第24話:ゲーマー式中級依頼
冒険者ギルドの建物内は、昼前だというのに無数の足音と話し声で完全に飽和していた。
打ち鳴らされるジョッキ、すれ違う金属音、羊皮紙の擦れる音。
以前ならただの鬱陶しい雑音だったギルドの喧騒も、今の浩之にはすんなり頭に入ってくる。
無駄な力みが抜けたおかげか、視界も意識もどこか広い。雑多な喧騒に惑わされることなく、周囲の小さな変化だけが自然と目に留まっていた。
壁一面に張り出された依頼掲示板の前で、浩之は腕を組んだまま微動だにしない。
重心は両足の裏に均等に落ち、いつでも任意の方向へ初速を殺さずに踏み出せる。ただ突っ立っているだけのその姿勢すら、昨日までとは別物だった。
この世界へ来てからやってきたことといえば、商業都市バレル周辺でのスライムやゴブリン狩り、それに『鏡の迷宮』でのレベリングくらいのものだ。
冒険者ギルドを通じて正式な依頼を受けるのは、実は今回が初めてである。
(俺はゲームの世界に冒険に来たのに、冒険は隠しダンジョンくらいだ、今まで何をしていたんだ……)
ふと、そんな思いが頭をよぎる。
だが、自分の戦力を測り、基礎を固めるための下準備はこれで十分だ。
「……そろそろ中級でもいいか」
「中級ですか? 大丈夫なんですか?」
独り言に近い呟きに、横からレイアが顔を覗き込んできた。大きな瞳には不安が勝っている。ひどく分かりやすい表情だ。
「レベルは8だ。僧侶として見れば中堅の一歩手前といったところだろう。……といっても、俺の場合はレベルがそのまま強さを表してるわけじゃないからな」
浩之は頭の片隅で、自身のステータスウィンドウを展開する。
膂力八十五。俊敏七十四。
数字だけを切り取れば、今このギルドで酒をあおっている大半の冒険者を凌駕する異常値だ。だが、浩之はその数字をこれっぽっちも信用していない。
先日の『鏡の迷宮』でのミラーヒロユキ戦。自分と全く同じステータスを持ちながら、動きまで自分と同じ素人だったあのコピーと戦ったことで、嫌というほど思い知った。
純粋な殴り合いでは押し切れず、最後に勝敗を分けたのは、この世界に持ち込んだ『バスタースーツ』という外部要素のカードを切ったからに過ぎない。
もし次に戦う相手が、自分と同じ力を持ちながら、そのステータスを百パーセント自在に使いこなす本物の熟練者だったら。
結果は明白だ。勝負にすらならない。ただの肉ダルマとして処理されるだけだ。
ステータスという、ドーピングした数字の上にあぐらをかいていた自分への猛烈な反省。
だからこそ、昨日はわざわざログアウトして、あの古臭い『功夫アクション・レジェンド』の世界へダイブし、フレーム単位で基礎の型の反復練習を何千回と繰り返してきた。
バグじみた数字を、無駄なく自分の動きとして出力するための土台は作った。
体に染み込ませた。
「それに、問題は俺の強さじゃない。相手の情報がどれだけあるかだ」
浩之の視線が、掲示板の少し高い位置に張り出された一枚の羊皮紙で止まった。
【街道周辺に出没する盗賊についての調査】
依頼内容:最近、西の街道を利用する商人への襲撃事件が増加している。盗賊の人数、拠点、戦力を調査し、ギルドへ報告せよ。
報酬:銀貨十枚。
討伐ではなく、調査。
他の依頼とは明確に毛色が異なるその内容に、浩之は迷わず手を伸ばした。
羊皮紙を無造作に剥がし取り、受付カウンターへと向かう。
カウンターの奥に座っていた受付嬢は、差し出された依頼書に目を通すと、少しだけ口元を引き締めた。
「こちら、調査依頼になりますね」
「討伐、あるいは殲滅じゃないのか。盗賊なら倒してしまった方が早いと思うんだが」
浩之が尋ねると、受付嬢は困ったように眉を寄せた。
「はい。本来なら討伐依頼を出したいところなのですが……今のところ、その盗賊団の規模や実態がまったく分かっていないのです」
彼女は手元の資料を軽く指先で叩きながら説明を続ける。
「被害に遭った商人たちの証言もバラバラでして。数人程度の野盗の集まりだという者もいれば、統率の取れた軍隊のようだったと怯える者もいます。相手が数人程度なら、一般的な冒険者パーティでも対応可能でしょう。ですが、もし数十人を越えるような大規模な組織だった場合、少人数で突っ込むのはあまりにも危険です。全滅の恐れがありますので、まずは情報収集を優先していただきたいのです」
「なるほど」
浩之は短く頷き、脳内で前提条件を整理する。
一つ、敵の構成と正確な数が不明。
二つ、ボスの有無およびその戦闘力が不明。
三つ、拠点の地形データが不明。
「敵の構成も攻撃パターンも、ボスの強さすらも情報がない状態で、いきなり突撃するのは非効率ってことか」
(こんなフリークエスト、ゲーム本編には存在しなかったはずだが……)
原作の『ドラゴンブレイバー3』にはなかった、この現実の世界だからこそ自動生成されているような名無しのサブクエスト。
やり込みゲーマーとしての好奇心が、ふっと腹の底でくすぐられるのを感じた。
受付嬢が一瞬、ペンを動かす手を止めてきょとんとした。
「……はい。まあ、言葉の選び方は少し違いますが、おっしゃる通りです。冒険者にとって命は一つしかありませんから、情報こそが最大の武器になります」
隣で話を聞いていたレイアが、こらえきれないというようにくすっと笑った。
「ヒロユキさん、なんだか最近やけに冒険者っぽい発言をしますね。ちゃんと常識に馴染んできたというか」
「そうか? 初見のボス前に情報収集するのは、ゲーマーのセオリーだろ」
事前セーブもできず、攻略サイトの情報も仕入れずに、初見のボス部屋に突っ込むバカはいない。まずは様子見の捨てゲーで敵の行動パターンとポップ条件を把握する。ゲーマーとして極めて当然の判断基準だ。
浩之は依頼書の端にサインを書き込み、背を向けた。
準備を整え、二人は西の街道へと向かった。
*
街を抜けると、なだらかな平原を切り裂くように一本の乾いた土の街道が伸びていた。
浩之は歩幅を一定に保ちながら、視線を足元や道端の草むらへと落としていた。
「あの、ヒロユキさん。さっきからずっと地面ばかり見てますけど、何か分かるんですか?」
レイアが不思議そうに尋ねてくる。
浩之は足を止めず、視界に入った情報をそのまま口にした。
「痕跡がいくつかある。均等じゃない車輪の跡、荒らされた草むら。それに、森へ伸びる足跡だ」
「それって、もしかして……」
「ああ。複数人が巡回か待ち伏せをしている可能性が高い。盗賊の線が濃いな」
「ヒロユキさん、すごいです……! なんだか熟練のレンジャーみたいですね!」
「ただのマップチェックだ。……それより気を引き締めろよ。重装備の奴も混ざってる」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングだった。
前方にある森の入り口付近から、悲鳴に近い声が風に乗って届いた。
「誰か! 助けてくれ――!」
「やめろ、荷物なら全部置いていくから命だけは……ッ!」
荒々しい怒号と、何かが壊れる音。
レイアが弾かれたように顔を上げる。
「ヒロユキさん! 今の声!」
「ああ」
浩之は小さく息を吐いた。
「……やっぱり来るか、これ。道中のランダムエンカウントじゃなくて、確定発生のイベント戦か」
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ。急ぐぞ」
二人は土を蹴り、悲鳴の上がった方向へ向けて駆け出した。
*
街道の先、森と平原の境目にあたる場所で、一台の大きな荷馬車が立ち往生していた。
車輪の片方が完全に外されており、身なりの良い商人の男と、護衛らしき若い傭兵が、十数人の汚い身なりをしたならず者たちに完全に囲まれている。
護衛の傭兵は足を負傷しているらしく、地面に座り込んだまま剣を構えているが、その手は小刻みに震えていた。ならず者たちは薄汚れた革鎧を着込み、手に手に錆びた剣や斧、棍棒などを持ち、下品な笑い声を上げている。
レイアが即座に背中の剣の柄に手をかけ、怒りに満ちた声を上げた。
「やめなさい!」
凛とした声が響き渡ると、盗賊たちが一斉にこちらを振り返った。
駆けつけてきたレイアと、その後ろを歩いてくる僧侶服姿の浩之を見て、盗賊たちは一瞬きょとんとした後、下卑た笑いをさらに深めた。
「なんだぁ? 助けが来たかと思えば、ただのガキの冒険者二人か!」
「しかも見ろよ、女剣士に僧侶のコンビだぜ! こいつはツイてる。荷物だけじゃなくて、良い余興まで手に入ったな!」
下品な視線をレイアに向けながら、盗賊の一人が浩之を顎で指した。
「おい、そこのヒョロい僧侶! 命が惜しけりゃ、大人しく後ろでガタガタ震えて神様にでも祈ってろ! 少しでも動いたら、その首をはね飛ばすぞ!」
威嚇するように斧を振り回す盗賊。
以前の浩之であれば、その野蛮な挑発に対して苛立っていたか、あるいは恐怖を覚えていたかもしれない。
だが今の浩之の耳には、その言葉が、ゲームで数え切れないほど聞いてきた『雑魚敵の固定エンカウント台詞』にしか聞こえなかった。
「……テンプレだな」
「え?」
レイアには、師匠が何を言っているのか分からなかったらしい。緊迫した状況の中で一人だけ呆れたように呟く浩之を見て、首をかしげたまま剣を構え直している。
「てめぇ、何ブツブツ言ってやがる! ぶっ殺されてぇのか!」
浩之の態度が気に入らなかったのか、先陣を切って大柄な盗賊の一人が飛び出してきた。
両手持ちの粗末な大剣を上段に構え、浩之の脳天をかち割ろうと全力で振り下ろしてくる。
素人目には力強く速く見えるかもしれないが、浩之の目には、その大振りな動作がコマ送りのように鈍く映っていた。
(……大振りすぎる。発生まで一秒以上。予備動作で肩が上がって、重心も浮いてる。パリィの練習にもならないな)
浩之は、剣が触れる直前のタイミングで、半歩だけ体を斜めにずらした。
ブォンッ、という風切り音と共に、大剣の刃が浩之の鼻先数ミリを空回りして地面に激突する。
そのまま、一切の無駄のない滑らかな重心移動で一歩踏み込み、ガラ空きになった盗賊の鳩尾へと、握り込んだ右拳を真っ直ぐに突き出した。
ぼすっ、と軽い打撃音が響く。
大柄な盗賊はそのまま声もなく膝から崩れ落ち、地面に突っ伏した。ピクリとも動かない。気絶している。
予備動作を削ぎ落とした、最小限のショートパンチ。一撃で十分だった。
「……弱いな。チュートリアルの木人の方がまだ手応えがあったぞ」
「なっ……!?」
一撃で仲間が沈んだのを見て、盗賊たちの顔色が一変する。
「野郎、やりやがったな! 舐めるな、囲め! 一気に叩き潰せ!」
残っていた十人近い盗賊たちが、怒声と共に四方八方から浩之へと飛びかかってくる。
前後左右からの同時攻撃。並の冒険者であれば対処しきれずに切り刻まれる場面だ。
だが、浩之の目には、そのすべてが完璧に見えていた。
左から来る男の、肩の沈み込み。
右から来る男の、腰のひねり。
背後から迫る男の、足の踏み込み。
誰が一番早く攻撃判定を発生させるのか。誰の攻撃のリーチが一番長いのか。
昨日、道場で何百回と繰り返した『基礎』の感覚。身体に染みついた型が、拳に無駄な力みを一切許さない。
派手な奥義も、格好つけた大振りのモーションもいらない。
最短距離で、最小の動きで。
スッ、と飛んでくる剣の軌道を首の傾げだけで躱し、すれ違いざまに首筋に手刀を落とす。
【一体目】。
背後から振り下ろされる棍棒を、振り返りもせずに肘で弾き返し、がら空きになった顎を裏拳でカチ上げる。
【二体目】。
怯んだ隙を見逃さず、流れるような足運びで間合いを詰め、胸ぐらを掴んで足を掛け、地面に叩きつける。
【三体目、四体目】。
それはもはや戦闘ではなく、完璧な手順で相手を詰んでいく『詰将棋』だった。
わずか十数秒。悲鳴を上げる間もなく、その場にいた十人の盗賊たちが、全員地面に転がって呻き声を上げるだけの存在へと成り下がっていた。
「ひっ……!? な、なんなんだこいつ……! ただの僧侶じゃねぇ……!」
少し離れた場所で様子を見ていた、リーダー格らしい盗賊が顔を引きつらせて後ずさる。
「へ、へへ……だが、残念だったな! 俺たちは十人や二十人じゃねぇんだよ!」
リーダー格の男が、首から下げていた骨の笛を口に咥え、ピィィーッ、と甲高い音を鳴らした。
指笛の合図が森に響き渡った直後。
ガサガサッ、と木々が揺れる音が連続して響き、森の奥から、わらわらと新たな盗賊たちが湧き出てきた。
その数は二十、三十と増え続け、あっという間に馬車を半包囲する形にまで膨れ上がった。
「ヒ、ヒロユキさん! まだ来るんですか!?」
予想以上の数に、さすがにレイアの声が裏返る。
だが、その瞬間。彼女の心に何かが大きく変わった。
この絶望的な状況の中で、自分は恐れていない。
なぜなら、目の前に立つこの男は、すべてを統べる力を持っている。
盗賊十人。二十人。何十人だろうが、関係ない。
敬意は尊敬へ。尊敬は信頼へ。
そしてその信頼が、今この瞬間、確実な確信へと変わった。
「……師匠!」
レイアは迷いなく声を上げた。
その一言は、彼女の人生で最も真摯な想いを込めた宣言だった。
「あの時の約束です。ここで……私もちゃんと戦います!」
当の浩之は、わずかに視線をレイアへ向けた。
その眼差しには、驚きも否定もない。ただ、確かな承認があった。
――これでいい。
そう無言で肯定するように、短く頷いた。
「ああ。頼む」
その声は、少女に向けられた言葉であると同時に、己の責任を改めて引き受けることの宣言だった。
(師匠か。少女の真っ直ぐな瞳に、自分がそう呼ばれることの重さが、ようやく実感として胸に落ちた)
浩之はかつて、レイアを守るために己の力を奮い立たせることに戸惑いがあった。
しかしこの瞬間、それは完全に消え去った。
この少女が、自分を『師匠』と呼ぶ。
その背中を守り、その真っ直ぐさに応える責任。
それは、ステータスや力の大小などという数字では計測できない、はるかに重い『絆』だった。
(俺も負けていられないな)
浩之は、迫り来る大群へ向き直った。
「なるほど、増援型か」
「ぞ、増援型……?」
「倒しても倒しても、規定数まで補充されるタイプのステージだな。よくある嫌がらせの仕様だ」
「何の話ですか、それ! 呑気なこと言ってる場合じゃないですよ、囲まれます!」
焦るレイアに対し、浩之は取り合わなかった。
強敵が出てきたわけじゃない。ボスクラスが混ざっているわけでもない。ただ、敵の総数が多いだけで、一体あたりの処理難度は変わっていない。
何人来ようが、何十人来ようが、やることは一つ。ただ目の前の敵を順番に処理する。
「レイア、馬車と商人を守れ。俺は前へ出る」
「は、はいっ!」
浩之は僧侶服の裾を翻し、三十人近い盗賊の群れの中へと、単身で歩みを進めた。
その瞳には、強敵に挑む戦士の熱も、多勢に無勢を嘆く悲壮感もない。
そして、馬車の横に残されたレイアへも、溢れた数人の盗賊が下卑た笑いを浮かべて迫りつつある。
師が作った土台を、実戦で証明する時が来ていた。
師と弟子。二つの絆が、この瞬間、確実に結ばれた。
レイアは剣を握り直し、目の前の敵を見据えた。
もはや少女は、単なるヒロユキの随行者ではない。
独立した『戦士』として、ここに立っていた。




