第35話:残響の街と、新たな道
荒野の街――リユイン・アウトポスト。
遠くから見れば、それは大地に埋もれた瓦礫の山にしか見えなかった。
だが近づくにつれ、崩れた高層ビルの下に鉄骨や廃コンテナを組み合わせたバラックが並び、瓦礫の中にも人の暮らしが残っていることが分かる。
冷たい荒野の風が、死んだ電線を揺らしながら乾いた砂を路地へ運んでいく。
シェラは痛み止めでいくぶん楽になった腕をかばいながら、街の入口に設けられたゲートの脇で足を止めた。
「ここがアウトポスト。見ての通り、荒涼とした掘立小屋の集まりだけど……この辺りじゃ最大の拠点だよ。最低限のインフラや、私たちみたいな探索者が体を休める場所くらいはある」
浩之は無言で頷き、街の内部へと視線を走らせた。
防塵マスクをつけた者、使い古された銃器を背負った者、疲れ切った足取りで歩く者。
誰もが周囲を警戒しながら、必要な用事だけを済ませるように動いていた。
街の中心部へと進むにつれて、人だかりができている一角が見えてきた。旧文明の端末が壁に埋め込まれた『端末センター』だった。青白い電子光の前には探索者たちが列を作り、その隣の配給所にも合成レーションを求める人々が並んでいる。
「まずは端末センターでハンター登録を済ませないとね。素材の売買も、クレジットの受け渡しも、全部その端末で管理されてるから。無登録のままだと街の治安維持システムに不審者扱いされて撃たれるか、面倒なことに巻き込まれるよ」
シェラに案内されるまま、浩之は錆びついた金属の自動扉をくぐった。
内部は外の喧騒が嘘のように静まり返っており、機械音が単調に響いているだけだった。壁の端末の前に座る受付の男は、煤けた作業着を着て、気だるげな目で浩之を一瞥した。
「新規のハンター登録か?」
「ああ」
「なら、そのガラス板に右手を当ててろ。個体認証と生体データのスキャンをする」
言われた通り、浩之はひんやりとした旧文明のセンサーに手をかざした。
指先から微かな振動が伝わってくる。旧文明のネットワークやデータベースの名残は、形骸化しながらもこの世界のインフラとして辛うじて機能し続けているらしい。数秒後、端末が低く心地よい電子音を鳴らし、スロットからプラスチック製のカード状の端末が押し出された。
「はい、登録完了。IDは――ヒロユキだな。……おい、新入り。この辺りは最近、周辺のクリーチャーの動きが変だ。調子に乗って奥地へ行くと、骨まで残らないから気をつけな」
忠告とも脅しともつかない言葉を適当に受け流し、浩之はカード状のハンター端末を受け取って外へ出た。
その後、シェラは街の隅にある簡易医療ステーションへ向かい、そこで腕の簡単な処置を受けて戻ってきた。包帯が巻き直され、痛み止めの薬を手にしながら、彼女はやれやれといったふうにため息をつく。
「ふう、簡易処置で痛みはかなり引いたよ。でも医者には『骨や組織の微細な損傷は残ってるから数日は安静にしろ』って言われちゃった。探索者としてはしばらく廃業だわ」
それを聞いた浩之は、わずかに眉をひそめてシェラを見据えた。
「治療は終わったのか」
「うん。……って、何よその顔」
「……簡易処置だけか?」
「え?」
「メディインジェクターは?」
「……メディインジェクター? 名前くらいは聞いたことあるけど……あんな旧文明の医療機器、個人が持てるわけないじゃん。あれ一個で数か月分の稼ぎが飛んだりするんだよ」
浩之は心の中で小さく息を吐いた。
(ゲームでは序盤から店売りされていた医療装置だ。探索者なら携帯していて当然だと思っていたが……)
納得したように浩之が頷くのを見て、シェラは怪訝そうな顔をする。
「ちょっと、なんでそんなこと聞いて――」
「見せてみろ」
「え?」
浩之は迷うことなくシェラの負傷した右腕を掴み、その包帯の上からそっと手のひらをかざした。
次の瞬間、淡い光が腕を包み込む。そこに込められた魔力は、医療ステーションでは届かなかった傷の奥へ染み込むように広がり、残された損傷を瞬く間に消し去った。肉体的な損傷は完全に修復されていた。
「うそ……」
シェラは言葉を失い、自分の腕を何度も曲げたり伸ばしたりした。痛みは完全に消え去り、さっきまでの重だるさすら微塵もない。
「傷が……完全に消えた……? あんた、何者なの……?」
「治療しただけだ」
「治療って……光っただけで、ステーションでも治せなかった奥の傷まで一瞬で……。普通の探索者は傷を薬で誤魔化しながら戦うんだよ。なのにあんた……傷そのものを治したじゃん」
驚愕に染まるシェラをよそに、浩之はすでに思考を切り替えていた。彼女の腕治療を終えると、彼は自分のハンター端末を操作し、立体的な簡易マップを宙に映し出した。荒野の北側に、赤い警戒色でマークされた巨大な区画が表示される。
「話を戻す。第4プラント跡だな。ここは、どういう状態だ」
現実を受け入れきれていない様子で自分の腕をさすりながらも、シェラは探索者としての記憶を必死にたぐり寄せた。
「……ここ。旧文明の主要な兵器製造プラントの一つ。現在は完全に立ち入り禁止の危険地帯に指定されてる。自動防衛システムは今でも稼働しているし、周辺や内部には変異した厄介なクリーチャーがうろついている。探索者の間じゃ、あそこは足を踏み入れたら二度と生きて帰れない『墓場』って呼ばれてるんだからね」
「地下区画の構造データはあるか?」
「そんなの無いよ。誰も内部の奥底まで入ったことがないんだから。外周のフェンスを越えた瞬間に、どこからともなく飛んできた防衛ドローンに蜂の巣にされた奴を何人も見てきた。おまけに、旧文明の人工知能がいまだに暴走しながらプラントを管理し続けてるって噂もある……」
シェラの声には、本物の恐怖の色が混じっていた。
ゲームの知識を持つ浩之の脳裏で、当時の記憶が静かに再構築されていく。
ゲーム内の第4プラントは、兵器製造を目的とした戦闘特化エリアだった。表向きのデータには医療や生体研究の記録など存在しない。
だが、旧文明の公開情報がすべて真実とは限らない。兵器開発施設の地下に、生体研究や医療関連の設備が存在していた可能性はある。軍事技術と生命維持技術が切り離されていたわけがない以上、調査する価値はあった。
セリアの身体を蝕むシステム不全は、現在のこの世界の医療技術でも、現代地球の医学でも治すことができない。残された唯一の希望が、旧文明の失われた超技術にある以上、どれほど危険な墓場であっても足を向ける以外の選択肢はなかった。
「行く価値はある」
「……本気で言ってるの?」
シェラの瞳がふたたび驚愕で見開かれる。
「あそこがどれだけヤバいところか、さっき言ったよね? あんた、サンド・ワームを一撃で倒したからって、旧文明の軍事施設を甘く見すぎじゃないの? 防衛システムは容赦なく人間を焼き殺すんだよ!」
「必要だから行く。それだけだ」
淡々と告げる浩之の声音には、迷いの欠片もなかった。
その揺るぎなさを目の当たりにして、シェラは言葉を失い、しばらくの間、口だけが半開きのままで浩之を見つめていた。やがて、彼女は複雑な表情で力なく視線を落とす。
「……本当に、何者なんだか」
それ以上言葉を交わすこともなく、二人は街の中に用意された荒野の旅人向けの安宿へと向かった。
部屋の簡易ベッドに腰を下ろした浩之は、手元のハンター端末を操作していた。
取得したIDで旧文明のネットワーク残存データにアクセスを試みるが、プラント周辺の回線は強固なセキュリティとアクセスの制限壁に阻まれ、微弱な稼働信号を捉えるのがやっとだった。遠隔からのハッキングや詳細なログの引き出しは、現在の簡易的な端末の権限では不可能に近い。
(――やはり、リモートでのアクセスは無理か)
プラントの内部構造や、仮に存在するかもしれない医療区画のデータを手に入れるためには、直接現地へ赴き、内部の端末から直接アクセスするしかなさそうだった。
思考を巡らせていたその時だった。
――ズズズ……ン……。
足の裏から、微かな、だが紛れもない低周波の振動が伝わってきた。
それは自然の地震などではない。重たい金属の塊が大地を抉りながら移動する時に生じる、機械特有の振動だった。
浩之は即座に立ち上がり、部屋の小さな窓から、夜の荒野を見下ろした。
月の光に照らし出された荒野の遠方、リユイン・アウトポストの壁外の闇の中に、不気味に赤く光る光学センサーの群れが浮かび上がっていた。
あれは――ウォーカー・ドローン。
ゲームの序盤では、プレイヤーの経験値稼ぎの的にすぎなかった旧文明の自律巡回兵器。だが、現実のスケールで目の当たりにするそれは、高さ数メートルにも及ぶ巨体の戦闘機械であり、一機で小さな街を壊滅させるだけの火力を秘めた脅威そのものだった。
そのドローンたちが、ただの巡回ルートを外れ、まるで何か特定の標的を探し求めるかのように、じりじりとアウトポストの外縁へと近づきつつあった。その進路は偶然とは思えないほど、街の壁外、そして浩之が滞在する宿の区画を正確に指し示しているように見えた。
(――第4プラントの防衛網が拡大しているのか、それとも別の要因か……)
浩之は眉をひそめ、冷静に分析を続ける。
(ゲームでは設定資料のフレーバーテキストや単なる背景データにしか存在しなかった防衛システムが、現実では独自の判断で動いている……。旧文明のネットワークの異常活性といい、この世界の機械たちは、俺たちが思っている以上に動的な変化を起こしているらしい)
コンコン、と控えめなノックの音が部屋のドアを叩いた。
扉を開けると、そこには先ほど別れたばかりのシェラが立っていた。彼女の顔には明らかな恐怖の色が浮かんでおり、無意識のうちに先ほど完全に治してもらったばかりの右腕をしっかりと抑えていた。
「ヒロユキ……起きてるよね」
「入ってくれ」
シェラは足早に部屋へ滑り込むと、窓の外の闇を恐ろしげに一瞥してから浩之に向き直った。
「外の揺れ、気づいた……? あれ、旧文明の自律機械だよ。ウォーカー・ドローンがこんな街の近くまで群れで降りてくるなんて、ここ数年一度もなかった。……きっと、第4プラント跡の内部で何かが起きてる。あそこはただの放置された遺跡なんかじゃない、今でも動き続けている『旧文明の心臓部』なんだよ」
窓から視線を戻し、シェラは不安げに自身の腕を抱きしめた。
「……あそこの防衛ネットが活性化し、かつ行動範囲を広げているのは確かだな」
「だったら、なおさら行くべきじゃない! あんなところに行ったら、ドローンどころか本気で軍事用の迎撃システムに焼き殺されるよ。どうしてそんなに平然っていられるのさ……?」
詰め寄る彼女の怯えを無視するように、浩之は淡々と返す。
「行かなければならない理由がある。どうしても手に入れたい技術が、あのプラントにはある。他に道はない」
しかし、浩之の瞳の色は微塵も揺らがなかった。
その言葉を聞いた瞬間、シェラはぐっと言葉を詰まらせた。
彼女は自分の両手を握り締め、何かを必死に堪えるように唇を噛み締める。そして、覚悟を決めたような強い眼差しでふたたび浩之を見据えた。
「……ねえ、ヒロユキ」
「なんだ」
「私ね……」
シェラは一呼吸置いて、言葉を繋ぐ。
「この荒野で生まれ育って、ずっと同じ景色しか見てこなかった。この街で合成レーションを配給されて、危険なクリーチャーを必死に避けて……何年も、同じような日々を過ごしてきたの。そしてね、いつかは……こんな何もない場所で、誰にも知られず死ぬんだと思ってた。安全圏で死ぬまで、同じ毎日を繰り返すだけ。それがこの街の、私たちの人生の限界だって……心のどこかで、諦めていたんだ」
シェラは自嘲気味に笑ったが、その瞳の奥には、抑えきれない熱が灯っていた。
「でも、今日……あんたに出会ってみて。全部が変わった。サンド・ワームを一撃で倒して、見たこともない道具で肉を出してくれて、私の大怪我を一瞬で消し去ってみせた。あんたは……私の知ってるこの世界の常識を、その強さで塗り替えてしまった」
ひと息ついてから、彼女の表情が引き締まる。
「だから……もう、この街で死を待つだけなんて、御免だ。一人じゃ行けない場所も、あんたと一緒なら――。道案内も、遺跡の知識も、私の経験全部役に立ててみせる。……お願い。私にもその先を見せて」
部屋の中に、夜風の音だけが静かに響いた。
浩之は、目の前に立つ少女をじっと見据える。
戦闘能力だけを見れば、大きな戦力にはならない。
だが、この世界で生きてきた経験と遺跡探索の知識は、第4プラント攻略において貴重な情報になる。その判断力と経験は、未知の環境では十分な価値になる。
(……それに、あの目をした人間を無理に残していく合理的理由もなかった)
「……足手まといになるなら置いていく」
「――それって、連れて行ってくれるってこと!?」
「ただし、俺の指示には絶対に従ってもらう。危険を感じたらすぐに退避する判断も、俺が下す」
「わかった! 文句なしでそれに従うよ!」
シェラはパッと顔を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。その表情には、先ほどまでの怯えの色はすっかり消え失せていた。
翌朝。
夜明け前の荒野には、肌を刺すような冷たい風が吹き抜けていた。
リユイン・アウトポストの頑丈な外門の外側。地平線の向こうから薄っすらとした青白い光が差し込み始め、錆びついた鉄骨の残骸を黒い影として浮かび上がらせている。
浩之は防塵ジャケットのジッパーをしっかりと締め、インベントリから必要な装備と予備の補給物資の確認を終えていた。
門の脇で待っていたのは、すでに完全な探索者としての装備を整えた、小型のバックパックを背負ったシェラだった。彼女の手には、予備の指向性スキャナーがしっかりと握られている。
「……本当に来る気か」
歩み寄った浩之に、シェラは得意げに鼻を鳴らした。
「当たり前でしょ。昨日の今日で聞き分けのない女だと思ったら大間違いだよ。準備は万端、道案内もこの私が完璧にこなしてあげる」
「そうか。なら、出発する」
「うん!」
シェラは力強く頷くと、浩之の少し後ろをついて歩き出した。
ふと、浩之が振り返ると、彼女は臆することなくその背中に並び、一緒に荒野の先を見据えた。
水平線の彼方。朝もやの向こう側に、不気味な黒い影をたたえて沈んでいる巨大な構造物がある。
旧文明の遺産――第4プラント跡。
ゲームでは単なる攻略エリアの一つにすぎなかったその場所が、今は現実として命を削る牙を剥いている。
旧文明の知識と規格外の力を持つ青年と、荒野で生き抜いてきた探索者。
異なる世界を歩んできた二人の足音が、冷たい朝の砂塵を踏み鳴らしながら、誰も還らないとされる禁忌の領域へ向かっていった。




