第29話:鏡箱と同士討ち
ゴブリンの巣を攻略した翌朝。商業都市バレルの宿屋の一室で、浩之は身支度を整えながら、実験器具を扱うような無駄のない手つきで小箱を机へ置いた。
隠しダンジョン『鏡の迷宮』の最深部から回収してきた『封魔の鏡箱』だ。
「師匠、それ……迷宮で見つけた魔道具ですか?」
身支度を整えていたレイアが身を乗り出し、興味津々に覗き込む。隣にいたミナも、大きな瞳をパチパチさせて小箱を見つめていた。
「ああ。『魔法を一つだけ封印し、任意のタイミングで無詠唱・ノーコストで解放できる』という代物だ。今日は街を出る前に、こいつの仕様確認をしておく」
「どんな魔法でも入れられるんですか?」
ミナの問いに浩之は「試してみれば分かる」と短く返し、レイアに向き直った。
「レイア、お前の《ピュアフレア》を撃ってみろ」
「はいっ! ええと……《ピュアフレア》!」
レイアが小箱へ向けて手をかざすと、溢れ出た光の熱量が吸い込まれるように箱の中へと収束し、カチリと心地よい鍵の閉まる音が響いた。小箱の表面に彫られたルーン文字が、かすかに赤く発光する。
「よし、入ったな。レイア、そこからもう一発撃ってみろ」
「え? さっき使いましたよ?」
「いいから撃て。同じ魔法で重複保存できるかを確認する」
「は、はい! 《ピュアフレア》!」
再び熱量が小箱に叩きつけられたが――カチリとも言わず、熱光は箱の表面で虚しく霧散した。ルーン文字の発光に変化はない。
[システムエラー:封印上限です]
「なるほど、同種魔法のスタックは不可か。……レイア、じゃあ今度は別の魔法、《ピュアライト》を流し込んでみろ。上書きできるかの検証だ」
「わかりました! 《ピュアライト》!」
柔らかい光が小箱を包み込むが、やはり弾かれて消えた。
[システムエラー:封印済みです]
「よし。一枠埋まっている間は、同種追加も異種上書きも受け付けない完全固定の仕様だな。……ミナ、側面のボタンを押して一回解除してみろ」
「えっ、私がですか……? えいっ!」
ミナが恐る恐る小さなボタンを押し込んだ、その瞬間。
シュパァァァンッ!!
箱の先端から、眩い光の刃が解き放たれ、部屋の仕切り板を派手に掠めて空中に消え去った。
「キャッ!?」
「すごいですっ!!」
ミナが思わず跳ね上がり、両手を叩いて目を輝かせた。
「ヒロユキさん! 私、攻撃魔法を使えなくてずっと悔しかったんです……! でも事前にこうやって箱に詰めておけば、私でもボタン一つで攻撃に参加できます! 私が《ピュアフレア》を撃って、敵を倒せます!」
自分も攻撃で役に立てるかもしれない、と嬉しそうに頬を緩ませるミナ。その意欲を優しく受け止めつつも、浩之は落ち着いた声で首を横に振った。
「気持ちは分かるが、その使い方は不採用だ」
「えっ……!?」
「あらかじめ充填しておく発想自体は良い。だが、一回使ったら箱は空になる。実戦の最中に『レイア、もう一回詰めてくれ!』なんて頼む余裕がどこにある? 激しい戦闘中にわざわざ詰め直す時間や手数なんてないんだ」
「うぐっ……! た、確かに……! 戦闘中に詰め直すのは無理です……!」
がっくりと肩を落とすミナの頭へ、浩之はぽんと軽く手を置いた。
「がっかりするな。お前の『役に立ちたい』って姿勢は上等だ。ただ、事前に仕込める一発限りのカードなら、もっと効果的な使い道がある」
「効果的な使い道……ですか?」
「そうだ。前衛が麻痺したり、手番や詠唱の余裕すらない致命的な一撃を受けた時のための『ノータイム発動の緊急パニックボタン』として持ち歩くんだ。……命を拾うための大事な保険を、ただの一発の小攻撃で使い切るのは勿体ないだろ?」
「むぅ……相変わらずすっごく合理的なおじさんですね……」
呆れるレイアの前で、浩之は空になった小箱へ向けて自分の手をかざし、中級回復魔法を打ち込んだ。カチリと音が鳴り、今度はすんなりと吸い込まれて温かな青い光を宿す。
「よし、空枠への再充填は成功だ」
浩之は完成した小箱を、そのままミナの手元へと差し出した。
「えっ……ヒロユキさん? 私に……ですか?」
「そうだ。回復役は最後まで生き残る奴が持つ。俺が倒れた時に、俺自身がこれを使うことはできない。最後尾にいるお前が持つのが一番合理的だ」
浩之の戦術的な気遣いと徹底した役割意識を理解し、ミナは手渡された小箱をぎゅっと胸元で抱きしめた。
「はい……! 大事な救急箱、私が責任を持って預かります!」
こうして『封魔の鏡箱』の検証は完了し、ミナの鞄へと大切に仕舞われたのだった。
◇
商業都市バレルの宿屋を出た三人は、街道へ向かう前に道具屋へ立ち寄った。
「師匠、補給していきますか?」
「そうだな。ポーションの残数も確認しておくか」
木製の扉を押し開けると、道具屋の店主が陽気に手を振った。
「おう、いらっしゃい! 冒険者さん方、今日は何を買うんだい?」
浩之は棚のポーションを手に取りながら、必要数を確認する。
「ポーションを三本。あと、解毒薬を二つ」
「まいど!」
レイアとミナもそれぞれ必要な薬を選びながら、ふと棚の端に置かれた妙なアイテムに目を留めた。
「……ヒロユキさん。これ、なんですか?」
ミナが指差したのは、場違いなほどポップなラベルが貼られた小瓶。
《毛生え薬 10G
効果:どこかに毛が生える(かけた部位)》
「えっ……これ、誰が買うんですか……?」
レイアの問いに、店主はニヤニヤしながら身を乗り出してきた。
「頭とは限らないから気を付けろよ」
「え?」
「腕にかければ腕毛。手のひらにかければ手のひら毛だ。以前、鼻の下に塗って立派なヒゲを生やしたオッサンがいたなぁ」
「えぇ……嫌すぎる……」
ドン引きする女子二人をよそに、浩之は小瓶を手に取ってじっと見つめた。その様子を見た二人が、気遣わしげな視線を交わす。
「師匠……まだ大丈夫ですよ?」
「そうですよ! あと十年くらいは大丈夫ですよ!」
「……十年後はアウト扱いか」
思わず額へ手をやり、頭部を気にする浩之。彼は気を取り直すように小さく咳払いをして、そのまま小瓶をカゴに入れた。さらに隣の棚にあった変な商品にも目を滑らせていく。
《イケボ飴 5G
効果:30分だけ声がイケボになる》
「店主、これは?」
「ああ、それかい? 人間だけじゃなく、犬でもイケボになるぞ。『バウ』って渋い低音で鳴くんだ」
《モテモテ香水 8G
効果:周囲の好感度が微妙に上がる(個人差あり)》
「こっちは?」
「魔物にもモテる。先週買いにきた奴は、野良オークに愛の告白をされて逃げ帰ってきたな」
「いらないですっ!!」
レイアとミナがハモって叫んだ。しかし浩之は一切ブレず、最後に置かれたシールをつまみ上げる。
《疲労ゼロシール 20G
効果:貼っている間だけ疲労が消える
※剥がすと一気に来る》
「徹夜明けには最高だぞ」
店主が親指を立てると、浩之は短く呟いた。
「あとで死ぬタイプか」
「で、全部買うのかい冒険者さん?」
「買うぞ。俺の地元じゃこんな珍しいもの売ってないからな。珍しくて面白い」
「そんな理由ですか!?」
浩之はポーションと大量のギャグアイテムを袋にまとめ、淡々と代金を支払った。
「よし、行くぞ。……ミナ、街道に出たらお前の魔法のもう一つの実験をする」
「は、はいっ!」
こうして、誰も買わないギャグアイテムをインベントリにしまい、三人は平原へと向かった。
◇
バレル近郊の平原へと到着した三人だったが、見渡す限りの草むらには魔物の姿が見当たらなかった。
「うーん、スライムすら居ないですね……」
レイアが日差しを手で遮りながら呟く。すると、彼女の肩の上でドットバード――ピピの関節部が『ジジッ』と小さな駆動音を立てた。
「ピピ、索敵だ。近くのスライムを探せ」
『ピッ』
レイアの肩から翼を広げたピピは、金属翼を細かく羽ばたかせて勢いよく上空へと飛び立った。高度を上げて平原を見下ろし、数十秒ほどで南側の低木林を光学レンズでキャッチする。
[対象捕捉]
[個体数:3]
[平均Lv:1]
[戦闘推定時間:12秒]
「ナイスだ、ピピ」
浩之の元へ舞い戻ってきたピピの金属頭部をポンポンと叩いてやると、ピピッと満足そうに電子音を鳴らし、再びレイアの肩の上へと着地してカメラレンズを明滅させた。
「えへへ、ピピすごいね!」
ピピが褒められて、レイアもどこか誇らしげに胸を張る。
低木林へ向かうと、木陰でぽよぽよと蠢く三体のスライムが見えてきた。
「さて、ミナ。実験だ」
浩之は三体のスライムを指さした。
「今までは『味方タンク(俺)』に魔法をかけて、敵の攻撃を引きつけさせていたな。味方には抵抗判定がないから成功率は100%だ。だが、この魔法は本来『敵に直接かけるデバフ魔法』として作られている」
「敵に直接……!? でも、それじゃレジストされちゃいます……!」
「オークや人間みたいな高レベル・高知性の敵ならレジストされる。だが、脳みそのない低級モンスターならどうだ? 今のお前のレベル(Lv4)なら、抵抗を突破できるはずだ。あの先頭のスライムに向かって、隣のスライムをターゲットに指定して撃ってみろ」
「私……やってみます! 【ターゲット・エディト】!」
ミナが杖を突き出し、先頭のAスライムへ光を放つ。
光は弾かれることなく、半透明な体躯へとスッと吸い込まれていった。
[発動成功:ターゲットをA個体へ固定]
「あ……! はいった……!?」
しかし、光を浴びたAスライムは、その場でぽよん、ぽよんと揺れているだけだ。変化がない。
「え……? 失敗……ですか……?」
ミナが不安そうに肩をすぼめた、次の瞬間。
隣にいたBスライムとCスライムが不意にクルリと向きを変え、中央のAスライムに向かって「ポカッ!」とノーモーションで強烈な体当たりをぶちかました。
「グニュ!?」
突然味方から袋叩きにされたAスライムは「なにごと!?」と言わんばかりに大パニックに陥り、必死にガードを固めて逃げ惑う。だが、BとCは浩之たちを完全に無視し、目の敵のようにAスライムだけを追いまわし、ポカポカと叩きのめし始めた。
「ええぇぇぇっ!? な、なんで急に味方同士で攻撃し合ってるんですかーっ!?」
レイアが目を丸くして絶叫する。その光景を観察していた浩之が、満足そうに顎を撫でた。
「……なるほど。ヘイトを集める標的に指定できるのは『直接かけた1体のみ』か。だが、だからこそ使い勝手が良い」
強制的にターゲット指定された1体は、周囲の敵全員から「最優先で倒すべき敵」として認識され、袋叩きにされる。
「敵の集団の中にいる『一番頑丈な奴』や『厄介な指揮官』をターゲットに指定すれば、敵同士で潰し合わせることができる。……敵の陣形を内部から崩壊させる、極めてピーキーで強力なデバフ戦術の完成だ」
そこへ浩之は腰のナイフをサッと抜き放つと、BとCに殴られて逃げ惑うAスライムの核へ正確に突き立てた。
シュウゥゥ……と煙を上げてAスライムが消滅する。
すると、直前まで猛烈に攻撃していたBスライムとCスライムがピタリと動きを止め、「……?」と困惑するようにその場でぽよぽよと揺れ始めた。
「……解除条件も確認できたな」
浩之がナイフを鞘に戻す。
「標的が死亡すればヘイト固定は強制解除される。放置して永遠に同士討ちさせることはできないが、手隙を作る時間稼ぎとしては十分すぎる性能だ」
「味方には鉄壁の防御を、敵には同士討ちを誘発する。……ミナ、お前の魔法は完全に戦術級スキルだ」
「私……私、敵のターゲットまで操れるようになったんだ……!」
ミナは感動のあまり、自分の手をじっと見つめた。
かつて「使えない欠陥魔法」と蔑まれ、居場所を奪われ続けた少女。
だが、今のミナはもう、追放に怯える無力なお荷物ではない。
味方を絶対の盾に変え、時には敵の意図すらピンポイントで狂わせる。
戦場そのもののルールを書き換えてしまう、このパーティに不可欠な戦術の中心だった。




