴的すぎるだろう? 何か他に、目的があるかもしれん」
まあ、そうか。俺が思っているよりも、ヒョウの疑念は固まっていないようだ。
てっきり、「犯人はこの中にいる」みたいな状況なのかと思ったが……。考えてみれば、ここに居るのは北方の要人がほとんどだ。外部からの犯行だってありうる。
「だが、確かにそろそろ広間に行くべきだろう。向かうとしようか」
現場保持のため、見張りの手配などをした後、俺たちは広間へと向かった。
いろいろと調査や手配をしていたため、俺たちが広間に到着したのは最後だった。
だから、その舞台はすでに整っていた。
「こんな、こんなことを……、申し開きはありますか!?」
そう演説するユウの前には、吸血鬼が立っていた。
周りを取り囲む人々は、さほど多くはない。三派会議の参加者である、各派閥の長とその配下数名、長に直談判を許された者たちだけだ。
「アカナ!」
「……」
ユウに名前を呼ばれても、アカナは何も答えない。
ただ、ユウの方を向いているだけだ。表情は、こちらからではうかがえない。
周囲の人々はうろたえ、ざわついている。死体を少しでも見たものは、それを見なかったものに伝えただろう。その恐怖は伝播して、まるでこの部屋を覆っているようだ。
その恐怖が、先の言葉で吸血鬼に向けられた。
……誰だって、吸血鬼は怖い。だが、誰かが正義を振りかざしているならば?
そのざわつきは、少し不穏だ。
「他にやりようがないでしょう。こんな、"血を吸いつくされて死ぬ"なんてこと! あなたの他に、誰ができると!?」
なるほど。そういうことか。
いわゆる"不可能犯罪"というやつだ。単純に考えれば、人の身では実行不可能な殺人。
確かにあの死体は、カラカラに乾いていた。まるで体中の水分を……、血を失ったかのように。普通、人間にそんなことはできないだろう。魔法を使えば可能かもしれないが、多分、それは"意図的に忘れられている"。
だが、吸血鬼ならそれができる。と、とっつきやすい旗印が、そこに立っているのだから。
俺は知っている。それは間違った結論であることを。
「なっ! 何を言う! アカナ様はそんなこと……!」
「ミラ」
だが、
「黙りなさい」
「し、しかし……」
アカナは話をしない。
当然だ。彼女の話など、誰も信じることはないだろう。
彼女は魔族だ。膨大な魔力を持つ、吸血鬼だ。人によっては、それを化け物と見るだろう。
人が正義をかざし化け物を糾弾しているとき、その化け物の話を聞く者が居るだろうか?
……俺は、とても少ないと思う。それに、俺だってそうだ。
その根源は、彼女への恐怖だ。
きっと彼女は、その気になればこんな場所、立っている人々ごと蹂躙できるだろう。彼女はそれだけの力をその体に秘めている。
だが、彼女はそれをしない。
それをすれば戦争になってしまう。そうなればヒョウは……。北王は、彼女たちを滅ぼすだろう。結果、北方の魔族は消える。その血は途絶えてしまう。
その決断は、魔族の長である彼女の利に反する。
彼女にできることはない。ただ、正当な裁きが為されることを祈るくらいだ。
……だからこそ、こんな"茶番"が成り立つ。
「フン、ならば聞いておきましょうか。昨晩、あなたは何をされていたの? あの部屋に忍び込み、その牙を彼に突き立てたのではないというのなら、それを証明してごらんなさい!」
ユウのその一言に、アカナの体がぴくり、と震える。
ほんの一瞬、異能がなければ気づかないだろう動揺。
だが、彼女は何も話さない。
「ただ黙るというのであれば、仕方がありません。……どんな手段を用いようとも、あなたの口から真実を告げてもらいます!」
業を煮やしたユウはそう言って手を上げ、
「兵よ! 彼女を……、」
「待って!」
振り下ろすと同時に響きかけた言葉を、遮る。ユウの断罪も、周囲のざわめきも消える。
場のすべての動作が、その一瞬だけ止まった。
その間に、俺はアカナの前に出る。
「待ってください!……アカナ殿、構いませんね?」
「コトバ様……」
そう言ったアカナはうろたえていた。
無理もない。恐らく、策はあったのだ。彼女だって、伊達に魔族の長を務めているわけではない。俺より頭が切れるし、政治的な駆け引きも熟知している。それは間違いない。
彼女ひとりでも、この場を収めることくらいはできるはずだ。……つまり、これは余計なお世話だ。
だが、訂正しないわけにもいかない。
俺はユウの前に立つ。顔を上げ、胸を張り、彼女に、そして周囲の人々にも聞こえるよう話しはじめる。
「昨晩、私はアカナ殿に招待され、歓談させていただきました。この世界のこと、この国のこと、彼女たち魔族と人の行く先について。……誓って、彼女はあのようなことをする方ではありません」
「なっ……」
俺の言葉に、ユウが一瞬怯む。僅かな表情の歪み、それを異能が捉えたのだ。
そしてそれに、俺は見覚えがあった。一番最初にこの力を試した、受付の人。彼女と同じだ。
ユウは、何かを隠している……?
「あなた、いきなり出てきて何を……。大体、あなたは一体何者ですか!」
「……失礼しました。コトバと申します。北王の配下、訪問者です」
そう言って、俺は一礼する。ユウが目を剥き、静まり返っていた周囲がざわつく。
その雰囲気は、先のものとは違っていた。不安と恐怖が、再び行き場と力をなくして、漂っている。
……なるほど、名前が売れるというのも、時には便利なのかもしれない。
北王の名の後ろ盾と自分の名前で、この場を切り拓くための威力は十分なようだ。明らかに、相手の勢いが削がれているのがわかる。
ならば、もうひと押しでこの場は収められるはずだ。
「"氷の頭脳"……!? あなたまでも、吸血鬼の肩を持つというのか! その罪がどれほどのものか、わかっ……、」
「それは」
まだ続くユウの演説。その言葉へ被せるように、打ち切るように、自分の言葉を滑り込ませる。
「それは、私に向けられた糾弾、と考えてよろしいのですか?」
はっきりと、俺は問いかけた。
誰も言葉を発しない。ユウも、周囲の人々も。
彼女に乗せられていた群衆が、目の前で振られていた旗を失い、日和見に戻ったのだ。その勢いで押しきれなくなったユウも、俺を敵に回して良いものか思案しているのだろう。
辺りはすっかり静まり返ってしまった。勢いは、完全に止まった。
「やれやれ、朝から元気なことだな」
「北王……」
その静寂を破ったのは、ヒョウだった。ユウがうろたえる。周囲のざわつきが再び激しくなる。
ヒョウは俺とユウの間に立つと、こちらを向きながら、
「コトバよ、お前がそうまで言うのは珍しいな。……それは"見当がついている"と思って良いのかな?」
そう言った。
見当……。俺にあるのは違和感だけだ。ユウが何かを隠している、という感覚。
だが、それは異能から来るものである。他者への証明にはならずとも、正当性はある。
少なくとも、俺はこれが外れたところを見たことがない。
こちらの優位点はもうひとつある。ユウの反応だ。ヒョウが……、北王が出てきてから、彼女は明らかに焦りはじめた。
何かを隠していて、焦っている。そう仮定するならば、きっとそれは"見つかるから"だ。怪しいところを探せば、何かわかるかもしれない。
ヒョウの方に顔を向け、その目をしっかりと見つめる。
「はい」
はっきりとそう答えた。
「よろしい! ではこの件、私が預かろう!」
「北王! それは!」
ヒョウの宣言に、慌てたようにユウが声を上げるが、
「ユウよ、私が預かることに不満があるのか?……魔族を受け入れ、訪問者を従える、この私に」
ヒョウが不思議そうに尋ねる。続けて、
「だが私からすれば、"お前も同じこと"なのだぞ? ユウよ。その上で、お前がここで"何か"を言いたいのならば、遠慮は要らぬ。申してみよ」
「うっ……」
ユウは、ヒョウの言葉に黙らざるをえない。今のは、"北王が魔族や訪問者の肩を持つ"という非難への牽制だ。
ユウとて北方の民、北王にすがり生きる者たちのひとりだ。仮にアカナが罪人だとしても、それに王の裁きが下されるのならば、彼女がそれを肩代わりすることなどできない。
ましてや、それに不満など。客観的に正当な意見なくしては、進言すらできないだろう。
北方を離反すれば、追求の続行も可能だろうが……。それは、一般的に革命や戦争と言われるものだ。それだけのことをする価値があるとは思えない。
「他の者もそれで良いか!? 不服ならば今、この場で述べよ!」
周囲は静まり返っている。不安はまだ残っているが、北王の言葉が効いたのか、落ち着きを取り戻している。
しばし待ち、ヒョウはうなずいた。
「では、本日の会議は延期とし、この館は解決までの間、一時的に我が監視下とする。各々、割り当てられた部屋へ戻れ。各所に我が兵を分散し配置する。調査に協力してもらう可能性もあるが……、あまり怪しい動きはするな」
その指示で、この一幕は終わった。
ヒョウは兵士の手配をし、皆を部屋に戻す。
「……これで良いか?」
「ありがとう、ヒョウ」
こっそりと俺にそう言った彼女へ、声を潜めて礼を返す。
と、そのとき。こちらに駆け寄る女性が居た。アカナだ。
彼女は深刻そうな顔をして、
「部屋へ戻る前に一言だけ。……申し訳ございません、コトバ様。私のせいで、このようなことに巻き込んでしまい……」
俺に対し、謝罪した。
もしこれが推理小説ならば、彼女を疑うこともできただろう。
だが、これはミステリではない。現実だ。そして俺には力が……、翻訳の異能がある。彼女の告白は、けっして嘘ではない。
彼女は人の血を飲むことはできない。だから、あの死体を生み出したのは、別の"何か"だ。
俺は謝罪する彼女に首を振り、
「いえ、俺がしたことです。あなたのせいじゃない」
「……お心づかい、痛み入ります。それでは」
アカナはそう言い、深く頭を下げると、ミラとともに部屋へ戻っていった。
# 解呪
木属性・魔術
効果に対となる魔力をぶつけ、打ち消す魔術。対象の魔法効果をすべて取り除く。
これは願いを打ち消す願い……。いわゆる呪いである。必要になることもあるだろうが、とはいえ、これは手段のひとつでしかない。
火を水で消すように、結んだ紐を解くように、成すべきことに対して達する方法は数多ある。
それをゆめゆめ、忘れぬように。




