第30話:竜の山と飛竜の影
朝の商業都市バレルは、相変わらずの熱気に包まれていた。
冒険者ギルドの店内は、新たな依頼を求める冒険者たちで溢れかえり、ジョッキの触れ合う音や掲示板前の怒号が忙しなく飛び交っている。
浩之、レイア、ミナの三人は、その喧騒を抜け、壁一面に張り出された羊皮紙の前に立っていた。
浩之は腕を組み、ずらりと並ぶ依頼書を冷静な目で見上げている。
ゴブリンの巣の攻略で、ミナの固有魔法【ターゲット・エディト】が小型・集団戦において実戦でも十分に機能することは確認済みだ。
すべての攻撃とヘイトを引き受けるタンクとしての浩之、死角からノーリスクで最大火力を叩き込むアタッカーとしてのレイア、そして敵の狙いを強制的に固定し続けるサポートのミナ。
あとは、この戦術がより強力な相手にも通用するか。それだけだった。
「さて、次はもう少し実入りのいい依頼にするか」
「実入り……つまり、お金がいっぱいもらえるやつですか?」
レイアが真新しい鉄の剣の柄に手を置きながら、興味津々に身を乗り出してくる。
「ああ。ポーションの補充や今後の装備の更新には金がかかる。効率よく稼げるなら、それに越したことはないからな」
浩之の視線が、掲示板の最上段――一段と目立つ豪奢な装飾が施された、真新しい羊皮紙でピタリと止まった。
【依頼主:ヴァルハイト伯爵家】
【依頼内容:竜爪山に咲く幻の薬草『竜血花』の採取】
【報酬:金貨五十枚】
「き、金貨五十枚……!?」
レイアが思わず素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。昨日、三十体以上のゴブリンの巣を討伐した報酬ですら銀貨数十枚だったのだ。金貨五十枚といえば、一般的な依頼報酬とは明らかに桁が違う。危険度に見合った破格の金額だった。
ミナも目を丸くして、その提示額に息を呑んでいる。
「これだけ報酬が跳ね上がっているってことは、それ相応のリスクがあるってことだ」
浩之がその羊皮紙を無造作に剥がし取ると、周囲のテーブルでエールを煽っていた冒険者たちが、ギョッとした顔でヒソヒソと囁き合い始めた。
「おい見ろよ、あの軽装のオッサン、ヴァルハイト伯爵の依頼を剥がしやがったぞ」
「竜爪山だろ? 冗談じゃねえ、あそこはワイバーンの縄張りだ。いくら報酬が良くても、飛竜相手じゃ命がいくつあっても足りねえよ」
「だがよ、伯爵様も必死なんだろうぜ。一人娘の令嬢様が、身体が日に日に動かなくなる原因不明の病で寝たきりらしいじゃないか」
「ああ、高位の神官を何人も呼んで強力な回復魔法をかけたが、さっぱり効かなかったとか。呪いの類じゃないかって噂だぜ」
「だから、どんな病も治すって伝説の『竜血花』にすがるしかないんだろうな。……ま、生きて帰れりゃの話だがな」
周囲の冒険者たちの噂話を、浩之は顔色一つ変えずに聞き流していた。
(どんな病も治す幻の花……王道RPGにありがちなお使いクエストのテンプレだな。本当にただの花で病気が治るのかは疑わしいが、そこはファンタジーなゲームなんだろうな)
深入りして同情する気はない。重要なのは、クエストとしての明確なメリットだ。
(ワイバーンが出る高レベルエリアの山なら、ドロップ素材も経験値も美味い。格上の魔物と戦えば、レイアとミナのレベルもさらに引き上げられる。おまけに依頼をこなせば伯爵家との強力なパイプもできる。採取クエストとしては破格すぎるリターンだ)
だが、と浩之は剥ぎ取った羊皮紙を見つめながら、心の隅で小さく首を傾げた。
(……しかし、本当に知らないクエストばかりだな。俺が知っているゲームの情報は、この世界の一部でしかないのかもしれない)
自分が入り込んだことで世界が変質しているのか、あるいは原作ゲームの裏側に存在していた『生きた世界の現実』なのか。
どちらにせよ、手探りで攻略するしかないことに変わりはない。
「決まりだな。受付へ行くぞ」
「ヒ、師匠、ワイバーンって飛竜ですよ!? 空を飛ぶ恐ろしいモンスターですよ!?」
「空を飛ぼうが地を這おうが、HPがあるなら削り切れば倒せる。行くぞ」
有無を言わさぬ浩之の態度に、不安がる二人も渋々ついていくしかない。浩之は受付で手早く依頼の手続きを済ませ、すぐさま街を出発した。
◇
商業都市バレルを北西へ抜け、なだらかな平原を進むこと数時間。
三人の目の前には、その名の通り、巨大な竜の爪が天を突くように鋭く切り立った岩山――竜爪山がそびえ立っていた。
緑の木々は山麓に少し生えているだけで、中腹から上は赤茶けた荒々しい岩肌がむき出しになっている、見るからに過酷な地勢だ。
「はぁ……はぁ……師匠、道が険しすぎます……」
「まだ入り口だぞ。息を整えろ」
大小の岩がゴロゴロと転がる獣道を、レイアとミナは額に汗を浮かべながら登っていく。新しい防具のおかげで動きやすいとはいえ、慣れない山登りは体力を激しく削っていく。
一方の浩之は、異常なステータス補正のおかげで、息一つ乱すことなく淡々と岩場を歩いていた。
「ピピ、周囲の索敵を頼む」
『ピッ!』
浩之の肩に乗っていた青い鳥型メカ、ドットバードのピピが、短く電子音を鳴らして上空へと飛び立った。
ピピの高性能な光学レンズが周囲の高低差のある地形をスキャンし、浩之たちの視界に青白いホログラムの立体マップと簡易アナライズを投影する。
[対象捕捉:山岳ゴブリン 個体数:4]
[危険度:低 / 推定戦闘時間:18秒]
「前方に伏兵だ。山岳ゴブリンが四体、岩の陰に隠れている」
浩之が立ち止まり、背後の二人に短く指示を出す。
「レイア、右から回り込め。ミナ、俺の背後で待機。敵が動いたらターゲット固定だ」
「はいっ!」
「分かりました!」
岩陰から飛び出してきた山岳ゴブリンたちは、平地にいる個体よりも一回り大きく、分厚い毛皮に覆われていた。彼らが手にした石斧を振りかざし、獰猛な鳴き声を上げて浩之たちに向かって襲いかかってくる。
「ミナ!」
「【ターゲット・エディト】!」
ミナの杖の先から放たれた光が、浩之をすっぽりと包み込む。
瞬時にゴブリンたちのヘイト(敵意)が浩之一人に強制固定された。彼らは真横に回り込んだレイアの存在を完全に無視し、血走った目で浩之だけを見据えて殺到する。
「予定通りだ」
ミナが敵の意識を浩之へ縛り付け、レイアが安全な位置から死角を狙って短時間で斬り込む。三人の完璧な連携の前に、山岳ゴブリンは反撃の機会すら掴めず、瞬く間に光の粒子となって消滅した。
「ふぅ……完璧ですね、師匠!」
「ああ。ミナのヘイト固定が機能している限り、お前はノーリスクで最大火力を叩き込める。これが俺たちの陣形だ」
レイアが剣を鞘に収め、ミナがホッと安堵の息を吐く。
三人はピピの索敵情報を頼りに、無駄な戦闘を避けつつ、避けられない敵は確実な連携で屠りながら、着実に竜爪山の標高を上げていった。
◇
竜爪山の中腹を過ぎたあたりから、周囲の空気が露骨に変わり始めた。
下層に生い茂っていたわずかな木々は完全に姿を消し、乾燥した赤茶けた岩肌だけがどこまでも続いている。吹き下ろす風は冷たく、それでいて硫黄のようなツンとした匂いと、獣の生臭い匂いが混じって鼻を突いた。
「なんだか、嫌な匂いがします……」
レイアが鼻をつまみ、眉をひそめる。
「大型の竜種の縄張りに近づいている証拠だ。飛竜の排泄物や、獲物を仕留めた残骸の匂いだな」
浩之の言葉に、二人はゴクリと息を呑んだ。
『ピピッ! ピピピッ!』
上空を旋回していたピピが、急に激しい電子音を鳴らして浩之の元へ舞い戻ってきた。
ピピが空中に照射したホログラムマップには、これまでとは違う巨大な赤色の光点が点滅し、その周囲にいくつもの小さな光点が群がっているのが映し出されている。
「……大型の反応と、その周りに小さな反応が多数か。なるほど、巣だな」
浩之はホログラムの表示をじっと見つめ、静かに目を細めた。
「巣って、ワイバーンのですか?」
レイアが不安そうに身を寄せる。
「ああ。ただの縄張りじゃない。小さな反応があるってことは、恐らく卵か、孵化したばかりの雛がいるんだろう」
浩之は腕を組み、考察を深める。
(ワイバーンがこの山を縄張りにしていることは知っていたが、ただうろついているだけじゃない。卵を守るために巣を作っているなら、話は根本的に変わってくる)
ゲームの世界において、「巣を守る親」というのは非常に厄介なステータス補正がかかることが多い。いわゆる『防衛本能』による凶暴化だ。
単なる縄張り争いや食事目的であれば、ある程度のダメージを与えれば逃走することもある。しかし、背後に守るべき我が子がいるとなれば、親は死を厭わずに徹底抗戦してくる。
「ヒロユキさん、どうしますか……? 卵を守ってるお母さんドラゴンを倒すなんて……」
ミナが杖を握りしめ、顔を曇らせる。
「同情している暇はない。俺たちは依頼を受けてここに来た。あの花を持ち帰らなければ、原因不明の病で寝たきりの伯爵令嬢を救うことはできないんだ」
浩之は冷徹に言い放つ。
「それに、相手は俺たちに事情を説明する余地なんて与えてくれない。ワイバーンはただの獣だ。俺たちをエサか、あるいは巣を脅かす外敵としか認識していない。巣に近づけば、問答無用で殺しにくる。やるかやられるかだ」
「……はい」
二人は覚悟を決めたように、強く頷いた。
「行くぞ。ここから先は敵のテリトリーのど真ん中だ。音を立てるなよ」
三人は岩肌に身を隠しながら、慎重に崖の上へと足を進めていった。
◇
険しい崖を登りきり、すり鉢状になった岩棚の端にたどり着いた。
そこは、周囲を切り立った岩壁に囲まれた、天然の要塞のような場所だった。吹き荒れる風も、ここだけは岩壁に遮られて穏やかだ。
岩棚の最奥、最も日当たりの良い岩の裂け目に、それはあった。
「あ……あれです! 師匠!」
レイアが声を潜めながら指を差す。
乾いた岩肌から、まるで血のように赤く、ガラス細工のように透き通った花弁を持つ植物が、凛とした姿で咲き誇っていた。
周囲の荒涼とした景色とは明らかに異質な、強い生命力のオーラを放っている。
「あれが『竜血花』……」
浩之は目を細め、その花を観察した。
だが、その花のすぐ背後には、浩之の予想通り、太い枯れ木や獣の骨で頑丈に組まれた巨大な「巣」があった。
巣の中には、大人の背丈ほどもある赤褐色の卵が三つ、身を寄せ合うように置かれている。
「卵……」
ミナが息を呑む。
「花を採取するだけなら、数秒で終わる。だが……」
浩之が周囲の空気を探るように視線を巡らせた、その時だった。
『ピピーーーッ! ピピピーーーッ!!』
上空を警戒していたピピが、これまでで最も甲高く、けたたましい警告音を鳴らし響かせた。
照射されたホログラムマップの画面全体が、激しい赤色の警告表示で埋め尽くされる。
[対象解析開始]
[名称:ワイバーン]
[種族:飛竜 / 危険度:A級]
[推定戦闘時間:45秒]
[弱点候補:翼膜・腹部]
[警告:強力な飛行能力および爪攻撃を感知]
「上だ!!」
浩之の叫びと同時だった。
頭上の厚い雲が、凄まじい突風とともに引き裂かれた。
ゴォォォォォォォォッ!!
まるで落雷のような轟音を立てて、巨大な影が崖の上へと舞い降りた。
巻き起こった強烈な風圧に、レイアとミナが悲鳴を上げて岩にしがみつく。浩之も腕で顔を覆い、飛んでくる小石を防いだ。
土煙が晴れた後、岩棚の中央に降り立った『それ』は、生体の魔物として十分すぎるほどの威圧感を放っていた。
全長は八メートルほど。
機械都市で対峙した巨大要塞メカほどではないにせよ、鋼のように硬く赤黒い鱗に覆われた生身の肉体は、野生の捕食者としての生々しい威容に満ちている。
背中からはコウモリのような皮膜の翼が大きく広がり、太く逞しい後脚の鉤爪が岩盤を鋭く削っていた。長い首の先にある頭部が、浩之たちをギョロリと睨み下ろしている。
空の覇者、飛竜ワイバーン。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
ワイバーンが天に向かって咆哮を上げる。
ただの雄叫びではない。それは、自分の巣と卵を脅かす侵入者に対する、絶対的な怒りと殺意の表明だった。
咆哮の衝撃波だけで空気が震え、レイアとミナは恐怖で体が硬直する。
「これが……ワイバーン……!」
レイアが震える手で鉄の剣を抜くが、その切っ先は小刻みに揺れていた。
「ひっ……ああ……っ」
ミナは腰を抜かしそうになりながらも、必死に杖を両手で握りしめている。
だが、絶望に身をすくませる二人とは対照的に、浩之は顔色一つ変えずにワイバーンの巨体を見据えていた。
その瞳に恐怖はない。あるのは、目の前の敵をどう攻略するかという、いつもの冷静な分析だけだった。
(単独なら何の問題もない。……問題は、この二人にどこまで経験を積ませながら安全に勝つかだ)
浩之は静かに息を吐き、腰を落として半身の構えを取った。武器を持たない素手の構え。
「ビビってる暇はないぞ、二人とも」
浩之の低く、よく通る声が、レイアとミナの鼓膜を叩く。その冷静な声色に、二人のパニックがわずかに引き戻される。
「相手がデカかろうが空を飛ぼうが、やることは同じだ」
浩之はワイバーンから目を離さず、背後の二人に指示を飛ばす。
「ミナ、俺へ固定。大型相手でも基本は変わらない」
「は、はいっ……!」
ミナが涙目になりながらも、強く頷いて杖を浩之へと向けた。
「レイア、奴が俺に攻撃を仕掛けた瞬間、隙を突いて羽を狙うぞ。機動力を削ぐのが最優先だ」
「了解です、師匠……!」
レイアが剣を構え直し、震えを無理やりねじ伏せる。
浩之の口の端が、不敵な笑みの形にわずかに吊り上がる。
それに応えるかのように、ワイバーンが巨大な翼を一度だけ激しく打ち鳴らした。
「来るぞ!」
飛竜の巨体が弾丸のような速度で一直線に迫る。
だが浩之にとって、それは恐怖の瞬間ではない。
攻略開始の合図だった――。




