第3話:反撃
草むらの陰から戦況を見守っていた浩之の目の前で、ついに決定的な瞬間が訪れた。
「うおっ……!」
深紅の男が敵の猛攻を躱しきれず、激しく地面に叩きつけられる。
もう一人の深緑の男も、背後から迫る複数の棘だらけの甲虫のようなモンスターに押し潰されそうになり、もはや一歩も動けない。
頭上からは飛行型のモンスターが、不気味な爆弾を致命的な角度で構えながら急降下してきていた。
完全な袋の鼠。万事休す、だった。
(……クソっ!)
理不尽な現実から、このゲーム世界に流れ着いた男が、ここで見知らぬ誰かが為す術もなく潰されるのを見捨てる。
それが一番効率的で安全な選択なのかもしれない。
だが、脳裏にこびりついて離れないのは、あの満員電車でうつむく会社員たちの顔と、佐伯課長の冷ややかな嘲笑だった。
あんな退屈で理不尽な日常に戻るために、ここまで這い上がってきたわけじゃない。
浩之は腰を落とし、まずは両手の平に熱い閃光を集中させた。
「――見て見ぬふりは、柄にもねえんだよ!」
草むらを蹴散らし、浩之は圧倒的な身体能力で一気に戦場の中央へと躍り出た。
迫り来るモンスターの群れに向けて真っ直ぐに両手を突き出す。
「助けにきたぞ――!!」
轟音と共に、指先からバスケットボール大の禍々しい赤い火球が次々と放たれた。
連射された灼熱の塊は、地面を激しくバウンドしながらモンスターの群れへ直撃する。
ドカアアアアッ!!
凄まじい爆発と熱風が吹き荒れ、深紅の男と深緑の男を囲んでいた木の実型モンスターや飛行型モンスターたちが次々と黒煙に包まれ、悲鳴を上げる間もなく消え去っていった。
「なっ……!?」
突然の乱入者と、常軌を逸した火力の猛撃に、地面に倒れ込んでいた深紅の男が目を見開いて声を漏らした。
敵の包囲網が一瞬にしてぽっかりと穴を開けられたのを見逃さず、浩之は左右のポケットに手を突っ込み、ぎっしりと詰め込んでおいた予備のパワーアップドリンクの小瓶を掴み出した。
「おい、これを使ってくれ……! ここから反撃だ!」
浩之は力いっぱい、深紅の男と深緑の男へ向かって小瓶を投げつけた。
放り投げられた小瓶は、空中で鮮やかな光の粒子を放ちながら、二人の足元へと正確に転がり落ちる。
彼らはすぐさま栓を開けて一気に飲み干した。二人の全身をまばゆい光が包み込み、ボロボロだった彼らの肉体から疲労の色が一気に拭い去られていく。
底知れないエネルギーが再び彼らの体にみなぎったのが、離れた位置にいる浩之にもハッキリと伝わってきた。
深紅の男がガバッと跳ね起き、相棒の深緑の男と共に力強く立ち上がる。
その瞳には、かつてないほどの闘志の炎が宿っていた。
「よし……! 反撃のターンだ!」
パワーを取り戻した二人は、まさに水を得た魚のようだった。
深紅の男が驚異的な跳躍力で空を舞い、次々と敵の頭上を踏み潰していく。
深緑の男も的確なフットワークで死角をカバーし、逃げ惑うモンスターたちを追い詰めていく。
そこに浩之の放つ火球の援護射撃が容赦なく浴びせられ、あれほど猛威を振るっていた大軍勢は、わずか数分足らずで跡形もなく殲滅された。
あたりに立ち込める黒煙がサーッと晴れていく。
静けさを取り戻した平原の中心で、深紅の男と深緑の男は荒い息を整えながら、こちらに歩いてきた。
「いやあ、助かったぞ! まじであぶねえところだったぜ」
深紅の男が豪快に笑いながら、クイッと頭巾を直す。その隣で深緑の男も深く頷き、相好を崩した。
二人は向き直ると、真っ直ぐに浩之を見据えた。
「俺はレット。こいつはクリンだ。アンタ、すげえ火球だったな! なんて呼べばいい?」
「……ヒロユキだ。よろしく頼む」
差し出されたレットの手を力強く握り返しながら、浩之は短く名乗った。
この先、どこまで行けるかすら分からない道のりだ。
だが、一人で手探りで進むのとはわけが違う。頼もしい仲間ができた。
「どこまで行けるかわからんが……これから3人で進むぞ」
浩之の言葉に、レットとクリンは頼もしく笑って頷いた。
地上を離れた3人は、ひんやりとした湿気が漂う地下道へと足を踏み入れた。
水滴が天井からポタポタと落ちる音が反響し、薄暗いレンガ造りの通路がどこまでも続いている。
「気をつけろよ、この先はイヤな仕掛けが多いんだ」
先頭を行くレットが声を張り上げた、その瞬間だった。
暗い通路の奥から、無数の不気味な赤い目が虚空に浮かびながらこちらへ漂ってきた。
暗闇のなかに揺らめく、影のような不定形のモンスターの群れだ。
しかも、浩之たちの持つ火球の光を浴びている間はその場でぴたりと竦んで動きを止めるが、少しでも光が届かなくなると、恐ろしい速度でジリジリと間合いを詰めてくる。
「くっ、厄介な奴らだな……!」
クリンが背中合わせになるように構えを取り、浩之も警戒して両手に火球の熱を込めた。
光を絶やさぬよう手元の火球を掲げて動きを封じつつ、レットが「俺に任せろ!」と一気に踏み込み、跳躍で次々と奴らを蹴散らしていく。
得体の知れない怪物を退けながらさらに進むと、今度は足元がぽっかりと途切れた大穴ゾーンに差し掛かった。
下を覗き込むと、底の見えない暗闇のなかから、規則正しいリズムで猛烈な勢いの水柱が何本も吹き上がっている。
タイミングを見誤れば、ひとたまりもなく深淵へ叩き落される仕掛けだ。
「おい、足場が動くぞ!」
クリンが叫ぶ。天井から吊るされたリフトのような足場が、プカプカと上下に揺れながら浮いていた。
3人はタイミングを合わせ、連続してジャンプで跳び移っていく。
足場がガタガタと大きく揺れ、足元を冷たい水飛沫がかすめるスリリングな空中機動。浩之は心臓を高鳴らせながらも、鍛えられた身体能力でしっかりと食らいつき、見事に反対側の通路へと着地した。
トラップと敵の猛攻をくぐり抜け、さらに地下道の奥深くへ進んでいく。
壁の隙間から不気味なトゲ付きの鉄球が振り子のように左右へスイングしている難所をすり抜けたとき、浩之はふと足を止め、頭上の低い天井の一角を見上げて目を細めた。
「おい、ちょっと待ってくれ……」
「ん? どうしたヒロユキ」
レットが振り返る。浩之には分かっていた。ゲームの記憶と、この世界を貫く奇妙な理屈が、脳裏でピタリと一致したのだ。
「あの天井の向こうに行ける気がするんだ……あそこは、ただの天井じゃない」
浩之は地面を強く踏みしめ、全身のバネを極限まで絞り込むと、頭上の暗い天井に向かって大ジャンプを放った。
ドンッ! と肉体が硬質な壁を突き抜ける感触があった。
次の瞬間、視界の景色がぐにゃりと歪み、周囲を包んでいた地下道の暗闇がまばゆい光の粒子へと溶けていく。
「――ワープゲートだ……!」
空間の裂け目を抜けた先。そこには、これまでの薄暗い地下道とは全く異なる、新しい世界の気配が広がっていた。
夕陽に染まる荒野の風が、少し肌寒く吹き抜けた。
「なあヒロユキ。あんた、なんでこの世界のことをそんなに知ってるんだ?」
レットが何気なく振り返り、頭巾の位置を直しながら首を傾げた。
悪意のない、ただの素朴な疑問だった。
浩之は足を踏み出しかけたその場でぴたりと動きを止めた。
荒野の乾いた風が、深紅と深緑の胴着の裾を揺らしていく。
――お前たちは、俺が遊んでいたゲームの登場人物だ。
喉元まで出かかった説明を、浩之は寸前で飲み込んだ。
彼らはここで生きている。血が流れ、痛みを感じ、仲間を失う恐怖を抱えながら、懸命に理不尽な現実と戦っている。
その連中に、お前たちの世界はコントローラーの向こう側にあると告げたところで、何が変わるわけでもない。信じてきたもの全部を否定して、絶望を配って歩くだけだ。
「……前に似たような場所を通ったことがあるだけだ」
浩之は短くそう答え、再び歩き出した。
背後で「ふうん」とレットが気の抜けた声を出し、それ以上は追及してこなかった。
歩きながら、浩之は無言でズボンのポケットに指を差し入れた。
指先が触れるのは、硬質な感触と確かな体積を持った予備のパワーアップドリンクの小瓶だ。
先ほど地下道の隠しルーン石から引きずり出し、何気なく詰め込んだストック。
この世界の住人であるレットやクリンには「予備を隠し持つ」という発想自体が欠落している。
目の前に現れたアイテムをその場で消費し、決められたルールの中で戦う。それがこの世界の作法だからだ。
(……だが、俺のポケットにはこれが残っている)
彼らがどういう理で動いている存在であろうと、目の前で共に血を流し、背中を預けて戦う仲間である事実に変わりはない。
語る必要はない。ただ、いざという時に手札を隠し持っていること。ルールの外から戦局に手を入れられること。それが、この世界に迷い込んだ余所者に唯一許された優位性だ。
浩之はポケットから手を抜き、ちらりと隣を歩くレットに視線を向けた。
レットは何も知らず、ただ前方の水晶の柱を見据えながら呑気に鼻歌を歌っている。
(いざという時、こいつらに黙ってこの小瓶を叩き込んでやるのが、俺の役割か)
浩之は心の中でそう結論づけ、ポケットの小瓶をしっかりと握りしめると、再び前を向いた。
「行くぞ。余計な話をしている暇はない」
背後でレットが「なんだよ急に気取りやがって」と苦笑する気配がしたが、それに振り返ることもせず、浩之は目の前に広がる水晶の柱と新たな敵の配置だけに意識を集中させるのだった。




