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聖女よ永遠あれ!

村人視点です。


「おい、聖女様が中庭に出ておられるぞ」


誰かのこのひと声で教会内にいた元病人達が、寝ていたベッドから一斉に跳ね起きた。

ガタガタッと粗末なベッドの足が大きく揺れて、

枕やシーツなどの簡素な寝具が、ばさばさと乱暴に床に落ちる。


「どこだ。どこにおられる」


あっという間に、教会の中庭に面した窓に、

元気な元病人が鈴生りに張り付いていた。


中庭に面した窓は全部で3つ。

それぞれの窓は、小さな教会の壁に均等に配置されている。


普段なら、美しい白樺のさえずりと新緑の瑞々しさを、

爽やかな心地と優しい木漏れ日をと、

礼拝時に教会に集う人々に、自然の癒しを見せてきた窓だが、

どこの教会の窓にもある、ごくごく普通のガラス窓だ。


質素で頑丈な造り。木枠に白の漆喰を塗り固めただけの単純な窓。

だか、今この時から、その窓は、その役割を変えることになる。


後に、偉大なる聖女の行幸を人々に示した聖なる窓として、

人々に長く尊ばれ、聖女の奇跡を見せた聖遺物の一つとして、

王都の大聖堂に大切に保管され、

聖女の奇跡と共に語り継がれることなるのだが、

今の窓は、今までに受けたことのない人圧という苦行に立たされ、

ギギィ~と不自然なほどに甲高い悲鳴をあげていた。


「おいこら、押すな。そったらふうに押したら、見えるものも見えねえ」

「こら、おめえ、このタコ助。その面小さくしてから出直せ」

「誰だ、俺の髪掴んだ奴、禿たらどうすんだ。馬鹿野郎」


押し合いへし合いで、人の上に人が乗り、その下から人が突き出す。

見る間に、押し蔵まんじゅうの手本の様な人間団子が出来上がっていた。


今までに受けたことのないこの重圧に、流石の窓も大きく窓枠ごと押され、

ギシッミシッと嫌な音を立てた。


先程まで、瀕死であった病人とは思えない元気の良さである。

さすがにその様子を見かねた老齢の医師が、

ため息をつきながら皆に注意をした。


「おいこら、お前ら。耳をかっぽじってよ~く聞け。

 その窓割ったら、一人当たり一体いくら重税が掛かるんだろうな」


窓枠の周りの漆喰には、すでに大きな亀裂がビシビシと入っている。

人間団子が、ぴたっとその動きを止めた。


「解ったら、上の方から順番に一人ずつ降りろ。

 一斉に離れると怪我をしかねんからな。

 折角、聖女様に助けてもらったその命を、

 ここで無駄に散らすのはもったいないだろう」


老齢の医師に指示されて、上から一人ずつ降りてきた。

一人、また一人と離れていき、最後に残った1人は、

人に潰される形で、すでに意識を失っていた。

つまり3つの窓の側で、それぞれ一人ずつの意識不明者が出たことになる。


意識がないまま白目を剥いている被害者たちの背中や顔には、

明らかに複数で踏まれたと思われる、くっきりとした足型。

犯人は、言わずとしれた元病人たちである。


村人達は俯いたまま、お互いに目を合わせて、気まずそうに医師を見た。

それを横目に見て、医師は殊更に大袈裟なため息をついた。


「ふん。言わんこっちゃない。その三人をベッドに寝かせろ。

 言っとくがな。こんな馬鹿な怪我で聖女様を頼るなど、

 聖女様が許しても、ワシが許さんからな」


確かにそうだ。

現に潰された男どもは、気を失っているが、死ぬような怪我ではない。

今も白目を剥いているが、病気の時の様な苦しい顔もしていない。

病は治ったのだから。


そう、病は治ったのだ。其れだけで気分が浮上する。


彼等は目を見合わせて、自らの失態ですら、へへっと軽く笑って済ました。

突然開けた未来に、明らかに浮かれている様子が手に取るように解る。


「全く、お前ら浮かれすぎだ。ちっとは落ち着かんか」


医師は、そんな彼らに苦笑しながら、軽い苦言を言うにとどめた。

この医師とて、先の見えない病が収束し、今にも死にそうであった病人が、

まるで嘘だったかのように元気になったたことは、心から嬉しかったからだ。

例えそれが、医師の手によって快癒したのではなかったとしてもである。


「おい、聖女様が、墓石の前で何かしているぞ」


左端にそっと立って、外をちらちらと伺っていた村人の一人が不意に叫んだ。

墓石と聞いて、村人の幾人かが顔を見合わせた。


「墓石って、あの場所にある墓石は……、なあ、おい、もしかして…」

「ああ、あの古い墓石はマリーベル様とヘルガ様のものだ」


ヘルガは前村長の妻であり、由緒正しき男爵家の血を引く女性だ。

その血統は建国以前から遡れるほど古き尊き血筋。

だがヘルガ様は、血筋や家柄を誇ることなく、謙虚で情け深く、

実にお優しいお方だった。

そして、その内面も素晴らしいが、外見は美しく嫋やかで、

一輪の白い百合を思わせるような儚げな容姿をしていた。

前村長夫妻は夫婦円満で、一粒種の娘も産まれ、実に幸せな家庭を築いていた。


だが、ある年の流行病で、前村長である夫が亡くなった。

ヘルガ様は、最愛の夫を病で亡くしながらも、

女手一人でなんとか気丈に娘を育てていたが、

夫の死後見つかった膨大な借財がその弊害となった。


残された借財返済が叶わず、苦労の末に、現村長に買われるように再婚した。

結婚後、現村長との間に一人の男子を出産、のち死亡した。


マリーベルはヘルガの娘である。ヘルガに似て美しく嫋やかであるが、

前村長に似て利発で明るい朗らかな少女だった。

母の再婚が決まってすぐ女子修道院に入っていたが、結婚が決まり、

準備の為にこの村に返ってきて、嫁ぎ先に行く途中に崖から転落し死亡した。


あの村長が、爵位とこの土地を得る為に、

お二人を殺したのだという噂があった。だが、真実を知る者はどこにも居ない。

最後まで彼女らの傍に居た使用人達は、彼女らの死と同じくして全員が解雇され、

散り散りになり、この村には誰も残っていないからだ。


この村に残されたのは、亡くなったお二人の墓のみである。


聖女は墓石の前で青の錫杖を何度も振り、

その美しい目を閉じて、必死で祈りを捧げているように見えた。


聖女は、知っているのだろうかと村人は想いを巡らせる。


その聖なる力に、二人の哀れな魂が縋ったのかもしれない。

その稀なる心に、二人の悲しき思いが届いたのかもしれない。

もしそうなら、お二人は一体何を聖女に語るのだろうか。


村人の誰しもが、喉の奥に何かが詰ったような、

何とも言えないような顔をしていた。


そこへ、聞きなれた足音が響いた。


この教会の司祭で、神父でもある老齢なヨハネス神父だ。

御年70になるが、腰も曲がっていなければ記憶力も立派。

そして誰よりも口も達者な、実に健康そのものな老神父だ。

いつもにこにこと笑って、誰よりも率先して人々と交流を楽しむ、

快活な性質を持つ村人の愛すべき神父だ。


ヨハネス神父は素晴らしい方で、神の教えを心から信じ、

その教えのままに、貧富の差なく人々を愛し、手を差し伸べ、導いてくれる。

今も、医者が直せない重症患者を教会に受け入れ、

夜も寝ないで自分達を看病して下さっていた尊敬されるべき人物だ。


噂では、都の大主教補佐まで勤め上げた逸者で、優秀な神学者でもあったらしい。

若き頃は、大主教様の相談相手を務められたほどの博学振りで、

その出来過ぎた能力ゆえに妬まれ、出世の道を閉ざされ、

あわや殺される寸前に逃げ出し、なんとかこの村に流れてきたらしい。


能力的には、こんな田舎でくすぶるにはもったいない人物であるが、

本人はこの村がいたく気に入ったらしく、

神学者としての学問を生涯に渡って究めるべく、

この村の教会を終の棲家として決め、研鑽に勤しみ毎日を過ごしていた。


その敬愛される神父様は窓辺に立ち、両手をあわせて厳かに墓石に祈りを捧げ、

その後、ゆっくりとその目を聖女に向けた。

その瞳は、宝物を見つけた子供の様に、きらきらと輝いていた。


「ああ、やはり。流石は聖女様ですね。素晴らしいです。

 聖女は、人ならぬ英霊の声を聞くことが出来るのです。

 歴代の聖女様も例外なくそうでした。

 初代聖女様に至っては、かの有名な嘆きの英霊の御霊を慰めることが出来たと、

 かつての文献にはあります。

 

 聖女様は、あの墓に宿る哀れな魂を慰めていらっしゃるのでしょう。

 彼女たちは、ことさら無残にその命を散らしたのですから」


神父の言葉に、全員が神妙に頷いた。

村人は知っていた。

知っていても黙っていることしか出来なかった。


ヘルガ様と再婚し、新しく村長になった成金の男は、唸る程の財産を持っていた。

成金男の生業は金貸し。それも高利貸しである。

村人たちは、それを噂では知っていたが、信じようとはしなかった。

新村長は就任当時、優しい猫なで声で、ただ同然の低い金利で貧乏人にも、

金を貸してくれたからだ。


それで、家畜も田畑も家族も売らずに済んだ。

寒く長い冬を、暖かな暖炉の側で一時と言えど過ごすことが出来たのだ。

だから、敬愛するヘルガ様とマリーベル様の死にも、口を噤んだ。


ヘルガ様は、あの村長に監禁され辱められたあげくに、

あの男の子供を産まされ、無残に殺された。

その遺体は、幽鬼の様に窶れ、酷く痩せ細っていた。

美しかったヘルガ様の余りの変り様に、誰しもが嗚咽を堪えきれなかったほどだ。


その首や手足を始め、いたるところに縄や鎖の跡が残っていた。

その上、村人たちが目を背けるような、酷い刃物の跡と思える跡が体中にあった。

明らかに、産褥による急死とは思えないふしが、多数見受けられた。


マリーベル様は、新しい父である村長とかかわらない様にするため、

ヘルガ様の懇願によって修道院に避難されていたが、

ヘルガ様の死後に強制的に呼び戻され、

50以上も年の離れた好色爺の後添いの話を押し付けられ、

そこに向かう途中で崖から身を投げた。覚悟の自殺である。

享年15歳であった。

崖から落ちた死体は、体の一部が損傷した酷い物だった。


哀れな彼等のせめてもの慰めにと、神父の勧めもあり、

村人総勢で、彼等の遺体をこの教会の中庭に埋め、

崖から切り出した石を運んできて、それなりの墓を建てたのだ。


神桃の木が好きだったお二人が、少しでも癒されるようにと。


ちなみに村長は、仮にも妻と娘である二人の墓など、

教会の神父に任せきりで、墓石を建てる事すらしなかった。


だが、ヘルガ様とマリーベル様が死んだ後、

村人達は段々と解ってきたのだ。


安いはずの金利の貸し付けは、返却期限が過ぎると、

どんどん金利が膨らんで高くなっていく。

1年も経つと、金利は元金よりも高くなった。


村人達は金が返せないから、担保の家畜を売り、田畑を手放した。

家族が餓えぬために、村長が担保で取り上げた畑の小作人として、

安い賃金で雇われこき使われた。

労働力を持たない女子供は、村長の名代を名乗るならず者に連れて行かれ、

僅かな金と引き換えに売られた。

もはや、この村は、あの金貸し村長の思うがままであった。


ヘルガ様の三回忌が過ぎたころには、その横暴さは留まることをしなかった。

特に、好色さが及ぼす乱行は目に余る物があった。

村の若く見目麗しい女性は、未婚の有無にかかわらず、

村長の家に行儀見習いと称し連れて行かれ、

側女とされたり、娼婦のような真似をさせられた揚句に、

村長が飽きたら、どこかに売られた。

逆らったり、逃げた女は、物言わぬ死体となって両親の元に帰ってきた。


死した娘達の遺体は、親たちの願いと神父様の許しを得て、

ヘルガ様達と同じ中庭の隅に埋葬され、小さな墓石を積み立てた。


それらの墓を見る度に、誰しもが過去の悔恨で苦い顔をした。


あの時、黙って見逃さなければ。

何かおかしいと思った時に、声をあげていれば。

金や、嘘が混じった優しい甘言の誘惑に負けなければ。

村長の横暴を村人一丸となって止めていれば、今の苦しみは無かっただろうに。


誰しもが、あり得ないもしもの未来を求め、

過去を振り返っては首を振った。


過去は戻らないのだ。

だからこその重い楔が心に人生に圧し掛かる。

罪の意識が鎖となり、彼等の意識を縛っていた。



だれかが、ポツリと呟いた。


「なあ、……聖女様は、病の原因を取り去ると言ったんだよな」

「ああ、そういっちょったな」

「病の原因は、墓石なの? もしかして、呪い?」

「見て見ぬふりをした俺達を、恨んでということか?」

「だが、ヘルガ様達が無くなられて、もう何年にもなる。

 それこそ祟りと言うなら今更だろうが」

「そうだ。病は今年に入ってから各地で広まっている。

 ここだけじゃねえ」

 

村人たちは背中を丸めて、ごそごそと小さな声で話し合っていた。


そんな彼等を朴っておいて、マルフォイはどうしても気になることがあり、

聖女伝説に詳しい神学者であり、今も聖女をうっとりと見つめている、

この教会の管理者でもある神父様に尋ねた。


「神父様、オリ様は大丈夫でしょうか。

 聖女と言えど、力を、使いすぎているように私は見受けられるのです。

 あの方は、昨日も私共の村の病人を救われたばかりなのです。

 事実、昨夜はかなりお疲れで、倒れるように眠ってしまわれたのです。

 

 なのに、その疲れも言えぬ間に、この村で病に苦しむ病人に出会い、

 聖女の力を使われた。

 朴っておけなかったのでしょう。お優しい方ですから。

 誰にも何も言わず、ひたすら病人を癒されたと聞きました。

 

 自らの体を顧みず、連日で、自らの責務の様に力を使われています。

 そのお体が、このままでは損なわれてしまわれるのではないかと、

 私はそれが心配なのです」


神父は、そのことを聞いて目を瞠った。

そして、乱暴にもみえる仕草でマルフォイの肩を掴んで揺さぶった。


「なんと、それは本当ですか?

 連日で聖女の力を施行されたのですか?

 そちらの病人は一人、いやまさか、そんなはずがないですね。

 この病は、あちこちで猛威を振るっているのですから」


神父の余りの驚き様に、マルフォイ自身も少し圧倒される。


「は、はい。その通りです。村人30人が彼女に救われました。

 また病の元も究明下さり、私たちの村に病人は居なくなりました」


神父は口に右をあてたまま震えながら目を閉じ、

左手を胸に当て、アトラス神の名前を呟いた。


「なんと、そこまでなされていたとは。

 ああ、すぐに、あの方をすぐにお止めしなくては。

 連日の力の行使は、聖女と言えど自殺行為です。

 いえ、聖女であるからこそ、それは耐え難い苦しみでしょう

 ああ、至高なるアトラス神よ、貴方の聖女をどうか御守り下さい」


神父は、窓の外にいる聖女に、泣きそうな目を向けた。


それを聞いた村人たちが、けろっとした顔で神父様に言った。


「心配ねえべ、神父様」

「そうだそうだ。聖女様に疲れた様子はなかったべ」

「ああ、平気な顔で歩いとった」

「マルフォイも神父様も、大袈裟すぎんか?」


へらへらと笑って入る村人に、神父は怒りを覚えた。

今までに見せたことのない厳しい目を向け、机を乱暴に叩きつけ、

憤りをあらわに村人を叱責した。


「お黙りなさい!貴方達は、なんという傲慢な言葉を発するのですか。

 無知から来る言葉とはいえ、恩人に向かってなんてことを。

 貴方達は、人として恥ずべきです。

 

 今のあの方は、全身から血を流し、一足踏み出すごとに、

 悲鳴をあげるほどの壮絶な痛みに耐えておられるのです。

 それは、棘のついた茨に全身を絞めつけられていると同じこと。

 さぞかしお辛いでしょうに。 

 

 なのに、その苦しみの片鱗さえも我らに悟らせないように、

 気を配っておられる。

 ええ、私にはそのお心が、手の取るようにわかります。 

 

 ああ、なんと慈悲深く、徳高き方なのか。

 聖女様は、我慢強く潔癖で、気高く高尚な精神をお持ちなのでしょう。


 それなのに、そこまでして助けた村人は、

 彼女にほんの少しの労わりの気持ちも向けられぬとは。

 実に情けない。そして、同じ村の住人として、私はそれが酷く恥ずかしい」


いつも穏やかで、優しく賢い、村人全てが敬愛する神父が、

初めて、罵りの言葉と怒りを込めた目を村人に向けたのである。


そこにいた村人全てが呆気にとられ、いつもと違う神父様を見つめた。

神父は、説法と聞かせるように、更に声高に言葉を重ねた。


「貴方達は、もう先程までの苦しみを忘れたのですか?

 貴方達は知らないでしょうが、聖女様が貴方達を癒すと言うことは、

 その痛みを彼女が受け取るということなのですよ」


その言葉に、誰しもが眉を寄せた。

マルフォイですら例外でなく、神父を問い詰めるように尋ねた。


「神父様、それは、どういうことですか?」


神父は人々の目を見ながら語った。


「聖女は奇跡を行うとき、その代償にその痛みをその体で受けるのです。

 癒す患者と同じ痛み苦しみを分かち合わなければ、

 神の力を貴方達に注ぐことは出来ないからです。

 痛み苦しむ患部に手を当てて、その痛みを自らの体に取り込むのです。

 痛みの原因を判別し癒す為に、それは必要な措置だと言われています。

 

 その癒しの過程は、聖女に過度な負担を背負わせることに相違ありません。

 歴代の聖女様は、痛みに体が、心が耐えられなかった為、

 お亡くなりになったのですから。


 ここにいた病人は55人。全員が回復してます。

 つまり、その全ての痛みを彼女はその身に受けたはずです。

 その痛みと苦しみは壮絶な物だったでしょう」


人々は、その言葉であの痛みを思い出し、自らの体を抱きしめた。

痛くて苦しくて、死にたいとすら思ったほどのあの苦痛。


自分達をあんなに苦しめていた原因不明の病。

街道筋の村にも沢山の死人が出たことは、まだ記憶に新しい。

ここにいる村人たちは、自分達もそうなるに違いないと、

絶望と不安に苛まれながら、自らの不運を呪い、苦しみの中でもがいていた。


都から来た高名なお医者様、聖神官、治癒術師、その誰もが顔を顰めた。

患者たちは、それを見る度に絶望の淵に立たされていた。


口では諦めるなと励ましの言葉。

明日には良くなると渡された、ドンドン効かなくなる薬。

笑顔の仮面を張り付けた顔に、嘘が見える。


病人は、全てに絶望していた。だけど、生きることを諦められなかった。

だから、痛みに耐えて耐えて、苦しみに苛まれ、息をする度にもがいた。


もう駄目だ。痛い苦しい、体がバラバラに壊れそうだ。

もう、諦めたいのに、痛みが意識を失う事すら許さない。

終わらない苦しみに、希望の光はいつしか消えた。


絶望から、次第に死を望むようになっていた。


そんな中、唐突にどこからか現れた聖女。

あの恐ろしいまでの痛みが、一瞬で消えた。

あの一瞬で、天国が見えた気がした。


あの時のあの痛みを、聖女様は自らの体で受けてくださっていたとは。

無表情とも思えるような動かない顔で、淡々と病人を癒して回っていた。

平気な顔をされていた裏で、そんな苦しみを抱えていたとは。


村人たちは、先程の言葉を、驕っていた思考を心から恥じた。


「聖女様、苦しかっただろうな」

「ああ、俺達のために、痛かっただろうな」

「何も言われなかったのは、必死で歯をくいしばって、

 痛みを我慢しておられたのかもしれんな」

「そこまでして、私達をお救い下さっていたなんて、ああ、聖女様」

「申し訳ねえ、聖女様、すいません、神父様。

 愚かな俺達を許して下さい」


神父は、自ら窓辺に立ち、聖女の姿を実際に見ながら、

アトラス神を讃える聖言を唱え、村人を祈りの道へと導いた。


「私達が今すべきことは、聖女様の無事を案じ、

 少しでも聖女様の助けになるよう神に祈ることです。

 それが、聖女様の痛みを和らげ、お心を守るでしょう」


村人は床に膝をつき、祈りの体勢を取り始めた。


窓を振り返った神父の目に映ったのは、

大聖堂の聖人像のように白い聖布を身に纏い、

上級巡業聖職者が持つと言われている青の錫杖を、

神々しく掲げている美しい少女の姿。


神父が知る過去の錫杖はもっと優美なデザインであったと思うが、

あれが今の錫杖の形なのだろうと、なんとなく納得した。


だが、いくら上級聖職者の位をもつ聖女とはいえ、

彼女は人なのだ。それも、細くか弱い少女の身だ。

そして、聖女が降ろすとされる神の力は、絶大なる力の奔流。

到底、その代償はか弱い少女の身で、そう耐えきれるものではない。


歴代の聖女全てが、若くして儚くなったのは当然だと言えるだろう。

聖女となってわずか10日で亡くなった聖女もいる。

聖女と言う存在は、人々の希望である反面、

聖女が自らの幸せを求めることは許されない。

人々のために生き、苦難の中で苦しみながら逝く。

楽な人生など実際の聖女にはありはしない。


物語や伝承の中の、華やかで憧れの神秘なる神に愛された聖女。

勇者や王族と結ばれ、富と地位と幸福を手に入れる夢物語だ。


毎年多くの少女が、聖女志願者として神殿の門を叩く。

だが、殆どの聖女志願者は、その真実を知ると殆どが俗世に返る。


神殿は、神の求めるままに聖女は生き、

神の御心のままに死ぬことを推奨しているからだ。

神が定めたこととはいえ、残酷であるとしか言いようがない。


例外は、アトラス神の妻となったとされる聖母神だけであろう。


今、この時も、痛みを押してまで力を使い続ける聖女。

無茶だ、やめた方がいいと解っていても、

神職にある身では、神の奇跡を止めることは出来ない。

全ては、神の御心ゆえなのだから。


矮小なる人の身では、痛みを推して戦い続ける聖女の無事を、

祈ることしか出来ない。


神父は聖言を呟きながら、アトラス神に祈った。

どうか、どうか聖女がここで、その尊い命を落とすことのないようにと。




じっと左端の窓に目をやりつつ、皆と同じように祈り始めていた村人が、

途端に驚きの声をあげた。


「おい。大変だ。 見ろ!ありゃあ村長だ。 村長が中庭にいるぞ!」


その言葉に、村人たちが一斉に立ち上がった。


「何?どういうことだ。何故、村長が中庭に居る」

「多分、外から中庭に通じる扉から入ってきたんだ」

「おい、村長の奴、石を扉の前に転がしているぞ」

「あれは、先年死んだルビイの墓石だ。その隣はサリアの」


人々の言葉を聞き、神父は苦々しげに眉を顰め、

医師の爺さんが呆れた顔で大きなため息をついた。


「死者の尊厳を守るという、人として最低限の常識すらないとはな。

 あれが村長とは、呆れ果ててものが言えんとは、このことだろう」 


再度、じりじりと窓に近づこうとした村人を、

医師と神父、マルフォイが宥めながら、互いの顔をみて、

村人の意識を逸らすために、咄嗟に持ちうる情報の交換をする。


「ワシが聞いた話だと、村長は今朝方、捕縛されたはず。

 どうしてここにいるのだろうな」


「大方、役人を買収し逃げおおせたのでしょう。

 あの村長がやりそうなことです」


医師と神父の言葉に、マルフォイも小さなため息をついた。


「王都の騎士様の命とはいえ、周りは下級兵士ばかり。

 ある程度の金額を積めば、買収は可能なのでしょう」

 

三人の会話に、村人はびっくりしながら目を瞠る。


「村長が騎士様に捕縛って、掴まったちゅうことか?」

「そりゃあ、あの村長だから、掴まっても当然だけんど、何で今頃?」

「お偉い都の騎士様に、あの村長が何かしただか?」


村人の疑問に、マルフォイが吐き捨てるように言い放った。


「あの村長は重罪を犯したのだ。

 聖女の誘拐、監禁、暴行、殺人未遂という重い罪だ。

 

 昨日、我が村で、力を使いすぎたオリ様は、酷く疲弊され倒れられた。

 なのに、この村の村長が疲れ切って動けないオリ様を拉致し、

 聖女を我がものとするべく自宅の牢に監禁し、乱暴しようとしたのだ。

 

 何たる非道。男として、いや人間として恥ずべき行為だ。

 腹が煮えくり返る程の怒りを覚える。


 だが幸いにも、都から来た神官と騎士がその窮地をお救いし、

 聖女様は危うく難を逃れ、村長は捕縛されたと聞いた。今朝の話だ。

 聖女様は疲労困憊の為、この教会に休息という名目で保護されていたのです」


人々は、初めて聞いた話に戸惑いながらも、

聖女が何故この教会に居たのか、その訳を知った。


今までに、幾多の女性を浚っては乱行を繰り返してきた村長である。

他の村にまで、その嫌な食指を伸ばしていたことも知っている。

だが、聖女にまで手を伸ばすとは、思いもしなかった。

驚愕の事実である。


しかし、それだけは駄目だろう。

相手は聖女だ。神に最も近い尊き存在だ。

どう考えても、許される範囲を超えていた。


自分達を救ってくれた聖女様に、そのような無体を働こうとしたのか。

誰しもの心に怒りが渦を巻き、罪の意識で錆びついた重い心の鎖が、

ひび割れ、湧いてくる憤りに今にも何かが切れそうになっていた。


一体どこまで、我々は耐え忍ばなければならないのか。

あの村長に、いつまで従わなければならないのか。

ヘルガ様を、マリーベル様を失った時の様に、黙って聖女様を失うのか。


もう嫌だ。それだけは、嫌だ。


人々の瞳に、ゆらゆらと何かの決意が見え始めた。


そこに村長の怒声が、中庭から聞こえてきた。


「煩い煩い煩い!なぜ私が処分されるのだ。

 私は王から爵位を賜りし男爵家と繋がりがある者ぞ。

 無礼を働いたのはこの女だ。悪いのは全てこの女なのだ。

 そうだ、高貴な身分の私を陥れようとしたに違いない。

 なんと愚かなことだ。そうだ、良く聞け。下民共。 

 この無礼な女は今ここで、私自らの手で始末してくれよう」


村長がナイフを高く掲げ、聖女様に向かっていくのが見えた。


「ああ、村長がナイフを。村長は、聖女様を殺めるつもりなんだ」

「聖女様、どうかお逃げください」


村人の一人が窓に張り付いて、危ない!と大きな声で叫んだ。


「やめろ、村長」

「お願いだ、村長、やめてくれ」

「嫌あ、聖女様を殺さないで」

「誰か、誰か助けてくれ」


神父様も、アトラス神に必死の祈りを始めた。


「至高なるアトラス神よ、貴方の忠実なる使徒の願いを聞き届け下さい。

 聖女様をお助け下さい。

 誰でも何でもいい、お願いです。ここで、あの方を失いたくないのです」


村長と聖女様の距離は2,3mほどしかない。

走れば、一瞬でその刃が聖女の胸に突き刺さる。


村長が、神桃の木の根を蹴り、幹をどんと突く。

ナイフが木の皮を削り、神桃の実が無造作に散らばった。


その時、中庭から外に通じる出口を塞いでいた、右端の墓石がごろりと転がった。

それと同時に、聖女様の短い悲鳴が聞こえた。

その途端に、何が起こったのか解らないが村長の動きが一瞬止まる。


何が起こったのかと周りを見渡す暇もなく、また、左端の墓石がごろり。

またもや聖女様の悲鳴が聞こえる。途端に村長の体が九の字に曲がった。


そして、最後に扉の真ん中に陣取っていた墓石がごろり。

聖女様はもう一つ小さな悲鳴をあげた。

村長が、ついに泡を吹いて大の字に倒れた。


見ていた人間は、首を傾げるだけであった。


村長は倒れたが、聖女様は怪我をした様子もない。

それは文句なしにいいことなのだが、

じっと一部始終を見ていた村人でさえも、何が起こったのか解らない。


離れた場所で、恐怖に震えていた聖女が何をしたとは思えない。

だが、確かに村長は何かに倒されていた。


村長の顔色は白を通り越して紫色に変色していた。

ここにいた病人であれば、誰しもが知っている症状だ。


村長は、あの病に感染したのだ。


「天罰だ」


誰かがぽつりと呟いた。


「ああ、そうだ。墓石を粗末に扱った罰が当たったんだ」

「ヘルガ様やマリーベル様のお導きだ」

「村長に殺された女達の復讐だ」


それらの言葉に、誰しもが頷いた。


「聖女様を助ける為に、娘達の魂が村長を倒したんだ」


人々が興奮気味に、いろんな想像と妄想をまき散らしていた。


だが、更に驚くべき光景が村人の前に晒された。

天罰で病に侵され、倒れたはずの村長がむくりと起き上がったのだ。


だが、その様子はあきらかにおかしい。

涎を垂らし、鬘を落とし、鼻水を垂らし、目の焦点を合わさない。

気がふれているとしか思えない。


なのに、笑っていた。

村長でない誰かが、意識を失った村長の体を動かしているように見えた。


「……悪魔だ」


誰かがそういった。


「そうだ、村長は人間ではなかったんだ」

「村長は、悪魔に取り付かれとったんだ」


本当は、村長はずっと前から悪魔だったのだ。そうに違いない。

誰しもがそう思った。

恐ろしい悪魔が、突如病魔に取り付かれ、その正体を露わにしたのだと。


「その悪魔が、聖女様に迫っているんだ」

「俺達が、聖女様をお救いしなきゃなんねえ」

「幸い、悪魔の動きは鈍そうだ。聖女様が逃げてくだされば」

「おい、誰か、考えろ。なんとかならんか」


マルフォイは、焦りながら教会の壁を叩いた。

その言葉で、村人達が自発的に動いた。


「よし、扉を皆で破ろう。皆で力を籠めれば、この扉だって開くはずだ」

「まて、それよりももっといい方法がある。

 のこぎりを取ってくる。裏に有る筈だ。

 それで扉の閂を隙間から切れば、すぐに中庭に入れる」

「のこぎりは何本あるんだ? 2本有れば閂を切るのに効率がいい」

「よし、すぐ取り掛かろう」


男たちがわらわらと集まり、中庭に通じる閂の切る算段を始めた。

そして急ぐぞと道具を取りに走った村人を背に、

窓辺に残って聖女の見ていた村人が声をあげた。


「あああ、聖女様があの悪魔を調伏されようとなされている」


「なに?!」


その言葉で、マルフォイと神父が慌てて窓辺によった。

このまま力を使い続ければ、稀なる聖女は死んでしまうかもしれない。


だが、彼等の目に映る聖女は、自らの責務をただ果たすかのように無表情だ。風が聖女の長い髪を揺らす。美しい横顔に、一筋の汗が流れた。


聖女は錫杖を床に置き、真剣な顔で一歩下がり、両手を何度も振りかざし、

何かを唱えているように見えた。


聖女が数歩下がったところで、

紫色の村長たる悪魔がその歩みをピタリと止めた。

一時は、苦しむように体を振るわせた。


聖女の力が、悪魔の力を退けたかと、一瞬誰しもが期待した。

だが、それをものともせず、村長はその太った手を聖女に伸ばした。


「ああ、危ない」


村人の悲鳴と共に、助けられない、間に合わないという絶望が、

その場を支配した。


その時、聖女は何かきらきら光る物を取り出し、悪魔の上に投げた。

勿論、村長のナイフがそれを叩き切った。

その途端、何かの液体が悪魔の頭の上から滴った。


マルフォイが叫んだ。


「あれは、聖水です。間違いありません。

 今までに例がない程に効き目のある聖水で、

 私の娘も、それを飲んで死の淵から意識を取り戻したのです」


神父が聖女の一連の動作を見ながら、首を振った。


「そこまで効き目のある聖水は、聖都の大神殿にもありません」


マルフォイは、しかしっと言い始めて、神父がその言葉を止めて頷いた。


「おそらく、伝説の聖母神が使われたとされる幻の泉の聖水でしょう。

 驚くほど澄んだ水で、その水は全ての穢れを消し去ると言われています。

 幻の泉は、清き正しい御心の聖女しか辿りつけることが叶わぬ、

 神聖なる場所とされる伝説の泉です。

 オリ様は、おそらくその場所を見つけられたのでしょう」


そう神父が言った途端、村長の体中に、どこからか現れた聖樹の蔦が絡みつき、

うねうねと蔦は縦横無尽に伸びていき、一斉にその体を縛り上げた。


「あれは、調伏の聖樹の葉! なんと、見事な!

 高位の神官ですら難しい聖樹の葉を使いこなすとは。

 なんと、なんと素晴らしいお力だ。

 あの方は、聖母神の申し子と言っても過言ではない。

 ああ、我が目で、真なる聖女の御姿を垣間見ることが出来るとは。

 何たる行幸!神よ感謝いたします!」


神父の声が感嘆の叫びをあげていた。

神父は膝を床につき、最上位の礼拝の体勢を取る。


つまり、土下座に近い形で床に平伏し、手を挙げて、

アトラス神を讃える言葉を滔々と歌うようにあげた。


この体制は、みのりがUFO召喚と間違えた格好である。

神父様に続くように誰しもが同じように伏して手をワカメの様に揺らす。


もし、ここでみのりが見ていたら頼むからやめてくれと、

顔を蒼くしていたに違いない。


だが、蔦の動きに気を取られ、落ちていた枯れ枝で、

倒れた村長をつついていたみのりは、それに気が付くことはない。


そして、UFOは呼ばれなかったが、村人渾身ののこぎり作戦で、

見事閂を切り落とした中庭へと続く扉は開かれた時、

やっとみのりの傍に走ったマルフォイや村人たちが見た物は、

屈強な騎士と高名な神官に抱きしめられ、

力を使い果たし倒れた少女。


人形の様な白い顔、くたりと力を失った細い腕。

黒髪の美しい少女。

気を失っても損なわれない凛とした横顔に、村人たちは一斉に膝を折った。


天を見つめ、感涙していた神父の叫びが聞こえた。


「ああ、聖女よ永遠あれ!」

つまり、歴代の聖女は大変我慢強い方々だったと。


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