第6話:邂逅 ―ドラゴンブレイバー3―
浩之はカートリッジをしっかりと握りしめ、静かに息を整えた。
無造作にトライブ・ギアの差し込み口へとカートリッジを押し込み、電源スイッチをスライドさせる。
ガチャリ、と重い手応えとともにモニターが発光し、お馴染みのタイトルロゴが浮かび上がった。
(さて、セーブデータはどうなっている? 前回の冒険の進行度がそのまま引き継がれるのか、それとも初期状態からのリスタートか……)
モニター画面の片隅に表示されるロード画面を見つめながら、浩之は頭の中で素早く仮説を構築する。
レトロゲームの仕様であれば、セーブデータは内蔵の電池に依存しているはずだ。
思考を巡らせながら、彼は迷うことなく『ログイン』のスキルを発動させた。
視界が急速にホワイトアウトし、次の瞬間には現実の部屋が消え去る。
圧倒的な光の奔流を抜けたあと、浩之の足裏が捉えたのは、硬質な石畳の感触だった。
――パチッ。
瞬きを数回繰り返すと、そこには見覚えのある、しかし現実とは似ても似つかない風景が広がっていた。
赤茶色のレンガ造りの家々が立ち並び、色鮮やかな旗がたなびく大通り。
空はどこまでも抜けるような青空で、遠くの広場からは吟遊詩人の奏でるリュートの音色や、市場を行き交う人々の活気あるざわめきが聞こえてくる。
まさに、王道ファンタジーのRPGそのものといった街並みだった。
(……ああ、最初の街だな、ということはカートリッジはセーブデータ関係はなく世界への出入りの起点ということか)
周囲を行き交うNPCたちは、それぞれに豊かな表情を浮かべ、自律した生活を送っているように見える。
ここで浩之の脳裏にふと疑問が浮かんだ。
(この世界の本来の勇者や主人公は、今どこで何をしている?)
自分が今こうして介入しているということは、この世界本来のシナリオや主人公が存在しているはずだ。
もし、本来の勇者が魔王を討伐するはずの物語の枠組みに、一般市民である自分が割り込んでいるのだとしたら――。
いや、そもそもこの世界で自分はどのような扱いを受けているのか。
思考しながら、浩之はふと自らのステータスを脳内で呼び起こしてみた。
視界の端に、半透明のシステムウィンドウが展開される。
[ユーザー:高村 浩之(39歳・会社員)]
[クラス:一般市民(初期)]
[固有スキル:『ログアウト(LOGOUT)』]
膂力:5(80)
俊敏:4(70)
耐久:4(40)
知略:10
幸運:10
HP:8
MP:0
「……なんだ、これ」
ステータス数値などなかったのに、これはこの世界に来たことでの変化か?
浩之は自分のステータス数値を見て、思わず足を止めた。
ベースとなる基本ステータスは、会社員である彼自身のスペックを反映してか、あるいは一般市民というクラスの初期値ゆえか、軒並み一桁という惨憺たるものだ。
特にHPはたったの8、MPに至っては0である。
だが、その各項目の横に、不自然なまでに大きな数値が括弧書きで併記されていた。
(膂力が5で、括弧内が80……? 俊敏も4に対して70。耐久が4で40……)
ベースの数値に対して、括弧内の数値は明らかに一桁跳ね上がっている。
(……なるほど。あのとき、水晶の森での『パワーアップドリンク』の効果か)
現実世界に戻る際、あるいはあの世界での戦闘の果てに、肉体へと定着した強化データの残滓が、こちらのシステムのステータスにも直接干渉し、補正値として刻み込まれているらしい。
素のスペックは一般市民のそれだが、隠しパラメータとしての実効値は、並の冒険者を遥かに超越しているということだ。
「……待てよ」
そこまで思考を巡らせたところで、浩之の背筋に冷たいものが走った。
この世界はゲームだ。しかし、現実の肉体がこの世界にダイブしている以上、もしここで致命的なダメージを受けてHPが0になったらどうなる?
ゲームであれば何度でもコンティニューができるし、教会で多額のゴールドを払えば生き返ることもできるだろう。
だが、現実の自分が死んだとき、果たして蘇生呪文や蘇生アイテムで本当に生き返られる保証はあるのか?
(いや、実際に試すわけにはいかないだろう……)
冷や汗を拭いながら、浩之はゴクリと喉を鳴らした。
死ねば終わり。その圧倒的な現実のルールが、ファンタジーの皮を被ったこの世界にも厳然として適用されている可能性は高い。
どれほどステータスの括弧内が強化されていようとも、油断すれば一巻の終わりだ。
過信は禁物だと自らに言い聞かせながら、浩之は慎重に周囲の様子を観察することにした。
石畳の道を歩きながら、大通りの中心部へと近づいていく。
人だかりができている広場の中心には、立派な銅像がそびえ立っていた。
伝説の勇者が聖なる剣を高々と掲げる姿を模したその像の足元に、一人の少年が腰を下ろしているのが目に入る。
ボロボロの旅衣を身にまとい、膝を抱えたその少年は、周囲の賑わいとは逆に対照的にひどくどんよりとしたオーラを放っていた。
頭上には、ご丁寧に見慣れたフォントで名前が表示されている。
[名前:レイア(勇者・レベル1)]
(……あいつが、この世界の本来の主人公、勇者なのか?)
興味を惹かれた浩之は、少し離れた位置からその少年の様子を観察することにした。
周囲の喧噪から少し外れた石壁に寄りかかり、浩之は腕を組んだ。
銅像の足元にうずくまる少年――レベル1の勇者は、手元の木の枝で地面の砂利を延々と突いている。
道行く人々は誰も彼に目をくれない。というより、銅像の足元という特等席に泥だらけのガキが転がっていること自体、街の風景の一部として完全にスルーされていた。
(ステータス表示が頭上に浮いている人間と、そうでない一般のNPCがいる。区別の基準はなんだ? いや、それ以前に……)
視線を少しずらすと、広場の隅に設置された掲示板や、通行人の頭上にちらつく文字列の断片が視界の端でちらついていた。
現実世界では見えなかった情報が、この世界に接続した途端にノイズのように脳へ流れ込んでくる。
不意に、レイアの肩がビクリと大きく跳ねた。
少年は気怠そうに顔を上げ、すがるような目で周囲の通行人を見回す。
だが、誰とも目が合わないと知るやいなや、さらに深く頭を抱え込んだ。
「……はあ。もう無理だよ……こんなの勝てるわけないって……」
掠れた、しかし妙に耳に残る独り言が風に乗って届く。
愚痴にしては切実で、絶望にしては少し軽い。
浩之は細めた目でその様子を観察しながら、頭の中で状況の変数を整理した。
この世界における「本来の勇者」が、ゲーム開始直後からこの有様だ。
もしこの少年が王様から使命を言い渡されるメインストーリー住人なのだとしたら、今の状態は明らかにバグか、あるいはイベントのトリガーを踏み損ねているかどちらかだ。
(ほうっておくのが一番無難な選択肢ではあるが……)
現実世界に戻れば平日の昼間であり、会社を休んだ手前、やるべきことは特にない。
手持ちの暇つぶしを兼ねて、勇者と接触するのも悪くない。
浩之は地面を蹴り、石畳の上を音もなく歩み寄った。
強化データに補正された俊敏の数値が、足裏の筋肉の微細な伸縮を完全に制御する。
足音すら立てずに、レイアの真横へと影を落とした。
「……っ!」
気配に気づいたレイアが、驚いたように跳ねる。
首を亀のように引っ込めながら見上げてきた少年の顔には、明確な警戒の色が浮かんでいた。
「なんですか……あなた、旅の人?」
「見ての通りだ」
浩之は膝を折り、レイアと同じ目線に合わせる。
至近距離で見ると、少年の装備のボロボロさがより際立っていた。
革製の防具に、刃こぼれした青銅の剣が申し訳程度に腰に差さっている。
(これでレベル1の勇者か。冗談抜きで、今の俺のほうがステータス上の実効値は圧倒的に上だな……)
頭の中に浮かぶ自身のステータス数値と照らし合わせながら、浩之はわずかに口の端を持ち上げた。
「そこ、特等席のわりには居心地が悪そうだな。何かトラブルか?」
「トラブルって言うか……」
レイアはため息をつき、頭を抱えたまま両膝に額を押し付けた。
「王様から『魔王を討伐してこい』って言われて、この剣と聖水を与えられて放り出されたんだ。でも、一歩街の外に出たら、スライムみたいな雑魚にすら一撃で殺しかけられてさ……こんなの無理だよ。帰りたいよ」
あまりにも直球な弱音だった。
浩之は微かに眉をひそめつつ、少年の頭上に浮かぶレベルの表記をもう一度流し見する。
「スライム相手なら初期装備の青銅の剣でも十分なはずだが……お前、ステータス画面を見たか?」
「え? ステータスって……なにそれ」
「見えないのか?」
ステータス画面は、プレイヤーがキャラの強さを知るためのもので、その世界の住人には見えないということか。
「……ちなみに、君の名前は?」
「え、あ、その……レイ、だけど……」
少年は怪訝そうに眉をひそめながらも、ぽつりと自分の名を認めた。
「お前の本当の名前はレイアであっているか?」
「っ……なっ!?」
弾かれたようにレイアが跳ね起きる。
少年――いや、レイアと呼ばれた少女の顔から血の気がサーッと引いていくのが分かった。
彼女は周囲を慌てて見回し、必死に声を潜める。
「な、なんでそれを……! 旅のひと、一体……あなた何者なんですか……!?」
小柄な体躯に、ぶかぶかの旅衣。
至近距離で声のトーンや骨格をよく見れば、男装した少女のようにも見える。
本人が性別を隠して「レイ」と名乗っていたところを、頭上のシステム表記にあった本名で一発言い当てられた形になるわけだ。
(なるほど、そういうことか)
過剰に動揺する少女の反応を見て、浩之は頭の中で静かに合点がいった。
浩之は立ち上がり、レイアの目の前にスッと手を差し出した。
少女の瞳に、警戒と困惑の色が入り交じる。
「王様も不親切だな。酒場で仲間を集めたりしないのか?」
「仲間って……どういうこと。王様からは『勇者は一人で魔王を討つものだ』って言われたし……」
「真面目か」
浩之は呆れたように息を吐き、頭を抱える少女に視線を戻した。
街の外に出たら魔物もうじゃうじゃいて、一人では危険なはずだ。
それなのに最初からソロ縛りプレイなんて、初心者の自殺行為だろ。
思考を巡らせながら、浩之は差し出した手をさらに一歩前へ突き出した。
「しかたない、少し付き合ってやるか」
ぽつりと呟き、浩之は差し出した手に力を込めた。
レイアは半信半疑といった面持ちでその掌を見つめ、恐る恐る小さな手を重ねてくる。
全体重を預けられるように引き上げると、少女は膝の汚れを慌てて払った。
「で、でも……どうする気? 街の外に行ったら、またあのスライムに――」
「まずは敷居の低いところで、お前のその『初期装備』の性能と身体の動かし方を再確認する」
浩之は顎をしゃくって、石畳の通りから城壁のほうへと歩き出した。
目指すのは、王都の裏手に広がる見晴らしのいい丘陵地帯だ。
モンスターの密度が低く、チュートリアル用の雑魚がまばらに徘徊しているエリアなら、身体の慣らしにはちょうどいい。
背後から、パタパタと慌ただしい足音がついてくる。
ボロボロの旅衣を揺らしながら必死についてくるレイアを一瞥し、浩之は頭の中で自身の隠しパラメータである『70』の俊敏の感覚を確かめた。
(まずは、この世界の物理法則と俺たちの補正値のすり合わせか……。手始めに、あの少女がどこまでやれるか見せてもらうとしよう)




