第28話:本来のパーティ
(――終わった)
血と脂にまみれて地べたに這いつくばる剣士の男は、視界を埋め尽くす緑色の群れを前に、ただ呆然と震えていた。
三十。いや、広間の奥闇から次々と這い出してくる数を数えるだけの余裕は、もう誰にも残っていなかった。
前衛一人が受け止められる魔物の数は、せいぜい二体か三体。それ以上は数の暴力に押し潰される。
なのに、目の前に立つ男は剣も持たず、防具すら着けていない。四方から迫る爪と鉈。あれを受ければ、一瞬で肉塊になる。
なのに――男は逃げなかった。一歩も引かず、冷徹な瞳で迫り来る殺意の群れを見据えている。
(敵数、三十二。全個体ターゲット固定完了)
三十二頭の魔物から放たれる刺すような殺意と視線が、余さず浩之の胸元へと収束していた。
「ミナ、魔法の維持だけに集中しろ。余計なことは考えるな」
「はいっ……!」
「来ます、師匠!」
「慌てるな。この位置関係なら、俺の打撃可能領域に侵入できるのは一度に三体までだ」
浩之は腰を落とし、半身の構えを取る。
ドッ! と殺到した先頭の三体が、爪と鉈を振り下ろした。
避けない。掌底で先頭の顎を突き上げ、体勢を崩したそいつの胴体を横の二体へぶつける。
ガンッ! ガチィンッ!
敵同士が激突し、通路の入り口で足止めを食らう。倒すことが目的ではない。止めることが目的だ。
「レイア、右三体」
「了解っ!」
レイアの身体が風のように踏み込んだ。
普段なら、数を見るだけで剣先が鈍る。だが今は違う。目の前の魔物たちは、真横から斬りかかられていようと、脇目も振らず浩之だけに凶器を振り下ろしている。
(師匠が全部止めてくれてる。だったら、迷う理由なんて何もない)
ズバァッ! ズドンッ!
一瞬で二体が光の粒子に変わる。
三歩後ろで杖を構え続けるミナの胸の奥で、熱いものが跳ねていた。
――お前の魔法は的に当たらない。
――役立たずのお荷物め。
七つのパーティで浴びせられてきた言葉が、今、この瞬間だけは何の実感も持たない過去になっていた。
浩之は自分の命を、ミナの魔法一つに完全に預けている。もしミナが集中を切らせば、三十体の殺意が一気に浩之へなだれ込む。
その事実が、今のミナには恐怖ではなく、誇りに変わっていた。
ズバァッ! ズドンッ! ガンッ!
洗練された作業のように、群れが着実に減っていく。
――だが。
「ギ……ギィィアアアッ!」
一際低い咆哮が響いた。他のゴブリンより頭一つ大きい、筋張った赤黒い個体が、群れの中央から姿を現す。
浩之に向けられていた濃密な殺意のうち、その一体の視線だけがわずかに逸れかけた。
(――こいつだけ、ターゲットが不安定だ)
浩之は瞬時に判断した。
(――エリート個体。通常個体より格上。……レベル差は三か四か)
「ミナ、あの大きい奴、様子がおかしい」
「え、あ……はい、なんか、いつもより魔力を持ってかれる感じが……!」
ミナの声に焦りが滲む。杖を握る手に汗が滲んでいた。
(レベル差、あるいは種族特性か。完全にレジストはしていない。だが安定度が七割程度まで落ちてる……)
大柄なゴブリンが、他の個体を押しのけて浩之ではなくレイアへ視線を向けかけた。ほんの一瞬。だが確実に、狙いが揺れた。
「レイア、下がれ!」
浩之の声と同時に、大柄なゴブリンが振り上げた鉈がレイアの肩口へ迫る。
ギィンッ!
滑り込んだ浩之の掌底が、鉈の側面を強打して軌道を力任せにねじ曲げた。重い打撃音が洞窟内に響くが、浩之の腕には傷一つ残っていない。
「し、師匠……!」
「問題ない。……ミナ、集中を切らすな。魔力をもう一段階、そいつ一体に多く流し込め」
「は、はいっ……!」
ミナは杖を強く握り直し、意識をその一体だけに絞り込んだ。
(――お願い、もう一回だけ……!)
逸れかけていた凶暴な視線が、引き戻されるように再び浩之の胸元へと突き刺さる。
大柄なゴブリンの動きが、一拍だけ止まった。
その一拍を浩之は見逃さなかった。
(――今)
踏み込みざま、掌底が顎を捉える。骨の軋む音と共に、大柄な体躯が崩れ落ちた。
「……ふぅ。危なかったな」
浩之は何でもないことのように言った。ミナが青ざめた顔で駆け寄ろうとする。
「ヒ、ヒロユキさん……!」
「よくやった。特殊個体を最後まで維持しきったのはお前だぞ」
「わ、私……役に立った、んですか……?」
「当たり前だろ。今のがなきゃ、レイアが本気で危なかった」
その一言に、ミナの表情がくしゃりと崩れかけた。だが、涙をこらえるように唇を結び、代わりに小さく頷く。
やがて――最後の一体が光の粒子となって霧散し、広間に静寂が訪れた。
「ふぅ……よし、片付いたな」
浩之が軽く息を整える。三十二体の群れを相手にして、彼の衣服にすら大きな乱れはなかった。
「あ……あ……」
へたり込んだままその光景を見ていた剣士の男は、口を大きく開けたまま絶句していた。
◇
「み、ミナぁっ!!」
正気に戻った剣士の男が、血と泥にまみれた膝で擦り寄るように這い進んできた。
「助かった……! 助かったぞミナ! すごい……すごい魔法じゃないかそれ! お前、こんな力を隠してたのか!?」
「えっ……あ……」
突然の豹変に、ミナは引きつった顔で怯え、一歩身を引く。
隣にいた術士の男もまた、必死の形相で手をつき、取り入るような笑みを浮かべた。
「お前を見誤っていたよ、ミナ! 俺たちが悪かった! 追放なんて撤回だ、撤回! 戻ってきてくれ! 報酬の割り当ても三割やる! お前のその魔法があれば、俺たちはどんな難関ダンジョンだって一気に上り詰められる!」
必死の懇願。だが、そこにミナ自身への謝罪の色は一切ない。彼らが見ているのは、ミナではなく、ミナの魔法だけだった。
(仲間だったなら……どうしてあの時、あんな酷い言葉を言えたんですか)
ミナの胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
「おい。お前ら、都合のいい頭をしてるな」
洞窟の冷気を凝縮したような浩之の声が、上から叩きつけられた。男たちの懇願がピタリと止まる。
「な、なんだよ……! 俺たちはミナの元パーティだぞ!」
「そうだ! ミナが戻ってくれば、俺たちだって無敵になれるんだ!」
「なるわけない」
浩之は間髪入れずに切り捨てた。
「お前たちは根本的な勘違いをしている。『ターゲット・エディト』は敵を弱体化させる魔法じゃない。全攻撃を一人に集中させる魔法だ」
「だから、それが強いんじゃないか!」
「条件がある」
浩之は指を一本立てた。
「一。集中した全攻撃を、一人で耐え切り、前線を維持し続けられる前衛がいること」
二本目。
「二。前衛が百パーセント引き受けると信じ切って、恐怖を捨てて最大火力を出せる後衛がいること」
三本目。
「三。全員が自分の役割を理解して、一秒も遅れずに連携できること。……お前たちに、そのどれか一つでもあったか?」
「っ……それは……!」
「お前が引き受けた瞬間、三十体の攻撃を一秒で受けて終わる。後衛はビビって腰が引けて、まともに魔法も撃てない。数秒で全滅だ。さっき、目の前でそれをやりかけてたのはお前らだろ」
感情ではなく、ただ事実を積み上げただけの声だった。
「ミナを連れ戻したところで、十秒保たない。問題は魔法の性能じゃない。お前らが『役割』を何一つ理解していないことだ」
「く……っ!」
「お前たちは、ミナの魔法だけを見ていた。俺たちは、ミナの役割を見ている」
浩之は二人から視線を外し、ミナへと静かな目を向けた。
「魔法が欠陥だったんじゃない。欠陥だったのは、それを見る側の理解だ」
言い返せる言葉など、どこにもなかった。
男たちは顔を赤くし、やがて敗北感と屈辱に青ざめて震え出した。
「くそっ……だがミナ! 俺たちはずっと一緒にやってきただろ!? なあ、頼むから戻ってきてくれよ!」
プライドも投げ捨て、すがろうとする剣士。
ミナは、かつてその声を聞くだけで身をすくませていた男を、まっすぐに見つめ返した。
「……前の私は」
静まり返った広間に、ミナの澄んだ声が響く。
「私を必要としてくれる場所なら、どこへでも行こうと思っていました。必要とされることだけが、自分の価値だと思っていたから」
「だったら――」
「でも、違いました」
ミナは剣士の言葉を遮り、毅然とした眼差しで言い切った。
「私は、必要だからここにいるんじゃありません。……この人たちと一緒に戦いたいから、ここにいるんです。自分勝手に人を傷つけて、都合が悪くなったら戻れなんて、そんな人のために使う魔法は、私にはありません」
「な……っ」
「だから――絶対に拒否します」
初めて、自分の意思で二人を拒絶した瞬間だった。
それは、自分を見捨てた者たちに向けた、最後にして最初の『意思表示』だった。
「あ……あ……」
男たちは反論の言葉すら失い、ただ絶望的な後悔に顔を歪めて地に伏せた。
「決着はついたな。ミナ、レイア、奥へ行くぞ」
浩之は元パーティの二人にはもう一瞥もくれず、広間の奥へと歩き出した。
「えっ? 敵はもう全部倒しましたよ、ヒロユキさん?」
「まだ終わっていない。最奥のリーダーと、巣の破壊が残ってる。手前の雑魚を倒しただけで帰ったら、ギルドの報酬が減る。……依頼を完璧にやり遂げるまでが仕事だろ」
「はいっ!」
ミナが嬉しそうに頷く。レイアも「よし、サクッと終わらせちゃいましょう!」と剣を軽く叩いた。
地に伏せる二人を残し、三人は迷いのない足取りで広間の奥へと進んでいった。
数分後。最奥の小部屋に潜んでいたゴブリンリーダーと側近三体も、先ほどと全く同じ陣形の前に、大した手応えもなく撃破された。今度はイレギュラーもなく、綺麗な作業で終わった。
巣の奥にあった盗掘品を回収し、洞窟の核を破壊した三人は、すっかり陽の落ちかけた地上へと戻ってきた。
◇
鬱蒼とした森を抜け、街へと続く街道に出ると、涼やかな夕風が三人の頬を撫でた。
「ふぅ……空気が美味しいです……!」
ミナは深呼吸をし、それから少し躊躇うように浩之の横顔を見上げた。
「あの……ヒロユキさん」
「なんだ?」
「私……少しは、強くなれましたか……?」
浩之は歩みを止めることなく、素っ気なく答えた。
「違う」
「え……?」
ミナの表情がにわかに陰る。だが、続いた言葉は思いもよらないものだった。
「最初から、お前の魔法は強かった。それを正しく理解して使おうとする奴が、周りにいなかっただけだ」
「っ……!」
強くなったから認められたんじゃない。最初から、間違っていなかった。
「ちょっと師匠! それ、素直に褒めてあげたらどうなんですか!」
横からレイアが呆れたように突っ込むが、浩之は表情を変えずに「事実を言っただけだ」と返した。
「それにしても、師匠……本当にどこも怪我してないんですね」
レイアが浩之の腕や肩をじろじろと検分するように覗き込む。
「三十体以上に囲まれてかすり傷一つないとか、ほんと頑丈すぎますよ。回復魔法の出番が全然ないじゃないですか」
「無傷で済むならそれに越したことはないだろ」
「まあそうですけど! ミナちゃんも見てくださいね、うちの師匠、攻撃を弾く硬さだけは本当に異常ですから」
呆れつつも誇らしげなレイアと、淡々と歩く浩之を見て、ミナは小さく笑った。
やがて、賑わいを見せる夕暮れの冒険者ギルドへと到着する。
◇
浩之が受付にゴブリンリーダーの討伐証拠と回収品を提出すると、ギルド内が一瞬にして騒然となった。
「あの『ゴブリンの洞窟』を攻略したのか!?」
「三十体以上の群れを、たった三人で……!?」
周囲の視線が集まるが、浩之は雑音に興味すら示さない。受領した報酬をきっちり三等分し、ミナとレイアの手元に渡す。
「よし、今回の依頼は完了だ。ミナ、レイア」
浩之は二人の顔をまっすぐに見据えた。
「次の依頼を探すぞ。俺たちの陣形が活きるやつをな」
「はいっ! ヒロユキさん!」
もう、誰かに必要とされる場所を探す少女ではない。自分で選んだ仲間と、自分の役割を背負って歩く冒険者だった。
【ミナより】
みなさん、こんにちは。ミナです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
本編では……えへへ、元いたパーティの人たちに、思い切って「絶対に拒否します!」なんて言ってしまいました……!
でも実はあの時、生まれたての子鹿みたいに足がガクガク震えていて、杖を握っていなかったら確実にへたり込んでいました……。生まれて初めてあんなにハッキリ人を断ったので、心臓が口から飛び出そうでした。
それにしても、ヒロユキさん……。
「俺だけを見て魔法を維持しろ」っておっしゃるから信じて集中しましたけど、三十匹以上の魔物からの一斉攻撃を、剣も防具も持たずに全部素手で捌き切るなんて、絶対におかしいですよね!?
あの方、ご自身では「僧侶」を名乗っていらっしゃいますけど、どこをどう見たら僧侶なんですか……!?
私、魔法使いなのに攻撃魔法も回復魔法も使えなくて、使えるのは敵の狙いを集める【ターゲット・エディト】だけなんです。だから「もし魔法が途切れたら」という恐怖よりも、「目の前で魔物の群れを素手で叩き潰していくヒロユキさんの人間離れした頑丈さ」への恐怖で変な汗が止まりませんでした……!
でも……七つのパーティから「役立たず」「欠陥魔法使い」って捨てられてきた私の魔法を、「最初から強かった」ってあんな風に認めてもらえて……本当に、このパーティに入ることができて良かったです。
読者のみなさま!
もしよろしければ、みなさまの温かい「注目」を、この作品に【固定】していただけないでしょうか……!?
ブックマークや評価の★をポチッと押していただけると、私が次の恐ろしい実戦でも逃げ出さずに杖を握り続ける、ものすごく大きな力になります!
これからもヒロユキさん、レイアちゃん、そして私のことを、どうぞよろしくお願いいたします!
ミナ より




