新たなお仕事
※2019/11/11 本文修正、単語の誤り(長耳→耳長)
クロガネが旅立ち、しばらく経ったある日。
俺はヒョウに呼び出され、北方に来ていた。臨時の仕事ということで、手持ちを片付けて馳せ参じたわけである。
といっても、俺の仕事はさらに少なくなっていた。組合は言うまでもないが、翻訳も、南北翻訳部隊がかなり頑張ってくれている。今まで翻訳してきた知識と経験の蓄積が、日の目を見はじめたのだ。とても嬉しい。
既存の知識や現場のひらめきで未知を解決できるようになれば、俺の異能も出番は少なくなる。必要なくなるときが来るかはわからないが、まあ、今はそれで良いだろう。
おかげで、最初に予定していた布陣の研究や、ヘキトに勧められた戦術の調査などをしていることも多い。もっとも、こちらは俺の力が足りず暗中模索、といった状態だ。
話を戻そう。ヒョウに呼び出され、どんな仕事なのだろうか。と戦々恐々していた俺を待っていたのは……、
「いや、あの、何コレ……?」
礼服の試着だった。
鏡には俺と、着付けをしてくれている人、そして微笑を浮かべたヒョウが写っている。
礼服に身を包んだ俺は……。まあ、馬子にも衣装、といったところか。隣に並ぶヒョウの着こなしとは雲泥の差ではあるが。
とはいえ、物自体は北王からの賜り物だ。意匠も細かく、上品で丁寧な仕上がりである。布の質も良いのだろう。普段着ている服とは、手触りに格段の差がある。
元の世界でだって、高値で取引されるのではないだろうか。
髪はこちらの世界に来てから、自分で短髪に切っている。もしある程度の長さがあれば、油か何かで固められていたところだ。
「ふむ。ああ、そうか。詳細は話していなかったな。君を拾った理由のひとつ、最大の仕事はこれだ」
そんな俺の様子を楽しげに観察しつつ、ヒョウは質問に答える。
最大の仕事?……確か、就職するときにも聞いた記憶がある。臨時でヒョウから依頼するものがある、という話だ。だが、その内容までは聞いてはいない。
「最大の仕事?」
「そうだよ。私に付き添い、とある会合に出席して欲しい。"北方会合"……、我が国の有力者たちの集会にね」
会合ときたか……。少し身構えてしまう。あまり得意な分野ではない。
だが、なるほど。王の出席する会合となれば、それは身分の高い人が集まるのだろう。それでこの試着か。
しかし、ヒョウはなぜ、俺の付添を求めているのだろうか。
能力的に必要なものがあるかと言われれば、思い当たる節はない。護衛は無理だし、政治的な判断はもっと無理だ。
「会合の付添が理由? 護衛ってこと? 俺、ヒョウを守るような力はないと思うけど」
「いやいや、護衛ではないよ。"通訳"だ」
ヒョウは通訳、と言った。
それならば、能力的には合点がいく。しかし同時に、それならばますますわからない。なぜなら、そんなものが必要だとは思えないからだ。
この世界で共通語以外を話す人には、未だ出会っていない。他国では言語圏が変わるのか? と思って一度調べてみたことがあるのだが、四方国と交差点はほぼ共通語を使用すると聞いている。
共通語以外の言語は、民俗や歴史、あとは古い魔法などを学ぶ時に使うくらいだという。北王が出席する北方の会合で、わざわざ共通語以外を話す人物など居るのだろうか。
俺がひとり、頭の中でそう思っていると、
「もちろん、出席者は全員、共通語を話す。だから意思疎通はできるのだが……、文化や思想の違いは埋めがたい。相手の発する微妙な意味合いを取り違えると、あまり良いことは起こらない、というわけだ」
なるほど。そういうことか。
確かに、それはよくわかる。会話とは"すれ違うもの"だ。俺が翻訳の異能をはじめて知ったときも、懸念したのはそこだった。
もっともこの異能は、想像した以上にすごいものだったわけだが。
「そういうのは、君の得意分野だろう?」
確かに、それを知ることは、俺には他人より良くできるだろう。
……だが、ヒョウは1点だけ勘違いをしている。
「いや、わからないよ」
俺の答えに、ヒョウは怪訝な顔をした。
「……君の異能を持ってすれば、理解できるはずではないのか?」
「多分……、俺の考えが正しいなら、そんなことは絶対にない。もちろん、察することはできる。異能を持ってるぶん、やりやすいとは思うよ。でも、」
そこで言葉を切る。
難しい。自分の考えを言葉にするのもそうだが、その考えを相手に過不足なく伝えることもそうだ。説明というものはいつも、そういう悩みを伴う。
そして今回のそれは、少々大きい。感覚的なものと、理論的なものがないまぜになって、一口で言い表せないものになっているからだ。
できる限り言葉を選ぶ。
「それは、誰にも見えない。常に一方的なんだ。他人に向けるか、自分で想うか」
異能を持っていても、ここは変わらない。最初にそれを試した受付の人もそうだ。彼女の言動に違和感を覚えなければ、きっと何事もなかった。
やり取りは、誰かの意図でできている。でも、それに気づき、それを感じ、それを読み取ろうとするかどうかはその人次第だ。
そして絶対に、誰かと誰かが同じものを、まったく同じように読み取ることはできない。データのコピーのように、0と1の羅列に置き換えることは、いまだにできはしないのだ。
親しげに手を組んでいても、その視界は常に主観だ。
自分の顔は絶対に見えない。相手の目には絶対になれない。
「受け取ることも、応えることも、できない。それはただの思い込みだ」
人の心はブラックボックスであり、人の身で受け取ることのできるものは限られている。
だから、人は必死に他人を知ろうとする。できないけれど、ずれないように。重ならないけれど、すれ違わないように。
多分、ヒョウもそうしてきたはずだ。
それを、俺が居るから止めて良いとは思わない。
「……ふむ、それこそわからんね。君の力なら、互いの意図を共有できるのだろう?」
「でもそれは俺のものだよ。誰かのものじゃないし、お互いのものでもない」
ヒョウの回答に、俺は念を押す。
反応を見る限り、ヒョウにはあまり伝わっていないのかもしれない。翻訳の異能も、案外使い方が難しい。
今のは多分、俺のせいだ。俺が自分の思いを、明確な意図に昇華できていない。だから世界も、それをぼんやりとしか伝えられないのだ。
と、さんざん否定はしたが、これでも北王の配下である。できることを全力で行うのみだ。
「もちろん、最善を尽くす。ただ、絶対とは言えないのを忘れないで欲しい」
「そうか。……君がそうと言うのならばそうなのだろう。最善を尽くす、と言うなら、私は任せるのみだ。期待している」
そう言って、ヒョウは微笑む。
前にも見た、相手を信頼し誇りに思う、良い笑顔だ。
こういうのを、身が引き締まるというのだろうか? 安心と緊張が、バランスよく心に同居している。
……まあ、不安もあるのはご愛嬌だ。
しかし、そんな大役を俺だけに任される、というのはなかなか酷だと思う。
俺は、まあ、この世界の一般人よりも脆弱だ。頻度がどれくらいかはわからないが、ヒョウについて飛び回るような生活には耐えられまい。
それに、病気や怪我で俺が動けなくなることを考えれば、替えが居ないのは致命的だ。
そしてなにより、俺が死んだら困る。
さすがにこの仕事は、本の翻訳のように他人へ引き継ぎようがない。
そうそう死ぬような真似はしないつもりだが、元の世界より死は身近だ。それに、寿命だってある。ヒョウは耳長族だから長命だし、何より国は、もっと長く続く。
「……うーん。今は良いけど、替えが効かないのは難点だな」
「そうか? さほど頻度は高くない、都合はつくと思うが」
「ああ、いや。先々のことを考えれば……。少なくとも、国の寿命より俺の寿命の方が短いわけだし」
俺がそう答える。するとヒョウはニヤリと笑って、
「そのくらい先を見越すのなら、今のうちに子のひとりでも成してくれれば有り難いね」
そんなことを言い出したのだ。
まあ、確かに。そういう考えもあるだろう。ただ……、肝心の俺にそういう意識がない。社会人になってからは仕事か趣味ばかりだったし、その先での出会いも少なかった。
転移してからはもう、ほぼすべてが仕事つながりだ。ヒョウ絡みではない縁など、クロガネぐらいなものである。
それに、必ず異能が遺伝するとは思えない。
力のないところに託される期待は、きっと辛いものだ。子の居る親の感覚はわからないが、そんなものを我が子に背負わせたくはない。
「まったく、そういう顔をするな。まあ……、私もあまり、そういうものに良い印象は抱いてはいない。だが、逃れられないものもある」
顔に出てしまっていたのか、苦笑しながらヒョウが言う。
「何、男なら、まだ悩み選ぶ時間はあるさ」
「……それ、王が言うのは問題発言じゃないか?」
「おや」
俺の指摘に、ヒョウは肩をすくめて、
「所詮、我が国はまだこの程度だ。……私が王をするにも、この格好なのだぞ?」
そう言って、胸に手を当てる。……どうやらその男装は、必要に迫られてのものらしい。
ヒョウは「王をする」と言った。では王とは何なのか。
この世界では、四方国にそれぞれ伝わる力の象徴、『神器』を受け継いだ者が王を名乗る。
北方の神器は俺も見た。ヒョウの右目に収められた力、流星筒である。
だから、それに男も女も関係ない。
「平和に見えるが、未だ世界は安定に至っていない。民に力を示すには、使えるものは使うのが道理だ。効率的でもあるしな」
きっと皆は、"民を導く王"を求めたのだろう。
力の象徴である神器を受け継いだのだ。力の象徴である王を求めるのは、ある意味、当然と言える。
そしてそれは、年若くして王の地位についたヒョウには、まだ備わっていなかったのだろう。今、俺が見ている偉大なる王は、当時はろくな実績もなかったはずだ。
それを払拭するように、彼女は駆けた。
世界を駆け回り、それを見通し、時代を駆け抜け、それをつくった。
そしてそれを、今なお続けている。
だから、ヒョウは立派な王だと思う。才も、努力も、力も、そして目指す先も。
他の国の王をよく見ていないから、比較してどうなのかはわからない。だが、たとえ若いから、女性だからといって、それを卑下することは許されないと思う。
「何と言って良いかわからないけど……。ヒョウには王にふさわしい力があると思う。それに、その格好も良いと思うよ」
そんなことを口にした。
ヒョウは一瞬驚いたようだったが、すぐにいつもの微笑を浮かべて、
「褒め言葉と受け取っておこう。……しかし、君はからかい甲斐がないね」
「異能のおかげじゃないか? 元の世界では、結構うざったい絡まれ方をしたよ」
元の世界でよくあったやり取りを思い浮かべながら、俺はそう返した。
もしかしたら、それも好意の一種だったのかもしれないが。
今となっては、その意図は見えない。意味もない話だ。
# 神器
四方国の王が継承するもの。王の王たる証。
さまざまな面で各国の核となっており、柱となる存在である。
未だその全貌は明かされていないが、それらはすべて星の力であると言われている。




